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2022年2月5日土曜日

嗚呼、惨めなり~3回目の休職が決まった

 

 昨年2021年の6月から9月頭まで休職していた。これが2回目の休職で、1番最初は2010年~2011年にも9ヵ月休職していて、この時は、自殺企図の惧れ有り、とのことで、主治医の医師から即入院を言い渡された。とは言っても任意入院だったんだけど…。この時は空きが無くて、閉鎖病棟に入ったのだった。2回目はほとんど溜まっていた有給休暇で乗り切った。2か月くらいだったので、何とかなった。あとは復職に当たって再発防止シートという自己分析のようなことも書かされたかな。なぜ、自分がうつ病になって仕事を休むまでの状態にまで落ちたのか分析せよ、という事だった。建前としては、自分自身のうつ病は「私傷病」ということになっているので、仕事とは関係なく勝手に病気になりました、申し訳ございません、という形で、自身が出来る限りの再発予防策を書いて産業医に提出した。マインドフルネス瞑想を続ける、とか、運動療法としてランニングを定期的に続ける、と言うことを書いたと思う。

 ただ、11月の終わりくらいから少しずつ歯車が狂っていき、12月になる頃には再び強い希死念慮に苛まれていたと思う。自分の意思とは関係なく死のイメージが頭に浮かんでくる。多かったのは、自身が打ち首になるところだ。ちょうど下の画像のようなイメージだ。首を落とされる前に前かがみになって、刀を持った処刑人が振りかぶる。刃が自分のうなじに当たる寸前、自分のこれまでの人生を悔やみ、涙が浮かぶ、そんな感じだった。

 希死念慮は更に酷くなっていき、それを暴発させない為に俺自身の中で消化するために、自分のドッペルゲンガーを目の前に想定して、包丁や刃物でめった刺しにするというイメージを繰り返していた。そうでもして憎い自分自身を滅殺しないと気が狂いそうだった。

 9月に復職したばかりだったが、仕事は俺1人にかかる負担が大きかった。顧客対応、担当案件で、別のチームにも影響が出ることを1人で準備し、問題ないことを顧客に説明していった。同じ案件で他のベテランのメンバーの方も複数いるのだが、WEB会議という場だからなのか、発言すれば自身が説明義務(またはその資料などの作成義務)が生じるためか、フォローしてくれる発言はほとんど無かった。調子は悪いながらも何とか年末を迎え、俺は久しぶりに帰省した。

 オミクロン株が流行する直前だったので、帰省中の交通機関はとても混雑していたように思う。ここで、人混みによる人酔いのようなダメージを受けて実家に辛うじてたどり着いた。年末年始の休みの間もずっと頭痛と胃痛に悩まされ、精神的には休まらなかったように思う。

 年が明けて、これはもう仕事を続けていくのも結構キツイな、という状況だったが、主治医の診察ではただ、「今は耐えて頑張りましょう。」と言われるのみ。1月上旬と下旬でも変わらず、今回は主治医は俺が休むことに対して頑ななまでに否定的だった。この頃は、夜中にあそこの場所に行って首を吊れば朝まで見つからないかもしれないな、とかそんなことを具体的に考え始めていたように思う。クレモナロープを用意して他にも必要な機材を揃えれば自殺企図までもう少しだ。 

 職場では、俺に属人化した業務があり、年度末に向けて取りまとめの作業に入る頃だった。ここで俺がまた休職でもすれば、本当に案件1個の検収に穴が空く、それも心理的に圧迫になっていた。この辺りは主治医には伝わらなかったのだろう。職場の上司や同僚も、「何とか休まないで頑張ってくれ。」と悪気なく言うので、もう無理ですよ、とは言いづらかった。日に日に出来ることは減っていった。対顧客での打ち合わせで俺が作った資料の説明は上司に代わってもらった。これはもうダメだな、と諦めたのは顧客ではなく取引先の割と仲良くやらせて頂いている方からの電話にすら出られなくなったことだった。電話はPC上で受けるUC電話になって数年経つが、電話を受けられないのではさすがに仕事にならない。もはや休職しかないのか、と諦めた瞬間だった。

ただ、この直後の診察でも主治医の見解としては「休職というのは何か違うんですよねぇ…。」と…。何が違うのかはもう問う気力も無かったが。。。この後、産業医に連絡して、業務の状況や抑うつ状態や希死念慮が厳しいということをメールで相談した。いつもは産業医面談は上司および総務の方も入れて4者面談になるので、産業医にのみ相談したい、と言って4者が集まる前に面談の時間を作ってもらった。そこで、希死念慮と混然一体となった状態で業務遂行をしていくのはとても辛いこと、このまま耐えれば耐えるほど後々の回復が遅れるであろうこと、また、最悪は自殺が既遂出来てしまうことを相談した。産業医の先生から主治医に手紙を書いてもらい、それを見た主治医が診断書を書いてくれて、ようやく休職になった。ただ、主治医との関係はこれでこじれてしまったかもしれない。実家で療養すればいい、ということで、処方薬を出せる最大期間の1か月分の薬と診断書を受け取り、休職と相成ったわけだが、もうこちらも積極的に貴方のことを診ませんからね、という若干の拒絶感を感じる。

俺の実家はかなり遠方にあるので、帰省するのはなかなかエネルギーを使うが、一旦、帰ろうと思う。戻ってこれないかもしれないが…。そうなったら診断書の期限が切れてってなると、どうなるのだろうな。

