2014年12月24日水曜日

レベルを上げて正論で殴っても仕事は片付かない

普段の自分の性格はともかく仕事の時は僕は気が短い。プライベートでは“のんびりしてる”、とか“温厚”とか言われる事が多い気がしているけど、これは多分、後天的な性格で持って生まれた性分は短気なのだと思う。遺伝はあまり信じたくないが父方の祖父、父がとても気が短い。それをマスクするように穏やか(に見える)な性格を意図せず作ってきたのかもしれない。

タイトルは、あるゲームの用語で“レベルを上げて物理で殴ればいい”という言葉をもじったモノだけれども、以前の僕は仕事上で如何に自分に落ち度を作らずに片付け、相手に非がある時には"正論で殴る"ようにしていた。また、正論である限りはいくら殴っても仕事が片付くのであればそれで構わなくて恨まれても結構、とまで開き直っていた節すらあった。

今、手がけている仕事では、正論でぶっ叩いても次から次へとトラブルが起きる、味方だと思っていた人にも結果として裏切られる。そんな事が続き、僕の精神状態が悪くなるのもあって、“怒ること自体が馬鹿馬鹿しくなった” 、そういう状態でここ数ヶ月は静かに今、自分が出来ることを淡々とこなしている。いくら理屈が正しくても、僕の仕事の分野では相手に合わせざるを得ない事が多々あるのだ。

怒りの感情そのものは、ある種、ガソリンのような麻薬のような、果実のような、その人にパワーを一時的に与えるものだと思う。結局、怒る人は、相手の事を考えて怒っているという姿勢の場合でも、“自分が怒りたいから怒っている”のだ。 無いと怒り無しでは仕事出来ないと思っている事のが根底にある。

ただの戯言かもしれない。ただ、僕はもう面倒くさいのだ。だから、なるべく後戻りをせず、効率を最大限に限られた時間の中で追求する。

2014年12月16日火曜日

燃え尽き症候群

去年の冬から勉強を始め準備してきた資格試験が不合格に終わって、燃え尽きている。かなりのエネルギーと時間を注ぎ込んで勉強したので、久々にキツいが充実してるという感覚を味わったが、代償は大きかった。やはり燃え尽きたのだ。

ただ、折角ここまで勉強したのだから、という思いはある。と同時に精神的に不安定な状態を招いて仕事に影響するリスクを負ってまでやることか?とも思う。不合格になったのが分かった直後はともかく最近まで再受験は止めようと思っていたので、こうして悩むのは受験に対するモチベーションが少し出てきた、ということなのかもしれないけれどね。

先日、大きな書店に行ったら資格試験の過去問題集が売られていて今年受験した問題と解答が既に反映された新しい版の物が出ていた。ここで止めれば何も残らないし、再受験しようと受かるまで続ければ資格を手に入れられる可能性は高くなるだろう。年末年始、少しよく考えてみようと思う。

2014年12月13日土曜日

ローン繰り上げ返済

最近、買い物をしていて、やっぱりと思ったこと。払う時に「あぁ、勿体ない。」みたいな感覚が自分には薄いということ。残念ながら僕の金銭感覚はあまりよくないんだと思う。それでも休職してた間から復職してこれまでに、色々と自分なりには考えてみた。「お金は使えば無くなる」し、裏を返せば、「お金は使わなければそのまま残る」。よって、日常的に出て行く「固定費」を減らすのが貯めるよりも先決だろう、とは思った。

バイクのローンがまだ2年ほどあった。これまで乗り物は全てローンで買っていた。あと残額がいくらか、というのは計算していたんだけど、どうせ「金銭感覚の薄さ」があるのなら逆手にとって、一気に返してしまおうと思った。繰り上げ返済しても今なら窮するほどにはならない状況だったし、気分もここ数ヶ月は鬱々としていて欲しい物が特段あるわけでもない。とりあえずローン会社に電話してみて、繰り上げ返済の計算をしてもらってそのまま振込してきた。ちゃんと完済証明書も送ってもらうようにした。

ローンについては色んな考え方があると思う。払えるけど敢えて組む、という人もいるだろうし、僕みたいにやはりただの「借金」だと思う人間もいる。これまで毎月払っていた支払額は生活費には当てずに余剰分として貯める方向で頑張って行こうかと思ってる。

