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2014年5月26日月曜日

出願手続き完了

試験日程も発表になり、受験申込書の配布、出願の受付も始まったので、早速、手続きを済ませてきた。例によって漏れず、こういう出願時の受験料の納付は郵便局または銀行の窓口で行わなければならない。つまり、平日、仕事をしている俺のようなサラリーマンは休みを取って行く必要がある。ここのところ、仕事+自宅での勉強で疲れも溜まっていた為、思い切って1日休むことにした。手続き自体は30分もかからないけれど、どうせなら1日ゆっくり勉強に充てようと考えた為。

ちなみに、俺の目指す資格の受験事情にある程度、精通している人から「君の受ける試験なんて1ヶ月詰め込みで行けば楽勝でしょw」と言われた。母集団が専門分野の学生、または実務経験者で合格率20%前後(切っている年もある)なのに、楽勝とはいかないような・・。俺の知る限り、学生時代に5月の連休明けから勉強し出して8月の試験までに1日4~6時間、勉強して合格した友人ならいたが・・。彼は俺なんかよりも要領がよく特にこの試験で重要な理系科目に関しては俺よりも出来のいい人だった。ということで、1ヶ月で楽勝説はさすがに、真面目に受け止めないようにしよう。

自分では、学生時代に専攻を選んだ際も、ずっと先の未来まで考えて社会の役に立てる、と思って選択した分野ではある。しかしながら、一般の人々には理解を得るのは難しい分野だとも思う。現に俺の家族ですら毛嫌いする有り様だからね。親としては子にそういう危険な雰囲気の仕事はして欲しくはないのかもしれない。もう俺もいい年なので、気にしないけれど。自分で決断することに責任を持ってこそ、そのことに対して努力できるのだし、他人から言われてやりました、は俺にとっては一番、モチベーションが下がる原因でもある。いい年した男が「他の人の言う通りにしただけなんです。やる気ありません。」じゃカッコ悪いでしょ。

そういう理解されない分野に敢えて身を投じるということは、「独り」で頑張るしかない、ということだ。やるからにはキッチリ出したいよね、結果。これまで投入してきた時間と、モチベーションを考えたら、何としても合格を勝ち取りたい。

2014年5月11日日曜日

試験日程が発表になってた

資格試験の実施団体のウェブサイトによると決戦日は今年の8月20日(水)、21日(木)に決定した模様。ほぼ予想通りの日程。あと3ヶ月と10日ほど。時間は個人的には「無い」と焦りを感じる。1日6時間以上、毎日勉強出来れば、とも思うけれど、仕事をしながらなので、現実的には無理。拠って、平日は1日1時間、休日は1日6時間出来れば御の字じゃないか、と。

勉強していると1時間くらいあっという間に経ってしまって、その割に進捗が芳しくなく、範囲の広さと求められる理解度の深さに圧倒されて、ジリ貧と感じる今日この頃。でも、やるしかないよね。人は為すべきこと、今やれることを為すのみ。

どうすればいいかってひたすら過去問解くしかない
時間がある去年の11月から始めても、こんなもんで来年になったら受かるかというとそういう確証もないし、何より自分自身がそこまで持たない。一度の受験で確実に刈り取る。"ONE SHOT ONE KILL"それが今の自分のモットーだ。

2014年2月27日木曜日

知識こそ武器なり

昔とった杵柄とやらで、とある資格取得の為に学生時代に専攻していた学問を再び勉強している。当時は大学の教科書や問題集は解説が不親切でどうしてそうなるのかがよく分からないことが多かったが、今はインターネットで調べるとわりとどんな問題でも詳細な解説が得られたりすることが多い。

そして、知れば知るほどに半世紀以上も前にろくなコンピュータもなかった時代の偉人達の頭脳の素晴らしさと直感の鋭さに感心せざるを得ない。この分野ではノーベル賞が量産されていた時代でもあるものね。 目に見えないものを計測する。たとえばあるエネルギーをもつ光を金属などの物質にぶつけるとその構成原子から電子が飛び出す。光は波じゃなかったのか?なんてことを考えていた当時の人にとっては、何が何だかわけが分からないけれどそれは事実として存在する現象だ、とかそういう物だったのかもしれないね。この辺はいつか余裕があるときに、調べてみると面白そう。



扱う代物が代物なだけに付け焼刃の生半可な知識では却って足元を掬われるかもしれない。資格試験はおそらく8月下旬。あと半年だ。悔いのないように勉強を進めていきたい。時間はあるようで、もうあまり余裕はないはず。知識こそ武器なり、この言葉を信じて努力していこう。

2013年11月17日日曜日

人生の落とし前をつける

タイトルは遺書的な意味じゃなくて、珍しくポジティブな方向の話。

その後のマインドフルネスの継続によって、雑念は少しずつ取り払われ、今ではかなり病前に近い集中力を取り戻すことが出来るようになってきた。かつての武器だった集中力と意思が戻ってきた気がする。

落とし前、というのは自分がかつて目指した専門領域へ転向し、残された人生の時間と自分の能力をすべてそこにつぎ込むことだ。

バイクよりも もっとやっとくべきことが あるのじゃないか!?
今まで最優先としてきたバイクよりももっとやり遂げるべきことが見えてきた。 来年の夏にある国家資格を受験しようと考えて勉強を始めた。それだけでは、何ともならない気もするけれど、最低限、資格が必要という一定の条件を満たす場所ではどこでも働けるようになる。もちろん最終目標はそこではなく、もっと先。学生時代に専門としていたことで、今の会社には曲りなりにもそれと関連する分野で入社した。ところが、4月に他部門に異動、そして、仮にもし異動していなくても今の会社に居るままでは、当初考えていたことは出来ないことに気が付いた。とりあえず、今後1年以内に今後の人生を決める為に動いて努力して行こうと思う。人生は長いと思っていても、終わる時は終わる。出来れば納得のできるように生きていきたい。

もうひとつケリをつけるべきことについては、両親との対峙。対峙と言っても、落ち着いて話して最終的に和解を目指すことが出来れば、それくらいの思い。今まで抱えてきた鬱屈している思いをなるべくマイルドに吐き出して、両親と対話を行い最終的には和解を目指すこと。たぶん、「家族」に戻れるとしたら最後の機会だろうね。今日は、長文だったけれど、両親に対して自分のこれまでに感じてきた思いと、これからの自分がどうしたいかについて、努めて冷静な文章で手紙を書いてみた。よく考えたら、両親に改まって手紙を書くのは今回が初めてのことだ。またひと波乱あるかもしれないが、今後、自分の人生を主体的に切り拓いていく意思と決意を見せられたら、そう思ってペンを取ってみた。先ほど投函したので明後日には二人の手元に届くだろう。

もともと、俺のかつての専門分野に大学入学で進んだ際も両親には物凄く反対された。当時は丸め込まれて折れそうにはなったけれど、最終的には自分の意思を通した。今まで、何かを自分の手で選ぼうとする度に反対されてきた記憶しかないような気がする。しかし、俺が4月に元の専門と関係ない部門に異動になって、両親は、特に二人のうち母は安心しているようだ。出来れば、今後、一生関わらないで欲しい分野だとも思っている模様。

しかし、自分の本当にやりたいこと、そして社会やそこにいる人々の役に立てるのは学んだ専門分野だ。結局、良い意味でも悪い意味でも俺はシロートなんだと思う。仕事だから、誰しもがやりたいことをやれるわけじゃないのだから、と割り切っていけない。単なる薄甘い理想論なのもしれない。でも、不器用ながらも「変えられない自分の生き方」なんだと思いたい。