何だか治療も真面目に受けても、治ることも無く、苦しみ続けるだけの人生。苦しむことが重要なら意味もあるのかもしれないが、それを除けば、ただ耐えるのみの人生に意味はあるのだろうか。薬を飲んで不安定ながらも仕事を続けて、それ以上の解は無いのだろうか?最大容量まで飲んでも結局、仕事から脳が破壊されるレベルのストレスを受け続ける。これでは抜け出せない無間地獄だ。

2021年9月1日水曜日

復職の条件

 


6月下旬から休職して療養した結果、そろそろ復職して良い、という主治医からの許可が出た。復職してよろしい、という診断書を主治医からもらい、会社の上司へ郵送して送ったが、会社指定のフォーマットで記載してもらう必要があるので、もう一度、そのフォーマットに従って主治医に書いてもらい、提出せよとのこと。診断書は1通で3300円なので、何度も出すことを求められると地味に痛い。

先週、復職のための面談を産業医、上司含めた会社側と行い、診断書を出しなおすことと、自分なりの休職に至った経緯の分析と再発防止策を紙にまとめて提出することとなった。精神疾患による休職からの復職で再休職に至る割合は半年以内で4割にも達するという記事を見かけたので、会社側が慎重になるのはもっともだ。拝承。従います。

 間違っても、精神疾患で休職することは、交通事故に遭うようなものだ、という論調にならないように文章を組み立てる。でも全くの無益な行為ではない。分析によって、なるべくしてこうなったのだ、という納得も得られることだった。

10年前、2011年に年が改まる少し前から俺は閉鎖病棟で入院していた。自殺の危険があるため、とのことだったし、当時の俺はいつか閉鎖病棟で入院して自殺の危険から保護されるような身分になるに違いない、という予感めいたものもあって、その精神科病院の外来に通い続けていた。今回の休職でも、やはり診断書が出る直前には自殺することしか考えられなくなってしまい、業務はやりつつも心は千々に乱れ…という状況だった。

今回の休職については、原因が起こってから休職という結果に至るまで約3か月。面談では、アウトプットが出せていたので、特段配慮する必要はなかった、と言われた。だが、3月から俺は不調を訴えていたのだ…。アラームを出していた。自死を考えている、というのは何度も訴えた。それなのに、それが仕事上のアウトプットを出せていたから問題ない、という理由で片付けられては、アウトプットは出せていましたが、気が付いたら奴は首を括って死んでいました、なんていうことになるのか…?

まぁいい。思うところは多分にあるが、やはり、同じ環境でも病む人間とそうでない人間がいる。病んだ者としては、その落とし前を付けるためにも、再発防止策とやらを書き連ねて提出することとしたい。

俺にも仕事に穴を開けて同僚に対して、申し訳ないことをした、という思いはある。取り返せるとも思えない。ただ、分を超えた能力で組織に貢献することは残念ながら不可能だ。少しでも自身の精神面と身体面の健康と向き合った中で、引き出せる最大限の能力と努力で以って応えたい。

労災として認められたいという訳ではない。休職制度があるだけマシということもあるだろう。そして俺の替えはいくらでも効く。ただ、精神障碍者Aとしてしか扱われない、それは悲しい。人として扱って欲しい。そう言う願いを込めて、この記事をアップする。

2021年7月4日日曜日

休んで療養することが決まりお御籤は大凶を引いた -孤独のRunnaway-

 6/17(木)に産業医面談を受ける。産業医と課長、総務と僕の4者でのWEB面談だった。面談では会社の産業医には休職を命じる、ということは出来ない、もしくはしたくない、ということのようで、5月以降の窮状をいくら述べても、それは弱りましたねぇ、というばかりで暖簾に腕押しだった。

しかし、2日後の6/19(土)の診察で、色々とメモにして持っていった症状や困っていることを主治医に全部話し切らないうちに「もう仕事にならないでしょう?思い切って1か月休むように診断書を書くから。」と言われた。10年ぶりの二度目の休職である。10年前、休職が決まった時、僕は自死の危険有りとのことで、任意入院だが精神科の閉鎖病棟への入院が決まった。今回は病院は異なる。現在の主治医は復職してから10年にはならないがずっと診てくれている先生で、めったに休め、とは言わない。休職で患者が受ける働けない期間に受けるデメリットや仕事に戻れなくなることを考慮してのことだと思うが、初めて、全部言わなくていい、もう休んでいいから、と言われた気がする。 

翌週月曜の6/21(月)に在宅勤務でPCを立ち上げ、産業医と課長に向けてメールで状況を報告し、産業医と課長、総務とのWEB面談が決まった。午後からは今の業務を引き継ぐため、引継ぎ会を課長と1時間半程度行い、休みに入ることとなった。引き継ぐ相手が課長しか居ないというのが今のうちの課の窮状をよく表していると思う。僕が居なくなったら誰も引き継げる相手が居ないから課長が引き継ぎ相手なのだ。課長は「1か月で戻ってきてくれることを期待するよ。」と言っていた。この仕事が大変なのは年度末なので、そこで僕が居なかったらおそらく業務は回らないだろう。