2014年12月9日火曜日

今日は君が死にたいと言ったから休職記念日

去年も似たような記事を書いているけど、休職をしてから4年が経過。どうしていいか分からないような死ななきゃ!そうだ死のう!みたいなぐるぐる渦巻いている思いと変に高いテンションでかなりエネルギーがあったのは覚えている。今とは真逆だ。

仕事も手につかなくなってどうしようもなくなって、家に帰ってから精神科の主治医に診てもらってもう危ないから、出来れば速やかに入院しましょう、と。色々と手続きがあるから、ということでそのまま帰宅してまた身支度してから日を改めて入院しに来ます、ということで帰った。何も予定もない時間が少しできたので、バイクで海を見に走りに行って冬の穏やかな晴れた日の中、目の前の海を眺めてたのを覚えている。

基本的に入院とは言っても特殊なことをするわけではなくて、外界と自分とをシャットアウトするのと、うつ病の場合は自殺の危険が高いから独りにして放っておくと自殺を図りそうな人を保護する為なんだと思う。入院する時は、携帯電話の持ち込みは出来なかったし、ベルト、靴ひも、服のウェストの紐等、首を吊れそうな物は全て没収された。持ち物に全部名前も書かされたなぁ。

今にして思えば、随分と特殊な環境だったように思うが、入院初日はここが貴方のベッドだから、と大部屋で、普通の病院では考えられないくらい人数の多い病室へ案内されて、食事や服薬、病院内の決まった約束事のある時以外はゆっくり自由にしていていいと言われた。制約はあるものの、自分が保護されて安全な場所にいると思えた。

あれから4年経って、仕事にも復帰して多少の制限はあり、無理は効かない身体、というより精神、になったが、何とか働きそれなりに人の役に立ち、給料をもらえて暮らすことが出来ている。しかし、こういう節目の日にはやはり、あの時、下手したら死んでたのだなぁ、と思うこともあるし、このまま何時まで生きていていいのだろう?と自問することもしばしばある。

2014年10月20日月曜日

資格試験 不合格顛末記



資格試験の勉強に8か月近く励んできたわけだけれども不合格。試験は8/20,21の2日間、合格発表は10/20の今日だった。ニッチな資格だけど、国家資格なので受かれば官報に受験番号と名前が載る。合格率は約25%だった模様。隣の席の人は受かっていて、前後の席及び自分自身も不合格だった。

どういう資格かは画像を見てもらえれば分かると思うので文字では書かない。
・筆記に受かったら5日間の実技講習を受ける権利がもらえる
 (試験合格だけでは資格取得にならない)
・合否要件‐各科目の取得点数が5割を超えていて、かつ、総合で6割を超えていること。
・受けようと思ったきっかけ‐学生時代の専攻と密接に関連しているので自分なりにケリをつける為。(仕事に活きるというのよりも取ることが専門家としてのスタートラインだと思った)

1種と2種があって学生時代に2種を申し込んだことはあったけれど、投げ出したのでずっと心の中で負い目だったというのはあったかも。会社に入って8年、手計算で試験勉強するのは10年ぶりくらいだった。最初は筆算もおぼつかないレベルだったけれど、少しずつ取り戻しては行った気がする。科目も6科目あるけれど、全て微妙にリンクしていて、唯一リンクしてないのが法令かと思っていたけれど、法令も出てくる数値なんかは他の科目の内容としっかりリンクしている。

3月の終わりくらいから勉強時間の記録アプリで記録し始めた。試験が終わった時点で160時間くらいの勉強時間だったので、記録していないけどあまりはかどらなかった冬の間を考えると総合200時間くらいの勉強時間だったのではないかな、と思ってる。今、思うのは300時間程度の壁が合格ラインなんじゃないかと。

平日の試験日に2日も休ませてもらえた職場には感謝しなければいけないし、ただ取っても会社の為になるかは微妙だけれど、学生時代にずっとやっていたことを改めて一から勉強し直して楽しい、と思えたのは収穫だったかも。30代になったら、もう勉強できない、ってのは少なくとも無いと思った。ただ、ずっと机に向かっていると肩とか腰は痛くなるのは10代の頃と比べて回復力が落ちていてダメージは大きい。

