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2021年10月1日金曜日

帚木蓬生の「閉鎖病棟」を読む

 

 帚木蓬生氏の著作の「閉鎖病棟」を読んだ。この本を手に取ったのは10年前に俺がとある精神科病院の閉鎖病棟に入院していたから、シンパシーによるものだ。 

 2010年の12月半ばから年末年始を挟んで翌2011年1月半ばまで、約1か月強、僕は精神科の病棟に入院していた。この時は、自殺の危険性が高い、ということで当時の主治医から入院を強く勧められて入院することになった。任意入院だったが 12月は空きが無く閉鎖病棟に、1月は空きが出来たとのことで半開放病棟に入れてもらった。

小説ほどの目立つ患者さんやイベントは起きなかったが、小説の世界は戦後~昭和4、50年代を舞台にしているように思える。方言や地名から舞台は福岡県太宰府市だと思う。福岡の出ではないが、僕も九州の近県の出身なので親戚の人や友人知人で福岡弁をしゃべる人もいて、登場人物たちの福岡の方言は懐かしく染み入るようだった。

昭和4、50年代の作中と平成の後半の自身の入院経験とを照らし合わせると病院の中の様子はほぼ似通っている、と感じた。ほとんどは統合失調症の患者さんが多く、1か月強で退院できたのも主治医から「うつ病の貴方は、あまり長く入院していると根が生える。」と言われたからだった。

読んでいて、心に留まった一節を抜き書きする。

 毎日黙々と掃除するドウさんと、薬草の自称専門家であるハカセがどうして同じ病名なのか、チュウさんには納得がいかない。ムラカミさんだって、ドウさんとハカセとは似ても似つかない人間ではないか。

 比較的最近入院してきた敬吾さんやクロちゃんも、おそらく精神分裂病ということになるのだろう。

 精神分裂病という病名は、人間を白人や黒人と呼ぶのと大して変わらないのではないのだろうか。白人にもさまざまな人間がいるように、精神分裂病にもさまざまな人間がいるのだ。

 そんなふうに考えてから、チュウさんは自分の病名をとんと気にしなくなった。黄色人種という呼び方と同じだと思い、それなら主治医もやはり黄色人種だろうに、と少しばかり可哀相になるのだった。

 作者は文中でこうも綴っている。

患者はもう、どんな人間にもなれない。秀丸さんは調理師、昭八ちゃんは作男、敬吾さんは自衛隊員、ドウさんは大工、キモ姉さんは芸者、ストさんは会社員、ハカセは医師、テシバさんは畳屋、という具合に、かつてはみんな何かであったのだ。おフデちゃんだって、働いたことはないが、内科医院のお嬢さんだった。

それが病院に入れられたとたん、患者という別次元の人間になってしまう。そこではもう以前の職業も人柄も好みも、一切合財が問われない。骸骨と同じだ。

 これも応えた。病院に入ると外界からは切り離される。ベルトや靴紐など首を括れる可能性のあるものは持ち込み厳禁だ。トイレットペーパーのホルダーまでトイレから無くなっていたのは吊る場所を無くすためだろう。つまり、それほどまでに患者の院内での事故(つまり自殺)を畏れて対処していると言える。

 主人公のチュウさんは、若い頃に統合失調症を発症しておそらく陽性症状が出て困った家族によって病院に入れられた。しかし、入院していた長い時間の間に法律が変わり、彼は任意入院ということになっていた。タイトルは閉鎖病棟だが、主人公のチュウさんやその周りにいる親しい秀丸さん、昭八ちゃん、敬吾さん、島崎さんは梅の花を見に外出している。チュウさんは、日中に町に出かけて夏みかんなど食べ物や日用品を買い物をし、多少のマージンを乗せて院内の患者達に売りさばいている。余った夏みかんを秀丸さんと一緒に食べているシーンが微笑ましい。症状が治まっていれば、精神疾患の患者とて、普通の1人の人間に変わりはない。ただ、この時代は家に置いておけない、村に町のコミュニティに患者である自分の家族を置いておけない、そんな家族側の都合も大きくあったようだ。

 終盤では、若い頃、自身の退職金で買った土地に建てた家で、母が長年住み亡くなった家にチュウさんは帰ろうとする。 30年入院していて一度も見舞いに来たことがなかった妹夫婦が病院に乗り込んできて、主治医にあれこれ理由を付けて、チュウさんを入院させたまま家に帰すまいと抵抗する。誰だって面倒ごとは嫌なのだ。そういう時代に比べれば、僕が入院した時も今も精神科の病棟も少しは社会との距離が縮んだと言えるかもしれない。