6月に入って僕はよく聴いている曲があった。B’zの"孤独のRunnaway"という曲だ。「本当は誰もが愛人探しに出かけたがっている」 という歌詞が耳に残りやすいが、そこではなくてこの曲は何もかも嫌になって失踪してしまった者のことを歌っているのだ。折しも世間では某野球チームのコーチが失踪して世間を騒がせている頃だった。「俺もどこかに消えてしまいたいなぁ…。」なんて思いながらニュースを眺めていた記憶がある。

 

 

B'zの公式の動画はあまり無いので、6月にYoutube見つけて聴いていたアマチュアの方達のリモートセッションの動画を紹介。ボーカルの方の声質も稲葉さんによく似ているし、演奏も皆さん上手で素晴らしい。こんな陰気なブログに引用してしまって申し訳ない。この動画も何度も見て歌詞を口ずさんだなぁ。エレキギターを昔やっていたので、元気になったらこういう曲を弾いてみたい。

 

雨上がりの明け方 とっくにおまえは消えていた

電話もよこさないで

大好きだった女 飲み仲間 順調だった 仕事まで

何もかもほったらかし

何がいやだったの 金なの?マンネリなの?

今頃おまえはどこかで叫んでいる like this!

(中略)

いい迷惑だと みんながあきれ返った後

また普段の生活を続けている

何が大事だったの

出て行ったやつの口グセだけが目の裏で踊る like this!

 

今、仕事で苦しんでいる僕が消えても誰かが迷惑だなぁ、と言いながらきっと仕事は引き受けてくれる。僕がいなくなっても一時は大変かもしれないが長い目で見れば居ても居なくても同じようなものになっていくはずだと。

今回、潰れた理由は簡単だ。課の人的リソースが不足して、僕に課せられる仕事の案件がほど5月から増えた。うちの会社は昨年、合弁会社を興して、課員のうち何割かがそこに出向という形で勤務することとなった為、合弁会社の目的に沿わない意義の仕事は手放すことになった。よって、当時、一緒に仕事をしていた同僚はいなくなり、彼らの持っていた仕事を僕が引き継いだ。仕事上のラインとしては担当が僕で上長は課長ということになった。もともとうちの課は2つに大きく技術分野が分かれていて僕が入社以来、属しているAという分野のグループ、そしてもう一方はBという部の中でも花形のグループがある。入社した時はBグループを志望していたがAグループに配属になり、業務をこなしていく中でそれなりの充実感も感じるようにして15年以上、業務に従事してきた。またどこかでBグループからはAグループは技術的に劣っていると見下されて?いる面も分かってくるようになり、入社当時に抱いていた単純な憧れはとうに無くなっていた。分野が異なるので同じ案件でもAグループとBグループからそれぞれ人を出して対応している。だが、昨年度の人繰りの問題で僕が抱えている案件はずっとやってきたAグループの仕事とBグループの仕事を受け持つことになった。こういう状況ではあったが、昨年度は何とか関係者の人たちの協力もあり乗り切ることが出来た。

今抱えている案件は、いつも年度末に毎年結構な苦労をして成果を報告するためのまとめ作業が発生する。これらを何とか関係者分を含めて、マネージ仕切って乗り切れたが、ここで既に僕のガソリンは尽き掛けていた。5月に課長にちょっと精神的に行き詰っていることを産業医面談の場で話したが、課長と少し2人で話をしよう、と言われ、何故か合弁会社の方で受けきれない新規の案件(A、Bグループで別々にカウントするなら2件)にアサインされることになった。アサインされたばかりで、現実的な大変さはまだほぼ発生していなかったが、今後の業務計画を練りながら、これは今の僕には完遂することが出来ない、と内心、絶望していた。

この10年、産業医との面談がもう当人に問題が無いので卒業となったこともあったけれど、基本的にはずっと受けている。また、課長からは産業医面談を受けている人には悪いけど人事上の好評価は付けられない、と言われたこともある。なので、人事上のことはもう諦めてせめて自分が出来ることで会社の役に立とう、それ以外は(悔しいが諦めて)どうでもいいと思うことにしよう…そう思ってやってきた。また、10年前に休職していて元気が出てきた時に思っていたのは仕事で命を奪われるまで追い込まれるのは馬鹿馬鹿しいということだ。その後もぐるぐるとした希死念慮に苛まれる日々は数年前まで続いていたが、自分自身が中年と言われる年齢に差し掛かってきて精神的な負のエネルギーも落ち着いてきたのか、あまり希死念慮に悩まされることも無くなってきた。こう言ったことがあるので、10年ぶりに二度目の休職になってしまったのは個人的にすごく残念だし、職場に対して思うこともある。おそらく1ヶ月後にもし復職できたとしたら引き継いだ業務をすぐに100%こちらの手元に返されるだろう。活字も頭に入らないくらいに弱り切っていた6月下旬に比べると少し本も読めるようになってテレビも見られるようになってきたが、今の自分にはまた元の仕事量を振られるのが怖い。

