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2021年11月25日木曜日

抑鬱状態に苛まれる「俺が何したって言うんだよ。」


  10日ほど前から、いや、11月に入ってから少しずつ調子が悪くなってきている。特にこの10日間で加速度的に精神状態が鬱状態に傾いていっている。瞑想やジョギングは夏から続けていて(瞑想は少しサボり気味ではあったが)、これは俺の精神を少しでも健全に保つツールだとも思っていた。ジョギングは純粋に走るのが楽しいと言うのもあったのだけれど、今はあまり走りたいとも思えないし、無理やり着替えて準備運動して嫌々外に出て走り始めて…だいたい5㎞を超えれば頭の中が空っぽになってくる。でもちょっと辛い。瞑想はネガティブな雑念が次々と浮かんできて、煩悩だらけでうまく行かない。

 こういう鬱状態に陥る度に思う。「俺が何したって言うんだよ。」 

問うても誰も答えてはくれないのだが。精神疾患も患者の人それぞれで症状も千差万別でしょう。薬の相性もある。Aという薬がある人にはとてもよく効いても、そのAが俺にもよく効くという保証はどこにもない。また薬を増やしたり減らしたりしたからと言って、それで症状が良くなったり悪くなったりするようなものでもない。人間の精神はそんなデジタルなものじゃない。薬を減らして悪くなっても、じゃあまた増やせばいいじゃん、ということでは解決しないことの方が多い。

この病気さえ患わなければ、俺はもっと色々なことが出来ていただろう。そう思うことがよくある。仕事上の評価は分からないけれど、趣味や好きだったことも出来なくなっているようなことはなかっただろう。今となっては無意味な後悔だけれど、人間関係ももっと繋がりを保っていたかもしれない。友人ももっと残っていて、恋人と結婚したりもしていたかもしれない。

鬱病は罹患する人数が多いせいか、遺伝しない、と言われているが、俺はこれはポリティカルコレクトネス的なものだと思っている。俺の鬱は23歳の春から始まった。しばらくは毎年春になると鬱が悪化していたので、春=死のイメージが付きまとう季節だった。 統合失調症や双極性障害は思春期から青年期に発症する人が多いと聞く。鬱病に関しては40代~50代になって初めて発症する人が多いとも。俺のように青年期に発症した人間はやはり、前者の統合失調症や双極性障害的な発症に近いのではないか?そして、こういう精神疾患はもし子供が出来たら遺伝するのではないか?そんな風に考えている。

23歳から耐えて、29歳でとても大きな強い希死念慮に襲われて精神科病棟に入院。その後、別の心療内科でやっている復職のためのデイケアに通い、実践できそうな心理療法などを教えてもらう。その中でマインドフルネス瞑想が自身の好きなオートバイで走っている時の感覚に近い感覚を得られることから、断続的にではあるけれど続けてきた。精神的に好調な時は運動もするようになった。有酸素運動でストレスを浄化するのだ。しかし、いざ精神的に不調に陥るとこれらのことは役に立たない。薬を飲んで、少しでもよく眠り、体を休め嵐が去るのをひたすらじっと耐えて待つしかない。そして40歳の今もまた鬱の嵐に襲われている。

 そんな嵐の中で独り言ちるのだ。「俺が何したって言うんだよ。」

2019年7月29日月曜日

一日一日を切り抜けて行った後に振り返った時にしか人生はない

人間は過去に行ったことで悔い、起きていない未来のことで心配する。将来はどうするべきだ、何を考えている?なんて問いかけもそう言った類のものだ。だが、一日一日を過ごして行って、それを積み重ねていった先に、その地点から過去を振り返ってそれがやっと”人生”になるんだと思っている。そういう意味で、僕は出来る限りその日その日をよりよく生活していきたい。うつ病になってから、健康な人なら2割くらいの力で出来てしまうんだろうな、ということも7割くらい力を使って何とか切り抜けているけれど、それでいいんだと思う。もうこの先、寛解はあっても完治はないのだし。その時その時を自分で出来る精いっぱいのことをやって過ごして行く。そのためになるべくより良き生活者でいたいと思う。

