2018年10月10日水曜日

鬱を治すために(うつ病の末路)

ある出来事が切欠になって、うつ病の末路について考えている。病院で聞く説明では、薬物療法による治療を続けて回復、その後、薬を飲んでいれば普通の人と変わらない状態を維持(寛解)、再発防止のために薬物療法を継続、という流れで、薬を飲まなくても再発しなくなる「完治」は無い。「うつは心の風邪」と言われるようになって久しいが、症状の重さから「うつは心の癌」という人もいる。

さて、俺自身のことに話を戻そう。盆明けからの不調で先月の半ばについに体調を崩して1週間ほど会社を休むことになった。この2年ほど、何とかではあるけれど、病気とうまく付き合ってきている、と思っていただけに落胆は大きかった。身を置いてる環境が悪いのではないか?とも思い、仕事を変えるべきか、とも考えた。そのために資格を取る勉強をするべきか、とも考え、これは少し手を付けてたが、いかんせん精神の不調を抱えたままでは長い時間の集中力は期待できず、今は止めている。だが、一番の大きな問題は何だ?うつ病を抱えて生きていることだ。これでダメだったら人生もう諦めよう、それくらいの覚悟を以て、もう一度、最後まで足掻いてみようと思う。病院の「薬物療法」だけでなく、「心理療法」の両輪でお互いに足りないところを補えば、「寛解」だけでなく「完治」も見えてくるのではないかと。

「心理療法」も結局は自分で自分の精神の面倒を見るしかない。カウンセリングも悪くは無いと思うし、今はマインドフルネス瞑想もだいぶ広まってきているので、手掛けているところも多いだろう。ただ、毎日、やるという意味では結局、自分で「実践」するしかないのではないかと思う。朝晩に最低15分ずつマインドフルネス瞑想をしよう。以前にやり込んでいた時は、集中力がぐんと高まるのを感じたが、そこで無理をせず、実践を怠らず、半年とか1年単位で続けていこうと思う。

人に教えを乞う場合は、「途中で止められない」効果はあると思う。瞑想が毎日の習い性になるまで続けて生活の一部になれば、自ずと瞑想のレベルは深くなり、良い効果をもたらすのではないか。ただ、俺自身はどちらかというと宗教アレルギーに近い。岩波文庫から出ているブッダの言葉、なんかを読むことはあるが、マインドフルネス瞑想は仏教のエッセンスを宗教色を薄めたものなので、誰かに教えを乞うには、細心の注意が必要だと思うからだ。そんな訳で、しばらくは、個人でマインドフルネス瞑想の実践を進めていきたい。

2018年9月5日水曜日

もう拷問はキツいよ…

タイトルはドンケツ24巻の槇原という人物のセリフ。敵の手に落ちて拷問をされて口を割らずに逃げ出そうとするが、再び捕まったら自決を覚悟するシーンでのセリフだ。さしずめ俺にとっては、「もう(鬱病による)拷問はキツいよ…」と言ったところか。良くなったとも言えなかったが、低調ながらも安定を得ていたところに鬱の強烈な痛打。もう堪えられない。


ドンケツ 第24巻 たーし | 少年画報社

十五夜組と野江谷の思惑により、月輪会会長宮本は逮捕され、混乱を極める。脱会者が相次ぐ中、孤月、華月、朔組は会長のため「はぐれ月」となり抗争激化。桃次郎がアジトをつきとめ、ロケマサ、速水、ゲンコが遂に怒りのカチコミ!立ち読みはこちら
この日も限界まで伸びた鉄に軽い一撃を加えるとポキンと折れるかのように、同じ部署の年配の方からの丸投げ指示のメールを見て心が折れた。もちろん、これまで彼と仕事をしていく上でこちらが、後にも先にも立ち回り、うまく行くようにお膳立てをして尽くしてきた。本当にツイてない。

俺も消えたほうがよさそう
ここ3週間ばかり確かに調子を崩しつつあった。ただ、いつものことだ、と軽く考えていたし、薬を飲みながら後は時間の経過と共にある程度は復調するものだと思っていた。しかし、俺の予想を裏切り、鬱の波はますます俺自身を蝕み、気が付けばもう引き返せないところまで来ていた。誰か俺を殺してくれ…、そう念じる日々が続いた。電車に乗る時も電光掲示板で人身事故の表示を見かければ自分自身の死に結びつけてしまう。いつも正座して後ろ手に縛られた状態で俯き、後ろ首に刀を当てられて打ち首になる自分を想像してしまう。そんな最悪なイメージと格闘しているうちに耐えられない頭痛と食欲不振、早朝覚醒、不眠を抱えるようになった。頭痛はまるで脳が機能不全になっていくのに壊れていくことを想起させるような痛みだ。これはもう拷問だ。