余談だが、休みが決まった後にお御籤を何の気なしに引いてみた。結果は大凶。初めて引き当てたが、「やっぱりな」という気分の方が強くて思わず笑ってしまった。


お御籤に書いていることを文字にしておこう。

天の下 国原くらし み空ゆく

月の光は さやかなれども

ふして見れば山野は暗く。仰げば真如の月が照っている。

その接し会ったところに立っている自分を見失ってはならぬ。

此処で静かに思慮を深め目標に向って一歩を進めなさい。

○願望 急には思う様にはならぬ

○縁談 本人同士の意志の通じ方が足りぬ

○交際 親切だと思い込むといけない

○産児 丈夫な児が生まれる

○病気 回復がおくれる

○転居 やめた方がいい

○事業 人の口車に乗るな

○試験 目上の人の意見に従え

産児以外はいい項目が無いように思えるが、「○病気:回復が遅れる」が個人的には一番ぐさっと来た。

2021年6月12日土曜日

体調を崩してしまった -Not even you-

始まりはゴールデンウィーク明け少し経ってからだった。いや、年度末の忙しさの3月を何とか乗り切っている最中からだろうか…。病気までは行かないけれど、病的になっていくまでのグラデーションの中にいた。そこからは段々とぬかるみに嵌るように足が取られ始めて、気が付いたら腰まで泥沼に浸かっているといういつものパターンだ。この辺りになってくると、焦燥感も強いし、ここ年単位で感じないようになっていた希死念慮も出てくる。正直、苦しい。
俺が勤めている会社は1年前のコロナ禍に入ったところから、在宅勤務になった。独居で暮らしている俺のような人間には、仕事で取るコミュニケーションを除けば、人と会話することもほとんどない。昨年度から一緒に仕事していた同僚も別案件に取られ、残された俺は去っていった同僚の仕事を引き受け、何とかやってきたが、相談できる人間はいない状態になっていた。結局は一人なのである。
 
毎月、上司立会の下、産業医面談も受けている。このご時世なのでWeb会議でである。3月辺りから体調の不調は訴えていた。もうこれはダメかな…、と思い5月の面談で、「すみません、ちょっともう無理そうです。」 と切り出した。孤独なら出社してみてもいい、という助言ももらったけれど…。出社してもフロアにはごく一部の人しか居ないんだよな。結局、誰とも会話しないで退勤する、ということになっていた。ただ、上司と出社時に顔を合わせたので、ちょっと個別に話をしようか、ということになって、ここで新たな案件を任されることになった。本来やるはずだった人達が多忙を極めていてとても対応できないこと、また、俺の得意分野だから、ということがアサインの理由だった。この後、更にもう1件、案件のアサインがあったのだが…。ちょっと無理だなぁ、という気持ちが今は強い。

休職するとなると、独居の俺のような人間は、一人じゃ何をしでかすか分からない(つまり自殺とかされても困る)ということで、実家がある場合は帰れ、ということを産業医から命じられるそうだ。ただ、俺の今住んでいる場所は緊急事態宣言下である訳で…。田舎に帰って老いた両親に感染させるようなことがあっても、と言うのは本音でもあるが建前の部分もある。田舎ゆえにいい年をした男が昼間から働きもせずに散歩なぞしていては、きっと噂が経つのだ。
 
少し前に母から電話で聞いた。俺が10年前に鬱病で休職していたことが人伝に伝わってきたらしい。俺は地元の誰かに話した記憶は無い…。もしかしたら、当時やっていた何かしらのSNSに何か書いたのかもしれないが…。煩わしくなってアカウントごと消去してしまった(まさにメンヘラ的行動である)。よくは覚えていないが、何かしらの鬱で休んでいることを書いた当時繋がっていた人が地元で、誰かに話した。それが人から人へ伝わり…ということなのだろうか。俺は高校を卒業するまで地元にいた。今となっては何の自慢にもならないが、そこそこの優等生で通っていた。そんな優等生が脆い精神を病んで働けなくなった、悪意があるわけではない、ただ少し可哀相にね、なんて言いながら、どこかで嘲るような気持ちも込められて、それが回りまわって、うちの両親の元にそんな話を直接してくる人がいた、という事なのかもしれない。地元に帰れば、また悪評が立つな。
 
高校生の頃から俺には多少、神経質なところもあった。最近、ふと当時よく聴いていたClawfingerというアーティストの曲をまた聴き始めた。20年前は目新しかったラップメタルだ。歌詞は、「俺がするように俺のことを愛してくれる者はいない、君でさえも」、「誰も俺が自分にするようには俺のことを必要としない、君でさえも」、そんな殺伐とした歌詞だったが、当時の俺はそんな自己責任論にも近い歌詞を好んで聴き、そして英語の歌詞も覚えてよく歌っていた。興味があったら以下のリンクから聴いてみて欲しい。歌詞もついているから。曲はClawfingerで"Not even you"。

2018年3月19日月曜日

薬で強化していくと別のところが壊れる

年度末締めの仕事をこなしていて感じたこと。幸いなことにメンタルはまだギリギリ均衡を保っているが(それでもだいぶキツいけど)、職場にいる間に頭が痛くなったり気持ち悪くなったので職場にある血圧計で何気なく血圧を測ってみた。結果、上が145mmHg~165mmHgというなかなかの数値を出してる。今までの健診で高血圧を指摘されたこともなくて、職場で緊張しているが故の数値だとは思う。

抗うつ薬を飲んでメンタルを強化して、昨年は耳が壊れ突発性難聴になり、今年は耳は何ともないけど高血圧で体にダメージが出てる。気持ち悪くなるくらいならいいけれど、3日くらい頭が痛いこともある。ここ3年は同じような業態の仕事をしていて2年前はもう駄目かと思うところまで追い込まれていた。今回も仕事の区切りがついたと気を緩めたら同じようなことになりそう。ソフトランディングを目指したい。