これ以上、今年度は努力できたか?と言われるともう無理だったとは言えると思う。その上での不合格だったので仕方ない。本当に自分の実力不足。

ダルビッシュが確か言ってたっけ。「間違った努力は簡単に人を裏切る」。多分、努力の方向性でもっと改善できるポイントはあったはず。そこが反省点かな。

苦労や努力する「だけ」が尊いのではない、限られた時間の中でやるのなら特に「間違えない方法」で努力を積み重ねないと結果はついてこない気がします。(受かってから言えよ、って話なんだけど。)

来年も受けるか?うーん、ちょっと迷ってる。とても疲れたし、少しゆっくりしたい、そう思ってこのまま時間が過ぎそうな気もする。今は無理せずやる気が満ちてくるのを待とう。試験は1年に1回は必ずあるので、逃げないし。

2014年8月15日金曜日

試験まであと1週間を切った

資格試験まであと1週間を切った。合格要件は6科目中全ての科目で5割を超え、かつ全ての科目の合計が6割を超えること。1科目だけ不安な科目があって5割届くかどうか怪しい科目があったが、会社の夏休みで勉強時間を確保できて、何とかなりそうな目途がついてきた。まだ実際に試験を受けてみないと何とも言えないけれど、過去問を解いた感触からはある程度の手ごたえを感じる。約4年分の過去問を解いたけれど、5年分、欲を言えば7年分は解いて臨みたかった。

大学を卒業してこれだけ長期間勉強しているのは、ひょっとしたら大学受験の時の受験勉強以来ではなかろうか。何だか勉強するのも楽しくなってきたのもあるし、逆に言えば、この資格は試験にパスした後に実技講習を受ける権利がもらえるだけで、その講習がやはり大事なこと、そして実際に資格を生かした仕事の場合は、資格を取ってからが始まりでまだまだ学ぶことは多いと思う。資格を生かした仕事というのはそれだけ責任の伴うことなのだ。

去年の11月から勉強を始めて、今、振り返れば、正直、最初の3ヶ月くらいは錆びついた頭の錆落としの作業がメインで力が付き始めたのはやはり4月以降の勉強によるところが大きい。(とは言っても落ちたらお笑いではあるんだけど・・。)ずっと学生時代の頃からの心残りだった資格。それを割と言い訳抜きで、趣味の時間もかなりセーブしてストイックに打ち込めたのは結構満足ではある。あと少し、最後のスパートをかけて試験に臨もう。そして願わくば一発合格したいものだね。

2014年7月1日火曜日

ガードを上げて耐えろ

 ほんの1か月前まではうまく行っていたのだ。仕事を充分にこなし、目標に向かって努力出来ていた。なのに今ではそれが叶わない。日に日に募っていく無力感。息が上手く出来なくなって酸欠状態になりかけているようで、とにかく苦しい。

 今は倒れるわけにはいかないと言うのと、仕事も勉学も励まないと手遅れになるという二律背反な時期。しかしながら、もしかしたら自分の現状ではもうあと2週間も持たないのかもしれない。毎朝酷い気分で1日を始め、1日中ふさぎ込んでいるかイライラしているかのどちらかだ。頭も胃も痛く、周りが暑いのか寒いのかもよく分からなくなる。精神面が不安定なせいなのか理性のガードも下がっている気がする。怒りが自分に限られた状況でパワーを与えてくれると何処かで思っているのかもしれない。自分でもくだらないということや頭おかしいんじゃないの?と自分に対して思うような状況で怒りを発散している。

 元々、髪質的に白髪は無い方だったが、ここのところぽつりぽつりと出来始めた。単純にもう若くないということと、疲れも溜まっているのだろう。老い始めたということなのかもしれない。人生においても、順調に行ってももう後半戦だし、そうでないのならもう消化試合モードで敗戦処理をする時間。付き合いきれないと思う相手なら「一生やってろ!」と吐き捨てて自分が立ち去ればいいのだ。

耐えて耐えて反撃の機会を待つ

2014年6月6日金曜日

There's no place for me to come back...