30代も終わりが見えてきて、取り戻せなかったメンタルヘルス、心を病んでいなければ送れたかもしれない人生、うつ病が治ればしたいこと、考える時はあるけれど、だんだんと体も老いが始まっているのを感じる。仮定の話だけれど、病気が治っても健康だった20代前半の状態に戻れることはもう無いんだ。抗うつ薬の副作用で太った、たぶんそういう面もあるけれど中年太りもある。記憶力が怪しくなった、これも病気のせいだけではなくて、老いて頭の回転が鈍っているのもある。今後、何かよほど運動でトレーニングする、少しずつでも勉学に励む、そんなことをして抗うことは出来るかもしれないが、老いは進んでいく。

以前に、うつ病の症状で頭がよじれるほど悩んで苦しんでいることが無くなったら、自分という要素が何割か欠けてしまうんじゃないだろうか、と考えていたことがある。今の僕は10年ほど前に比べると激しく悩み苦しむことは少し減ったように思う。だが、その反面、持っていたエネルギーも失い、虚ろになってしまった感じがする。

今は積極的に死にたいとは考えなくなった。だけど、いくつまで生きていられるのか、老齢になって他の精神疾患を抱えていない人よりも早く認知に問題が出てしまうのかなぁ、とか、やはりうつ病によって自分の手で人生を終わらせてしまうのかもしれないなぁ、とか思うことはある。だけど、自分の死については誰も予見できないだろうから、僕は一日日一日をなるべくより良く生きていきたいと思う。

2016年4月23日土曜日

今ひとつの恋が終わりました

ここまでのあらすじも何もないけど、タイトル通り、先ほど一つの恋が終わりました。孤男を名乗っておきながら、彼女いました。さっきまで。先月の下旬から死にかけるほどの鬱状態だったのは前の記事の通りなんだけど、実は(元)彼女も同じくらいのタイミングで、色々しんどかったらしい。落ち着いたらまた連絡する、そう言われて、自分も大変な状況だったので、こちらからも連絡をしなかった。10日に一度連絡が来る。会って話すことも電話も出来ない、文字のやり取りだけ。皮肉なことに別れるさっきまでのやり取りが一番メールのやりとりは多かった。

もともと、メールの少ない人ではあった。それは別に不満ではない。ただ、そういう性質の人だと思って合わせていけばいい、そう思っていたから。僕は自分が好ましいと思う相手(男女、友人、恋人問わず)の鏡のように振る舞うことが多い。メールなんかはその最たるものかもしれない。文体というよりも絵文字が多ければ増やすし、無ければこちらも使用しない。自分が無い。そうかもしれない。

もう今更何を言っても相手には届かないので、ここで愚痴ってみる。勝手に決めて、相手の意見は受け入れずにハイさようなら、じゃ困るんだよね。そっちは納得済みなんだろうけどさ。向き合うのはもう嫌だ、終わったことに割く労力はあいにく用意していない、そんなところなんだろうが、僕はそういう女性の振る舞いは誠意が無いと思ってしまう。

ただ、相手にはこれまで時間も気持ちもつぎ込んでもらって、一緒に時間を過ごした訳で、そこは感謝したい。今までありがとう。そう最後にメールに書いて送信した。

2015年8月8日土曜日

何だか体調がおかしい

気力が萎えてるというのはいつものことだが、頭痛やめまい、耳鳴り、手の震えが出ている。月曜からおかしかったが仕事は山場だったので何とか会社まで行ってきた。

睡眠を意識して多めにとっても目が覚めて数秒後には治ってないことがすぐ分かって絶望する。これはメンタルな不調というよりフィジカルな不調なのでは…。うまくは表現出来ないけど血圧高くなって頭の血管がぶちーんって切れる手前みたいな感じ。

調子が悪いから考えが悪い方に行くというわけではないが、自分のやること為すこと全て裏目に出ていないか?去年は資格の試験を受け、異動前は何とか仕事も一区切りつけたつもり。転職活動も内定は取れた(断ったのだけれど)。今の会社が何だかおかしな状態になってしまって、社外の友人知人からお前の会社大丈夫?と面白半分に効かれたり、根拠のない大丈夫だよ!という励ましも辛くなってきた。