仕事は何のためだろう。よく自分が仕事が出来ると思い込んで周りの出来なさを嘆く人もいるけれど、少なくとも僕の仕事でそれは出来る人はいない。難度も高く、どれだけ頑張っても出来ないことの方が多い。顧客も割と無理を言う。辛さに耐えきれず辞めていく人もかなり多い。みんな僕から見たら優秀で有能な人ばかりなのに。そんな環境の中で、今年度の仕事は、自分だけでなく多くの人が作り上げた作業をより合わせて一つの成果にすることだった。隅々まで1人の人間が作ったかのような神経の通った仕事にしよう、と思って頑張ったけれど、やっぱり通して見るとやった人が違えばムラも出来る。なかなか難しい。

2017年11月19日日曜日

不調になってからそろそろ3か月

お盆の辺りに闘病中だった親戚が亡くなった。ここのところ、1年ごとに親しい人を亡くし続けてその度に、精神的に落ち込み、うつ病も悪化する。今回も8月の下旬から不調が始まり、だんだんと仕事の資料等が頭に入ってこなくなり、だけど、何とか形にはせねばならずで、それを時間で補っている。気が付けばもう11月も後半。鬱の期間はきっかけと呼べるほどのことではないかもしれないけれど、気温差、身近な人の死(喪失体験)、または季節的なものなどいろいろ複合的なことがトリガーになって始まるようだ。

主治医の診察で、服用薬はサインバルタ60㎎は変わらずだが、リフレックスは30㎎(2錠)から22.5㎎(1.5錠)へ減薬。てっきりまた45㎎(3錠)まで増薬かな?と思っていたので少し驚いた。先月は微熱が常に37.5℃くらいある状態が続いていたが、どうも風邪でも無いらしい。自律神経失調症なのでは?と主治医にも言われた。耳鼻科で診てもらっても熱以外は異常なしとのことで、時期ももう11月なのでついでにインフルエンザ予防接種を受けてきた。

ほかには産業医の面談を受けて、調子も今ひとつだね、と言われたり。調子の浮き沈みもあったけど3、4年前は部署も違ったのもあったけど、たくさんの人とネゴったりしながら、仕事もやればやるだけ進んで形になっていく感じがあったのになぁ。今の状況はあまりにも惨め。

死んでいく人がいる中で、自分自身もそんなに長生きしなくていいな(5年先にはもう居なくなっててもいい、くらいの感覚)、と思っているけれど、何だかんだで20年経っても同じようなことをボヤいてそうな気もしてそれもまた恐ろしいのだ。

紅葉も綺麗な時期になりました

2016年5月20日金曜日

無理と分かっていても続けたい

無理と分かっていても今の仕事を続けたいと思っている自分がいる。それは転職を考えている今がネガティブな動機でうまく行かないと分かっているからだ。新天地を求めるなら現職との関係を発展的解消していけるものでなくてはならない気がしている。

先日の友人の言葉には一時的に耳を塞ごうと思う。その人は僕のことをある程度は思いやって現職を続けるのは無理と言ってくれるが、決めるのは結局は自分自身だ。またそうでないと必ず悔いが残り他人のせいにするのが分かっている。

正直、どうしたらいいのか分からなくなっているだけなのかもしれない。ただ、今の環境でダメになっているようでは、新たな環境を求めても、そこに慣れるまでの過程でまた潰れるだけだと思うのだ。

2016年5月10日火曜日

どんな仕事なら出来るのか?~転職編~

連休の間、帰省して色々と現職で続けることや転職して新しい仕事を始めることについて考えていた。おそらく現職で続けられるのはあと1、2年が限界なのではないかと思っている。

昨年は転職活動をし 1企業の面接を受け、内定まで頂いたのに辞退してしまった…。色々とああしておけばよかったこうしておけばよかった、と言うことはあるけれど、昨年は断薬をせず内定をお受けして転職していれば3月末の不調の強烈なスイッチは入らなくて済んだかも。もっとも職場は入ってみないとどういう環境か分からない博打みたいなところはあるけれども、面接でお会いした方々は温和で今の職場よりも温かそうだなと思ったように記憶している。

現職は皆さん、激務で働いている中、自分だけ制限をかけられて楽をしている。と言っても皆さんが終電まで仕事で僕は遅くても20~21時までという感じだ。たまに22時まで行くことはあったが、仮に鬱が治っても以前のように周りと同じように終電までやっていくのは不可能だろう。そして、こうして制限を受けていることは感謝しなければいけないけど、周りからは取り残されて行っている焦りもある。

そんな楽な仕事なんてあると考える方が甘いのかもしれない。ただ、もう少し案件が小さくて一つの仕事のサイクルが早く今よりも負荷が少し下がる仕事であれば十分やっていけるのではないかと思うのだ。

2016年4月23日土曜日

今ひとつの恋が終わりました

ここまでのあらすじも何もないけど、タイトル通り、先ほど一つの恋が終わりました。孤男を名乗っておきながら、彼女いました。さっきまで。先月の下旬から死にかけるほどの鬱状態だったのは前の記事の通りなんだけど、実は(元)彼女も同じくらいのタイミングで、色々しんどかったらしい。落ち着いたらまた連絡する、そう言われて、自分も大変な状況だったので、こちらからも連絡をしなかった。10日に一度連絡が来る。会って話すことも電話も出来ない、文字のやり取りだけ。皮肉なことに別れるさっきまでのやり取りが一番メールのやりとりは多かった。

