もうすぐ桜の咲く季節。そこかしこでもうあと1ヶ月もしないうちに桜が咲くんだろう、と木々を眺めて思う。「桜は好きか?」と問われたとしたら、以前なら好きです、と答えたと思う。だけど、ここ何年かは桜が咲く度に無為に1年を過ごしたことを痛切に思い知らされるような気がして、だんだんと好きではなくなってきている気がする。嫌いというほどでもないけれど、とりたてて好きでもないような…。
桜の見事に咲いたときと散るときの花びらが舞う様、そしてそれが雨でベタベタになるのは感心するようでもあり、何だか辟易とする時もあり。
インディアンの言葉で戦いに出る日に「今日は死ぬにはいい日だ。」という言葉があるらしい。人生最後の日が来るとしたら、桜が咲き誇って散り始める、そんな晴れた天気のいい日であるといいな、と。また西行法師も歌を残しているね。「願わくば 花の下にて死なん その如月の望月の頃」と。桜の下には死体が埋まっている、とか春になって桜を眺めていると美しい日常のすぐそばに死が潜んでいる、そういうのを無意識に自覚するからなのかも。
こんなことを言うにはまだ若過ぎると言われる年齢なのかもしれないけれど、自分の気持ち的にはもう上っていくばかりの若い頃は過ぎて後半戦。下手したらあっという間に終わってしまうこともあり得る。いつそうなってもいい様に、というわけではないけれど、今、目の前にあることを大事にしながら一歩ずつ出来ることをやっていく、それくらいしか1人の人間に出来ることはない。