帰れる場所なんて無い、というのが表題。宙ぶらりんな状態だ。資格を取ろうと勉強していることも、実は今の仕事から逃げ出したい為に自分を誤魔化しているだけなのかもしれない。実家は既に自分にとっての「帰るべき場所」ではないんだな…と思う。捻て言う訳じゃないけれど、他の人が親孝行したい、とか言っているのは俺には正直、ぴんと来ない。何でだろうね?確かにいつも「子は親に対して借りがある」から貸しを返せみたいな態度で接せられて、時にはこちらの人格を根こそぎ否定するようなことを言われてトラウマを植え付けられたり、自分の中では両親は俺にとって「家族に非ず」、と認識しているのか…。いい年して情けないような気もするけど、考えるほど分からなくなっていくし、何処かでスレ違ってしまって、もう二度と取り返せない?それとも最初から存在しなかった?親子の情愛なんてものは?今は試験勉強を言い訳に実家に帰れる時も帰らないようにしている。

俺は自分の人生の終わりは両親よりも早く来るんじゃないかなと漠然と何処かで思っている。資格を取ること=新しい人生の幕開け、みたいには表向きには言っているけれど、さすがにそこまで能天気じゃない。今とは違う仕事が出来る可能性があるけれど、俺自身はすっかり冷めている。何がこうさせた? 情熱の塊だった自分自身は何処へ行った?建前では、人々の役に立ちたいなんて「自己犠牲」の体でやっているけれど、本当は自分の思う通りに仕事が進まないことに対して単に癇癪を起してるだけだろう?自分ではどこかで分かっていて誤魔化している。別に崇高な理念の下に努力しているわけじゃない。過去の自分の決断を正当化する為の「偽善」であり「自己欺瞞」だ。

俺は何をしたかったんだ?そして、今、本当に望んでいることは何だ?逆に一番やりたくないことは?まだ何でも出来ると思っている?俺は俺自身がもう分からない。

去って行った人は二度と振り向かせることは出来ないし、失ったモノは二度と取り返すことが出来ない。俺はそうして自分の手からこぼれて行ったもの達を黙って見ているだけだ――

2014年5月26日月曜日

出願手続き完了

試験日程も発表になり、受験申込書の配布、出願の受付も始まったので、早速、手続きを済ませてきた。例によって漏れず、こういう出願時の受験料の納付は郵便局または銀行の窓口で行わなければならない。つまり、平日、仕事をしている俺のようなサラリーマンは休みを取って行く必要がある。ここのところ、仕事+自宅での勉強で疲れも溜まっていた為、思い切って1日休むことにした。手続き自体は30分もかからないけれど、どうせなら1日ゆっくり勉強に充てようと考えた為。

ちなみに、俺の目指す資格の受験事情にある程度、精通している人から「君の受ける試験なんて1ヶ月詰め込みで行けば楽勝でしょw」と言われた。母集団が専門分野の学生、または実務経験者で合格率20%前後(切っている年もある)なのに、楽勝とはいかないような・・。俺の知る限り、学生時代に5月の連休明けから勉強し出して8月の試験までに1日4~6時間、勉強して合格した友人ならいたが・・。彼は俺なんかよりも要領がよく特にこの試験で重要な理系科目に関しては俺よりも出来のいい人だった。ということで、1ヶ月で楽勝説はさすがに、真面目に受け止めないようにしよう。

自分では、学生時代に専攻を選んだ際も、ずっと先の未来まで考えて社会の役に立てる、と思って選択した分野ではある。しかしながら、一般の人々には理解を得るのは難しい分野だとも思う。現に俺の家族ですら毛嫌いする有り様だからね。親としては子にそういう危険な雰囲気の仕事はして欲しくはないのかもしれない。もう俺もいい年なので、気にしないけれど。自分で決断することに責任を持ってこそ、そのことに対して努力できるのだし、他人から言われてやりました、は俺にとっては一番、モチベーションが下がる原因でもある。いい年した男が「他の人の言う通りにしただけなんです。やる気ありません。」じゃカッコ悪いでしょ。