もともと、メールの少ない人ではあった。それは別に不満ではない。ただ、そういう性質の人だと思って合わせていけばいい、そう思っていたから。僕は自分が好ましいと思う相手(男女、友人、恋人問わず)の鏡のように振る舞うことが多い。メールなんかはその最たるものかもしれない。文体というよりも絵文字が多ければ増やすし、無ければこちらも使用しない。自分が無い。そうかもしれない。

もう今更何を言っても相手には届かないので、ここで愚痴ってみる。勝手に決めて、相手の意見は受け入れずにハイさようなら、じゃ困るんだよね。そっちは納得済みなんだろうけどさ。向き合うのはもう嫌だ、終わったことに割く労力はあいにく用意していない、そんなところなんだろうが、僕はそういう女性の振る舞いは誠意が無いと思ってしまう。

ただ、相手にはこれまで時間も気持ちもつぎ込んでもらって、一緒に時間を過ごした訳で、そこは感謝したい。今までありがとう。そう最後にメールに書いて送信した。

2016年4月17日日曜日

復帰して1週間

前回のブログにも書いたように4月11日から復帰。月曜から金曜まで休まずに会社行けた。病気のこととは関係なく、3月までの昨年度と4月からの新年度で部署内の分担が変わって、引き継ぎをしたりされたり。今まで持っていたことは他の人へ引き継ぎをしたが、今年度から受け持つ案件は結構ヘビーな気がする。猫の手も借りたい、という上司の気持ちは分かるが「ここは君に頑張ってもらうしかない。」とか2週間前に自殺寸前まで追い込まれていた人間に言う言葉じゃないよなぁ…とは感じた。そして、この仕事をこの先続けていくことは難しいだろう、と改めて思い直した。

体の調子がどこまで良くなるかにも依るけれど、僕はこの仕事をそう遠くない将来、辞めることになるだろう。辞めて何をするかという問題はあるけれど、去年は面接を受けて内定までもらえたのだから何とかなるのか、それとも転職もうまく行かずにますます辛い立場になってしまうのか。

まずは、情報を集めることが大事。

2016年4月10日日曜日

会社を休んで帰省して短期療養

前回からの続き。会社の産業医とも主治医とも相談して10日ほどじっくり休んで療養することにした。その間、一人にしておくのは自殺衝動が起きているので危険なのと食欲も無くなっているので、実家に戻って療養することを約束し、帰省することに。この半年ほどは近くはない実家に何度も帰省している。父方が昨年秋、母方が今年初めと両方の祖母が亡くなったので葬儀、四十九日もあって帰省していたのだ。思えば2人の祖母を亡くしたことも日頃の精神的なストレス、疲労に加えて喪失感として積み重ねとなっていたのかもしれない。もう地元に帰っても2人の祖母はどこにもいないのだ。

実家に帰ってからは当初は食欲もほとんど無かったが、少しずつ食べられるようになった。ただ、まだ万全とは言えない。家族と折り合いが良くなかったとこれまで思っていたが、弱っている自分には気をかけてくれていると感じた。 父も母も年を取ったというのもある。父は以前はやはり自分のする仕事や家族を導く自負みたいなのがあって、押し出しが強かった面があったが、年を取って自信が無くなったようなことを言っていた。

家で1日1時間程度やりたかった英語の勉強をする以外は基本的にあまり何もしていなかったが、父方の実家と母方の実家に行き、それぞれの祖母にそしてもっと前に亡くなった両方の祖父にも手を合わせた。これが今回の帰省で出来た一番良かったことかもしれないな。

明日11日の月曜からまた出社して仕事に取り組む。当面は定時間勤務の残業なしということになるとは思う。今までも実はそうだったらしいのだが、「自発的に」残業して仕事を片付けていたことになっていたようだ…。両親ともにもう死ぬくらいなら仕事を代わってもいいのでは、という雰囲気にはなっていたがさてさて。

2015年8月8日土曜日

何だか体調がおかしい

気力が萎えてるというのはいつものことだが、頭痛やめまい、耳鳴り、手の震えが出ている。月曜からおかしかったが仕事は山場だったので何とか会社まで行ってきた。

睡眠を意識して多めにとっても目が覚めて数秒後には治ってないことがすぐ分かって絶望する。これはメンタルな不調というよりフィジカルな不調なのでは…。うまくは表現出来ないけど血圧高くなって頭の血管がぶちーんって切れる手前みたいな感じ。

調子が悪いから考えが悪い方に行くというわけではないが、自分のやること為すこと全て裏目に出ていないか?去年は資格の試験を受け、異動前は何とか仕事も一区切りつけたつもり。転職活動も内定は取れた(断ったのだけれど)。今の会社が何だかおかしな状態になってしまって、社外の友人知人からお前の会社大丈夫?と面白半分に効かれたり、根拠のない大丈夫だよ!という励ましも辛くなってきた。

2015年8月2日日曜日

転職しようと思ってた

現職で限界を感じていたのは前からで異動で2年間だけ違う部署に行っていて戻ってきたらやはりこれは厳しいと思ったという話。今所属している部署は5年近く前にうつ病が一気に悪化して休職に入った経験のある部署である。僕以外にも精神を病む若い人は多く、後輩で休職したのは2人、怪しい(休みがち)人は2人ほどいて、上の世代でも体を壊した人は多い。合計するとだいたいメンバーの5分の1くらい。