 当時の僕は休職して入院していたので、会社の上司も駅から近いわけでもないのに見舞いに来てくれた。当時の僕はまだ精神的に未熟で、疲れた顔をして髭も伸び放題のまま見舞いに来てくれた上司に会ったが、今思えば、もっと身綺麗にして会えばよかったと思う。それが他人に対する礼儀というものだ。上司からは外来と入院病棟が一体となった精神科を初めて見たようで「よくこういう病院を見つけたねぇ。」と言われた。当時の僕はいつか入院するのではないかという漠然とした不安から病棟がついた家からもそう遠くないこの病院に外来で通っていたのだ。 

 元気になって退院して外の世界で暮らしていると、あまり病棟に入院したいとは思わなくなる。食事もイマイチだったり入浴も週に2回だったり、毎食後、看護師さんの前で水の入ったコップを持って列を作って薬を受け取り、目の前で飲んでみせて口の中を開けてちゃんと飲んだことを示さないといけない生活が異常な世界に思えるからだ。しかし、病状が悪化してくるとあの閉じた世界で、守られた空間に戻りたくなる。そんな時はかなりまずいことになっているが、いつかまた、病棟に入る日が再び来るかもしれない。

2018年4月5日木曜日

行けるところまで行き然る場所で死ね

フランスのことわざにある言葉らしい。
Va où tu peux, meurs où tu dois.
江戸幕府に仏式戦術を教授していた軍事顧問のジュール・ブリュネが作中で挙げる言葉だ。

「維新と戦った男 大鳥圭介」(伊東潤:著)を読んだ。

伊東潤 『維新と戦った男 大鳥圭介』 | 新潮社

われ、薩長の明治に恭順せず――。幕府歩兵奉行・大鳥圭介は異色の幕臣だった。全身にみなぎる反骨の気概、若き日に適塾で身に着けた合理的知性、そしてフランス式軍学の圧倒的知識。大政奉還後、右往左往する朋輩を横目に、江戸から五稜

俺は「国を蹴った男」を読んで以来、氏の小説が好きで時々読んでいる。ここのところ、池波正太郎の真田太平記をはじめ、正統派歴史小説を読み続けてきたので、たまには新しい作家さんの本を読もうと買ってみた。

徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行い、佐幕派は恭順し天子様に弓を引くことはならない、と言いつつも実は我が身可愛さだけに逃げ腰になっている幕臣達と対照的な人物である、大鳥圭介をはじめ、榎本武揚、土方歳三たち、それと薩長連合からなる新政府と大鳥、榎本達との間に立つ勝海舟、各々がみんな義理を通して戊辰戦争で戦っている。そんな生き様が描かれている。日光、会津、函館と壮絶な戦いが展開され、最後は新政府軍の物量にどうしても勝てないせいで五稜郭に押し込められてしまう。当時の先進的なフランス式兵法に精通しているとは言え、実戦経験もない、榎本たちの軍艦よりも、新政府軍の方が数が多い等あって戦いは劣勢に傾いていく。先ほどのブリュネは日本の内戦なのに、フランス軍籍を抜けてまで大鳥、榎本たちと行動を共にする。(後に彼は五稜郭での決戦の前にフランス軍に収容され脱走兵として裁かれるが名誉を回復する。)

幕臣達にも言い分もあっただろうし、維新政府側にも言い分はあっただろう。(個人的には西郷隆盛は好きだけど、岩倉具視は好きになれない。)ずっと江戸幕府のままの統治体制で近代化すればよかったとも言えないだろうけれど、やはり当時の行政機関は徳川幕府であった訳で、幕府に所属しながら西欧の近代的な文明、軍事、医術そう言った学問を学んできた人材は幕府側に多かったのに、それを活かしきれなかったのは惜しかった。

あとは好きなセリフでは勝海舟の「これでもう鼻血も出ねぇ」だな。徳川幕府の金庫にあった黄金を榎本武揚に二十万両、大鳥圭介に三千両を渡した後のセリフ。逆さにしてももう鼻血の一滴も出ないくらいすっからかん、と言うことだ。江戸っ子なセリフが他にも多くてやることが気が利いてるものだから勝海舟は好きなキャラクターの一人だ。

伊東潤の小説は、従来からある歴史小説とちょっと違った視点で描かれることが多いように思う。国を蹴った男では、著名な人物の側に仕えるバイプレイヤー的な人物が描かれる。「峠越え」では徳川家康の伊賀越えを描いているが、家康も実は普通の人間だと思わせてくれて、新解釈もあり、読んでいて面白かった。

俺自身は、どこまで行けばしかる場所で死ねるかね?