そういう理解されない分野に敢えて身を投じるということは、「独り」で頑張るしかない、ということだ。やるからにはキッチリ出したいよね、結果。これまで投入してきた時間と、モチベーションを考えたら、何としても合格を勝ち取りたい。

2014年5月11日日曜日

試験日程が発表になってた

資格試験の実施団体のウェブサイトによると決戦日は今年の8月20日(水)、21日(木)に決定した模様。ほぼ予想通りの日程。あと3ヶ月と10日ほど。時間は個人的には「無い」と焦りを感じる。1日6時間以上、毎日勉強出来れば、とも思うけれど、仕事をしながらなので、現実的には無理。拠って、平日は1日1時間、休日は1日6時間出来れば御の字じゃないか、と。

勉強していると1時間くらいあっという間に経ってしまって、その割に進捗が芳しくなく、範囲の広さと求められる理解度の深さに圧倒されて、ジリ貧と感じる今日この頃。でも、やるしかないよね。人は為すべきこと、今やれることを為すのみ。

どうすればいいかってひたすら過去問解くしかない
時間がある去年の11月から始めても、こんなもんで来年になったら受かるかというとそういう確証もないし、何より自分自身がそこまで持たない。一度の受験で確実に刈り取る。"ONE SHOT ONE KILL"それが今の自分のモットーだ。

2014年4月30日水曜日

4月の勉強時間

前にも書いた通り、俺はある国家資格を取りたくて勉強している。学生時代の専攻分野だ。多分、受験者の中では割と早いスタートを切ったと思うものの勉強時間を「見える化」して把握したいと思っていた。同じ資格を勉強して取得した人のブログを見てると「Studyplus」というアプリで管理できることが分かったので、さっそく3月末から導入している。言ってみればSNSのようなもので、1時間勉強すると誰かがイイネ、って押してくれる。そして、教材もAmazonから引っ張って来れるので、市販の本を利用するならば特に困らないし、自分オリジナルの教材を登録することも出来る。

というわけで、このアプリを使って4月は月50時間以上を目標にかかげて、平日も週末もとりあえずなるべく毎日勉強し続けた。というわけで記録を公開。月末の連休もあって、ラッシュで34時間。まだまだだな。問題はきちんと試験の過去問が解けるかどうかの方が大事なので、時間にこだわり過ぎても意味はないのだけれど、これだけやった、という達成感は大事。

4月週ごとの勉強時間

今月は目標50時間に対して34時間だった

試験まであと4ヶ月を切ったわけで、50時間以上勉強しても最高で200時間。意外と時間はない…。とにかく過去問を解いて、前に進むのみ。


過去問題集も結局、オーソドックスに左の問題集を使うことにした。テキストと解説がリンクしていて見やすいんだよね。5月もまだ連休中にラッシュかけて進むつもり。

2014年4月4日金曜日

独り花見

桜は嫌いだ、なんて話を書いておきながら、近所の川の土手にたくさん桜が植わっているので、独り酒を手に夜桜見物。昼間はこの辺りも花見をしに来る家族連れやカップルで混みあっていて、とても来る気にはなれないのだけれど、夜に交通の便もよくないこんなところにわざわざ来る酔狂な人間は僕くらいしかいないのだった。誰にも見つからず1人で眺める桜は悪くない。お巡りさんに見つかったら職務質問コースだろうか。


ちょうど、土手に降りる階段があり、そこで桜の真下に座って眺めることが出来るので、陣取り持ってきた酒を開け桜を見ながら晩酌開始。花見酒。つまみもいらないし、酒もコンビニで買ってきたもので安上がりな人間だ。最近は、めったに酒は飲まなくなったけれど、たまにはこういうのも悪くはないかも。夏に星を見にここで眺めるのもいいかもね。