以前、休職する直前はもう死ぬしかないって思って具体的に計画を立てていたので、あとで思い返してあんな思いをするくらいなら、もしまた危なくなったらもうこの会社を辞めようと考えていた。現実には本当に危なくなると動くことも出来ないので、異動で戻ってきてからだったのだけれど。

ここ最近、仕事の合間を縫って転職活動をしていて幸い1社、内定を頂けた企業があった。内定は受けようかどうしようか迷っていたのだけれど、両親に思い切って相談してみた。よかったかどうかは分からない。ただ反対はされた。結果、僕は怖気づいて内定を辞退した。

正直、今の仕事をしていて定年まで勤め上げるのは厳しいだろうなと思っている。耐えられなくて辞める、自殺する、体を壊す、リストラされる、いろいろな可能性はありそうだが、どれかに当てはまりそう。これでよかったかはわからないが、疲弊してしまって当分は思い切った動きを取ることが出来なさそうだ。

2014年12月24日水曜日

レベルを上げて正論で殴っても仕事は片付かない

普段の自分の性格はともかく仕事の時は僕は気が短い。プライベートでは“のんびりしてる”、とか“温厚”とか言われる事が多い気がしているけど、これは多分、後天的な性格で持って生まれた性分は短気なのだと思う。遺伝はあまり信じたくないが父方の祖父、父がとても気が短い。それをマスクするように穏やか(に見える)な性格を意図せず作ってきたのかもしれない。

タイトルは、あるゲームの用語で“レベルを上げて物理で殴ればいい”という言葉をもじったモノだけれども、以前の僕は仕事上で如何に自分に落ち度を作らずに片付け、相手に非がある時には"正論で殴る"ようにしていた。また、正論である限りはいくら殴っても仕事が片付くのであればそれで構わなくて恨まれても結構、とまで開き直っていた節すらあった。

今、手がけている仕事では、正論でぶっ叩いても次から次へとトラブルが起きる、味方だと思っていた人にも結果として裏切られる。そんな事が続き、僕の精神状態が悪くなるのもあって、“怒ること自体が馬鹿馬鹿しくなった” 、そういう状態でここ数ヶ月は静かに今、自分が出来ることを淡々とこなしている。いくら理屈が正しくても、僕の仕事の分野では相手に合わせざるを得ない事が多々あるのだ。

怒りの感情そのものは、ある種、ガソリンのような麻薬のような、果実のような、その人にパワーを一時的に与えるものだと思う。結局、怒る人は、相手の事を考えて怒っているという姿勢の場合でも、“自分が怒りたいから怒っている”のだ。 無いと怒り無しでは仕事出来ないと思っている事のが根底にある。

ただの戯言かもしれない。ただ、僕はもう面倒くさいのだ。だから、なるべく後戻りをせず、効率を最大限に限られた時間の中で追求する。

2014年7月1日火曜日

ガードを上げて耐えろ

 ほんの1か月前まではうまく行っていたのだ。仕事を充分にこなし、目標に向かって努力出来ていた。なのに今ではそれが叶わない。日に日に募っていく無力感。息が上手く出来なくなって酸欠状態になりかけているようで、とにかく苦しい。

 今は倒れるわけにはいかないと言うのと、仕事も勉学も励まないと手遅れになるという二律背反な時期。しかしながら、もしかしたら自分の現状ではもうあと2週間も持たないのかもしれない。毎朝酷い気分で1日を始め、1日中ふさぎ込んでいるかイライラしているかのどちらかだ。頭も胃も痛く、周りが暑いのか寒いのかもよく分からなくなる。精神面が不安定なせいなのか理性のガードも下がっている気がする。怒りが自分に限られた状況でパワーを与えてくれると何処かで思っているのかもしれない。自分でもくだらないということや頭おかしいんじゃないの?と自分に対して思うような状況で怒りを発散している。

 元々、髪質的に白髪は無い方だったが、ここのところぽつりぽつりと出来始めた。単純にもう若くないということと、疲れも溜まっているのだろう。老い始めたということなのかもしれない。人生においても、順調に行ってももう後半戦だし、そうでないのならもう消化試合モードで敗戦処理をする時間。付き合いきれないと思う相手なら「一生やってろ!」と吐き捨てて自分が立ち去ればいいのだ。

耐えて耐えて反撃の機会を待つ

2014年2月12日水曜日

これが奈落の底なんだろうか

年明けからどうも精神状態がよくない。仕方ないと言えば仕方ない病気ではあるんだけれど…。職場の人にも、明らかに精彩を欠いた顔をしていると言われたし、体重も減り続けている。でも、今回の不調はこの辺で底を打ったような気もする。資格の勉強もずいぶんとサボってしまったけれど、今日から再開。無理をせず1日30分だけでも続けていけたら、と思う。

ほんの少しの他人との気持ちの良いやり取りでずいぶん気が楽になることもある。思うに独りという殻の中に閉じこもって“こじらせてる”感はある。ちょっとしたことで、そこまで深刻に考えなくてもいいのかもね。ただ、余計なことをしゃべってしまった時は相手よりも更に辛辣に批判してくる自分自身がいることも確かなわけで…。そういう時は誰の迷惑にもなっていないのかもしれないけれど、自己嫌悪のループだ。

