2013年11月17日日曜日

人生の落とし前をつける

タイトルは遺書的な意味じゃなくて、珍しくポジティブな方向の話。

その後のマインドフルネスの継続によって、雑念は少しずつ取り払われ、今ではかなり病前に近い集中力を取り戻すことが出来るようになってきた。かつての武器だった集中力と意思が戻ってきた気がする。

落とし前、というのは自分がかつて目指した専門領域へ転向し、残された人生の時間と自分の能力をすべてそこにつぎ込むことだ。

バイクよりも もっとやっとくべきことが あるのじゃないか!?
今まで最優先としてきたバイクよりももっとやり遂げるべきことが見えてきた。 来年の夏にある国家資格を受験しようと考えて勉強を始めた。それだけでは、何ともならない気もするけれど、最低限、資格が必要という一定の条件を満たす場所ではどこでも働けるようになる。もちろん最終目標はそこではなく、もっと先。学生時代に専門としていたことで、今の会社には曲りなりにもそれと関連する分野で入社した。ところが、4月に他部門に異動、そして、仮にもし異動していなくても今の会社に居るままでは、当初考えていたことは出来ないことに気が付いた。とりあえず、今後1年以内に今後の人生を決める為に動いて努力して行こうと思う。人生は長いと思っていても、終わる時は終わる。出来れば納得のできるように生きていきたい。

もうひとつケリをつけるべきことについては、両親との対峙。対峙と言っても、落ち着いて話して最終的に和解を目指すことが出来れば、それくらいの思い。今まで抱えてきた鬱屈している思いをなるべくマイルドに吐き出して、両親と対話を行い最終的には和解を目指すこと。たぶん、「家族」に戻れるとしたら最後の機会だろうね。今日は、長文だったけれど、両親に対して自分のこれまでに感じてきた思いと、これからの自分がどうしたいかについて、努めて冷静な文章で手紙を書いてみた。よく考えたら、両親に改まって手紙を書くのは今回が初めてのことだ。またひと波乱あるかもしれないが、今後、自分の人生を主体的に切り拓いていく意思と決意を見せられたら、そう思ってペンを取ってみた。先ほど投函したので明後日には二人の手元に届くだろう。

もともと、俺のかつての専門分野に大学入学で進んだ際も両親には物凄く反対された。当時は丸め込まれて折れそうにはなったけれど、最終的には自分の意思を通した。今まで、何かを自分の手で選ぼうとする度に反対されてきた記憶しかないような気がする。しかし、俺が4月に元の専門と関係ない部門に異動になって、両親は、特に二人のうち母は安心しているようだ。出来れば、今後、一生関わらないで欲しい分野だとも思っている模様。

しかし、自分の本当にやりたいこと、そして社会やそこにいる人々の役に立てるのは学んだ専門分野だ。結局、良い意味でも悪い意味でも俺はシロートなんだと思う。仕事だから、誰しもがやりたいことをやれるわけじゃないのだから、と割り切っていけない。単なる薄甘い理想論なのもしれない。でも、不器用ながらも「変えられない自分の生き方」なんだと思いたい。