他の桜も見ようと夜の河岸を歩いてみて、結局、この場所が一番、桜に近くて戻ってきた。花冷えのする夜だが、酔いが回り、このまま寝てしまいそうになる。


夜景撮影は光量が少ないから難しいね。だけど、これは個人的にはよく撮れたお気に入り。

来年の桜を眺めるのが、楽しみになるか嫌でたまらないかは、今後の自分の頑張りと成長にかかっているのかもしれない。

2014年3月18日火曜日

人身事故

いつものように会社での仕事を終えて、職場で定時のチャイムのあとに1時間ごとに鳴るチャイムの2回目がなる時間。俺は席を立って帰路についた。そして、いくつかある自宅までの乗換駅のうち、最後の乗換駅で電車を待つ。よく乗ることが多いダイヤの急行列車の便だ。どこだとは書かないけれど、隣の駅は各駅停車しか停まらない駅でこの電車は急行なので通過する。家まであと少し。そう思いながらドアの近くに立って、外を眺めていると、急激なショックというほどではないが、電車が通過するはずの駅で停車した。

「え?なんで?」

音楽を聴いていたイヤホンを外すと車内が少しざわつき始めている。ここで電車の車掌さんからアナウンスが。「当列車において人身事故が発生しました。」と。繰り返される説明。復旧までにはしばらく時間がかかりそうなこと。とりあえず、このままお待ちください、というアナウンス。少し様子を見ようと空いている席を見つけて座る。隣の若い2人組がアナウンスを聞いて言う。

「車掌さん、声が震えている…。」

普段利用していて、この路線で人身事故が発生というのはあまり聞かない。単純に乗務員の方が事故で動揺している、そういうこともあるんだろう。アナウンスで状況は少しずつ明らかになり、警察のパトカーのサイレンの音が聞こえてきて、レスキュー隊の人が電車のすぐ横のホームを歩いて先頭方向に向かっている。再度、車掌さんのアナウンス。

「お客様は、一番後方の出口より順次お降り下さい。」

電車はちょうどホームから数mほど先頭がはみ出しているもののほとんどのドアは通過するはずだった駅のホームに接している。とは言え、乗客に事故現場を見せるわけにもいかないから配慮なのだろう、と思った。

最後尾の列車から降りると警察官の方が、人の流れを整理しつつ目撃者を捜していた。俺自身はちょうど電車の進行方向と反対を向いてたので、該当しないため、そのまま通り過ぎた。

俺は、この時、その飛び込んだ方がどれだけの気持ちで電車に飛び込んだのか考えていた。そして、周りの人の無関心さについても。こういうことを書くと偽善者くさい言い方なんだが、そうではなくて、むしろ俺はその飛び込む側の人間だったかもしれないからだ。

その人はきっと涙を浮かべるような状態で恐怖に耐えながら震えながら立ち上がって一歩を踏み出したのではないか。想像しているうちにそのリアルな状況を自分に置き換えて考えて鳥肌が立ってきた。周りの人たちはどうして、自分の足元にその人の亡骸が転がっているかもしれないのに、こんなに平然としていられるんだ・・?何故?

「他人に迷惑をかけるような死に方はよくない。」という人はよくいる。しかし自殺願望がある、決行しようとしている人にとっては、「死に損なって下手に生き残って自分でケリをつけられない身体になること」が一番恐ろしいように思う。もちろん迷惑はなるべくかけたくない、だけど確実に逝ける方法っていうと限られてくるんだよね…。そんな状況では四の五の言っていられないというのもあるし、最後くらい許してくれ、という気持ちもあるかもしれない。そして、この人の場合は電車を選んだ。おそらく遺体がどうなるかくらいは分からないわけがないし、そんなことすらもどうでもよくなる精神状態だったのだろう。

ただ、絶望しているだけでも自殺を既遂することも難しいし、人はそういう絶望ならある程度のレベルまでは耐えていける場合も多い。だけど、もしもう今日死なないと、絶対来てほしくない明日が来るなら?あるいは絶望に加えて自殺する「やる気」がでている場合はどうか?過去の自分の経験を振り返ってもこの「やる気」が出ているというか躁鬱混合状態みたいなないまぜになった状態が一番危ない気がする。普段なら越えられない「壁」を越えていけるからだ。

この「壁」。人によっていろいろ異なるものだと思う。ある人は親より先には死ねない、という人もいるだろうし、自分で作った家族を置いてはいけない、という人もいると思う。 俺は帰りながら、「自分にとって壁となる存在の人はいるだろうか?」と考えた。過去に両親とはいろいろと葛藤を抱えているせいか、2人の顔を思い浮かべてもあまり引き止める力にはならないと思ってしまった。俺には妹が1人いる。割と年が離れて育ったせいかケンカも少なく、自慢じゃないが俺は「いいお兄ちゃん」でいられたような気はする。彼女を置いて自殺したら…、うん、やっぱりそれはダメだ。他にもいろいろな人の顔を思い浮かべてみたけれど、妹1人だけがブレーキなんだ、と改めて思った。妹よ、悪いけど兄はお前を生きる理由にしてもう少し頑張って生きてみるよ。

2014年3月10日月曜日

桜は好きか?