一番大事なコトはキレイさではなくてバチっとくっつける溶接

仕事はやるべきことはやっているはずだけど、どこかで底が浅い内容にイラついてもいる。この漫画のコマのように、バチっとくっつけるというよりはただ見た目がキレイな仕事をただ数をこなしている。何だかんだでもう10ヶ月ほどそんなことをやっていて、まだ数ヶ月はこの作業が続きそう。腐っていても仕方ないし、これくらいで腐っているようでは、新たな道を切り開くなんて夢のまた夢だ。というわけで、目の前にある出来ることをその瞬間瞬間でこなしていくのみ。

2014年1月5日日曜日

目標

年が明けた。今年は長い戦いが待っている。今までの自分のスタイルには合わないことだが、「頑張らない、妙なやる気を出さない」ということを目標に仕事に取り組もう。やる気を出して、多くの仕事を片付けてきたつもりだが、昨年は体調も崩したし、のめり込めばのめり込むほど、自分の人間性が下劣になっていくような汚染されていくような気がしていた。一生懸命やるのは当たり前で結果を出してナンボと思っていたので、それが出来ない人に対してかなり敵対的で攻撃的な態度を取っていたのだ。少し、一歩いや二歩か三歩引くくらいで、少し引いたスタンスで取り組もうと思う。

己の心身の健康を最優先にして、仕事に穴を開けないというのも大事なことなのかもしれない。立ち止まって考えられるようになった、ということなのか、単に年を取って考え方が老成しつつあるのかもね。

年末年始の帰省では結局、肝心の父とは話が出来なかった。だが、父本人の口から「俺は今後、息子の人生に口を挟まない。」という言質を得ただけでも、昨年11月に手紙を書いて自分の両親に対する思いを伝えたことは“対決”として功を奏したように思う。何でもハッキリさせない方がいいこともあるのかもしれないね。ハッキリさせた瞬間に壊れてしまう関係もあるのだし。それで壊れてしまうような関係なら、無くて結構と思ってしまう自分は冷たい人間だ。

2013年12月27日金曜日

人には意思がある

人と動物の違いがあるとしたら、それは「意思があるかどうか」とよく言われる。世紀末覇者さんもそう言っていた。 非暴力と微笑みを「武器」として侵略者の略奪に抗わずに争いを避ける、それはもう人ではなく意思を放棄したただの動物だ。


バイクですごく速い先輩もそう言っていた。言われたから、で行動を起こすのは人間ではなくただの動物だ、と。


今は自分の持つ意思の力を信じたい、と思っている。意思こそが人を突き動かす原動力なのだと。何かを決める時、自分の意思で、どういう結末を招くかを覚悟した上で決める。今は、ある目標に向かって努力する、というのが俺の意思。人生に転機が思いがけず訪れることもあるだろう。自分が試されている、と感じるような厳しい瞬間が訪れることもあるだろう。その時に、何かを決めざるを得ない状況になって自分で決める。ただ、その時「逃げ」で道は選びたくないよね。


今の自分がどれほどの人間であるかをよく考えて、それからどんな人間になりたいのかをよく考える。あとはそのギャップを埋めるために努力する。また間違えたりすることもあるかもしれない。ただ、言い訳はしたくない。その為にも意思を持って決めていきたいのだ。そして、今は努力の為に孤独を感じるような状況かもしれない。だけど、俺にとって孤独は別に怖くない。それを孤高に昇華させればいい。

年を重ねるごとに、熱しやすく冷めやすい性格は、熱しにくく冷めやすい、という面倒な性格になってきた。それでも、砂をふるいにかけるようにして、残ったものが本物の意思であり、情熱の原動力だと思う。それが今は確かにある。それをしっかりと握りしめて、悪い結果が待っていることが分かっていても立ち向かおう。そう思った。

ただ、来年はもう少し人とうまく関われるようになりたい。

2013年12月13日金曜日

撤退

一昨日、今日と会社を休んだ。もう限界みたい。病院に行き、とりあえず1週間の休養が取れるように診断書を書いてもらった。戦略的撤退なのだと思いたい。このまま潰れるのではなく、少し休んでまた走り出すための充電期間だと。

仕事は待ってくれないし、全部キッチリ片付けてしまいたいし、またそうしないと気が済まない。結果、自分の容量を超えて仕事の負荷が上がる。また、仕事も集まってくる。だが、それもここまでだろう。線を引いて、一歩引かなければ、また3年前と同じことの繰り返し。こんな所で終わるのは正直、悔しい。だが、仕方ない。諦めろ、と自分に言い聞かせる。

2013年12月7日土曜日

仕事をやる理由

もともと理由なんてない。「それが仕事だから。」

最近よく「何故、そんな酷い状況でも仕事できるの?」と訊かれる。周りの環境だったり、俺自身の体調が酷かったり、というのが「酷い状況」という事なんだろうけれど、何故?と訊かれたら「それが仕事だから。」と答えるより他にない。

俺は別に誰かに認められたくて頑張ってるわけでもないし、評価されたいわけでもない。仕事は、自分の感情や周りへの期待なんてモノとは切り分けて取り組むべきだと思っている。その割には、ずいぶん一生懸命やってるとは思う。矛盾?よく分からない。

今の仕事は特段好きというわけでも嫌いでもない。ただ、面白味のような物はないな、とは思うけれど。人生の残された時間には限りがあるから、出来れば詰まらない事はしたくはないよね、とも少しだけ思う。

だけど、こういう思いもわざわざ他人に言う事ではないのだ。