もうすぐ桜の咲く季節。そこかしこでもうあと1ヶ月もしないうちに桜が咲くんだろう、と木々を眺めて思う。「桜は好きか?」と問われたとしたら、以前なら好きです、と答えたと思う。だけど、ここ何年かは桜が咲く度に無為に1年を過ごしたことを痛切に思い知らされるような気がして、だんだんと好きではなくなってきている気がする。嫌いというほどでもないけれど、とりたてて好きでもないような…。

桜の見事に咲いたときと散るときの花びらが舞う様、そしてそれが雨でベタベタになるのは感心するようでもあり、何だか辟易とする時もあり。

インディアンの言葉で戦いに出る日に「今日は死ぬにはいい日だ。」という言葉があるらしい。人生最後の日が来るとしたら、桜が咲き誇って散り始める、そんな晴れた天気のいい日であるといいな、と。また西行法師も歌を残しているね。「願わくば 花の下にて死なん その如月の望月の頃」と。桜の下には死体が埋まっている、とか春になって桜を眺めていると美しい日常のすぐそばに死が潜んでいる、そういうのを無意識に自覚するからなのかも。

こんなことを言うにはまだ若過ぎると言われる年齢なのかもしれないけれど、自分の気持ち的にはもう上っていくばかりの若い頃は過ぎて後半戦。下手したらあっという間に終わってしまうこともあり得る。いつそうなってもいい様に、というわけではないけれど、今、目の前にあることを大事にしながら一歩ずつ出来ることをやっていく、それくらいしか1人の人間に出来ることはない。

2014年2月27日木曜日

知識こそ武器なり

昔とった杵柄とやらで、とある資格取得の為に学生時代に専攻していた学問を再び勉強している。当時は大学の教科書や問題集は解説が不親切でどうしてそうなるのかがよく分からないことが多かったが、今はインターネットで調べるとわりとどんな問題でも詳細な解説が得られたりすることが多い。

そして、知れば知るほどに半世紀以上も前にろくなコンピュータもなかった時代の偉人達の頭脳の素晴らしさと直感の鋭さに感心せざるを得ない。この分野ではノーベル賞が量産されていた時代でもあるものね。 目に見えないものを計測する。たとえばあるエネルギーをもつ光を金属などの物質にぶつけるとその構成原子から電子が飛び出す。光は波じゃなかったのか?なんてことを考えていた当時の人にとっては、何が何だかわけが分からないけれどそれは事実として存在する現象だ、とかそういう物だったのかもしれないね。この辺はいつか余裕があるときに、調べてみると面白そう。



扱う代物が代物なだけに付け焼刃の生半可な知識では却って足元を掬われるかもしれない。資格試験はおそらく8月下旬。あと半年だ。悔いのないように勉強を進めていきたい。時間はあるようで、もうあまり余裕はないはず。知識こそ武器なり、この言葉を信じて努力していこう。

2014年2月20日木曜日

過去への執着を断ち切って

またひとつ「気づき」があったので記しておく。やはり過去への執着は断ち切らなければならない、ということ。どう足掻いたところで、過去は変えられないのだ。「今までの過去」込みで自分自身なんだ。変えられないことなら受け入れてどうするかを考える。

受けた傷もダメージも込みで全て自分自身

思い返せば溜息の出るような記憶ばかりが残っている。だけど時計の針は巻き戻らない。悪縁は自分の意思の力で断ち切る。変えられないことを変えられないと嘆くんじゃない。変えられることを探して自分にしか出来ないことに取り組むんだ。

今はじっと静かに力を蓄える努力をしよう。誓願を達するためにも堅実に歩みを進めていくんだ。

2014年2月12日水曜日

これが奈落の底なんだろうか

年明けからどうも精神状態がよくない。仕方ないと言えば仕方ない病気ではあるんだけれど…。職場の人にも、明らかに精彩を欠いた顔をしていると言われたし、体重も減り続けている。でも、今回の不調はこの辺で底を打ったような気もする。資格の勉強もずいぶんとサボってしまったけれど、今日から再開。無理をせず1日30分だけでも続けていけたら、と思う。

ほんの少しの他人との気持ちの良いやり取りでずいぶん気が楽になることもある。思うに独りという殻の中に閉じこもって“こじらせてる”感はある。ちょっとしたことで、そこまで深刻に考えなくてもいいのかもね。ただ、余計なことをしゃべってしまった時は相手よりも更に辛辣に批判してくる自分自身がいることも確かなわけで…。そういう時は誰の迷惑にもなっていないのかもしれないけれど、自己嫌悪のループだ。

一番大事なコトはキレイさではなくてバチっとくっつける溶接

仕事はやるべきことはやっているはずだけど、どこかで底が浅い内容にイラついてもいる。この漫画のコマのように、バチっとくっつけるというよりはただ見た目がキレイな仕事をただ数をこなしている。何だかんだでもう10ヶ月ほどそんなことをやっていて、まだ数ヶ月はこの作業が続きそう。腐っていても仕方ないし、これくらいで腐っているようでは、新たな道を切り開くなんて夢のまた夢だ。というわけで、目の前にある出来ることをその瞬間瞬間でこなしていくのみ。

2014年1月12日日曜日

気づき

俺は1年ほど前から精神の安定の為にマインドフルネスという瞑想を実践し続けている。これは、もともと仏教の瞑想法で「気づき」という言葉が英語になってそれが日本に心理療法として入ってきた。最新の心理療法として注目されている。マインドフルであるということ=今、現在自分が何をしているかに常に注意を払って気づいているということだと思っている。マインドフルネスはその名詞形だね。

しかし、瞑想を行っている「座っている時」だけで普段から自分自身の振る舞い、行い、発する言葉に対して注意を行き渡らせているかというとそうではない。自分自身の心を観察できるのは自分ひとりだけだし、これからは行動や言葉を口から発する前にもっと注意深く観察するようにしたい。そうすることで自分が何者であるかを独りでじっくり見つめ直してみよう。意識しないで軽々しく発した言葉で人を傷つけたこともある。もしかしたら、傷つけたことすら気が付いていないこともあったかもしれないね。

今までは“執着”をよく観察しないで手放そうとしていた。反復練習である程度は可能になったと思っているが、もっとその執着の本質をよく観察してから手放すようにしてみよう。

2014年1月5日日曜日

目標

年が明けた。今年は長い戦いが待っている。今までの自分のスタイルには合わないことだが、「頑張らない、妙なやる気を出さない」ということを目標に仕事に取り組もう。やる気を出して、多くの仕事を片付けてきたつもりだが、昨年は体調も崩したし、のめり込めばのめり込むほど、自分の人間性が下劣になっていくような汚染されていくような気がしていた。一生懸命やるのは当たり前で結果を出してナンボと思っていたので、それが出来ない人に対してかなり敵対的で攻撃的な態度を取っていたのだ。少し、一歩いや二歩か三歩引くくらいで、少し引いたスタンスで取り組もうと思う。

己の心身の健康を最優先にして、仕事に穴を開けないというのも大事なことなのかもしれない。立ち止まって考えられるようになった、ということなのか、単に年を取って考え方が老成しつつあるのかもね。

年末年始の帰省では結局、肝心の父とは話が出来なかった。だが、父本人の口から「俺は今後、息子の人生に口を挟まない。」という言質を得ただけでも、昨年11月に手紙を書いて自分の両親に対する思いを伝えたことは“対決”として功を奏したように思う。何でもハッキリさせない方がいいこともあるのかもしれないね。ハッキリさせた瞬間に壊れてしまう関係もあるのだし。それで壊れてしまうような関係なら、無くて結構と思ってしまう自分は冷たい人間だ。