いつまで堪えればいいのか…それとも堪えようと抗う行為自体が無駄なのか。右手に抗鬱剤を、左手に瞑想を持って挑んでも叩き潰されるばかり。

あれほどまでになかなか減らなかった体重はスルスル?とまではいかないけれど、89㎏→85.5㎏ほどへ減ったので4.5㎏減。最大値と最小値の差なので、実際は3㎏くらいの減り幅だとは思うけれど。食欲もあまり無いので、ダイエットが捗る。顔も少し肉が落ちてきた気がする。これはこのまま続けようか。


いつまでこんな苦しい状態が続くんだろう、と思う一方で、俺は今、罰を受けているのでこれで刑期を消化しなければいけないからこのままでいい、と訳の分からないことを考えている自分もいる。救われたいか、というとそういう他力本願なことじゃ抜け出せないと思うんだよね。

2018年8月24日金曜日

肥満を解消することが全てに優先する

ここ最近、昔の自分の写真を人に見てもらう機会があり、もはや別人という感想を頂いた。痩せねば、とはずっと思っていたが、いいトリガーになってくれた。ちょうど、先週の半ばから精神面で不調を抱えるようになり、今なら痩せられそうという気もして、食事を絞っている。2013年から2014年にかけて11kgほど減量(86kgから75kgへ)したことがあったのだけれど、その後、抗うつ剤を断薬してからの再服薬であっという間にリバウンドして酷いときは91kgまで行った。身長はそうでもないけど体重に関することはやはり俺にとっても恥ずかしく減量が成功した後かリバウンドした時にか虚しくなってこのブログの記事から削除してしまった。



2013年時のデータもあったら面白かったんだけど、残念ながら記録に残ってなかった。でも86㎏くらいだった。ふつうは人間、毎年同じくらいの体重でしょうね。。。

身長が179cm(自分ではずっと178cmと思っていたが25歳以降もジリジリと伸びて今年の健診では180cmを記録。でもサバ読んでるって思われそうだから179㎝で通してる。)、ガタイはいいと言われることは痩せてるときから多かったがそれでも体重は有りすぎるだろう。標準体重をBMI22とすると70.5kgくらいらしい。そこまでは無理でもせめて普通体重であるBMI25=80.5kgは切りたい。太りやすい薬を飲んでいるなど、どんな事情があって太ってるとは言っても、他人から見れば太ってると第一印象では思われるのだ。

体組成計 インナースキャン50V BC-622

方法は2013年から2014年に取ったのと同じ方法にする。体重を毎朝、毎晩の帰宅時に計って記録。減ってたら体重計の数値を前日と比べてニマニマする。さすがに毎日朝晩2回をExcelに記録していくのは面倒なので、記録は毎週日曜朝に記録しよう。週1くらいで変化の記録は十分だ。食事習慣も以下のように。色々と寝る前にお腹すいて食べてしまったりもあるかもしれないが、ダイエットは長期間でやるので、あまり面倒でなく頑張らなくて出来るのがいい。

・朝食‐食べない
・昼食‐1日1回はまともに食べたいので定食
・夕食‐手間をかけたくないので置き換えダイエット食
・間食‐もともとあまりしないけど、少しならよろしい
 果物は糖分あるけど、体にいいのでノーカンで。むしろ意識して食べる。

多分、筋肉なんかはだいぶ落ちてしまうだろうけれど、先に脂肪をやっつけるつもりでいく。写真は載せないけど、上半身の写真を1か月ごとに撮って記録しておこう。抗うつ剤の残存成分は体脂肪に蓄積していくというから、俺の脂肪にはさぞたっぷりのサインバルタとリフレックス由来の成分が溶け込んでることだろう。

1か月くらい経って、ダイエットのことを全く記事にもしてなかったら減量失敗したんだな、って思ってください。

2018年7月26日木曜日

睡眠時無呼吸症候群のマウスピースを作るのこと その1

はじめに
(個人の見解です。よく眠れるようになりたかったら病院へ行くのも一つの手です。)
いびきがうるさいと大人になった頃からよく言われてた。太り始めてからはより悪化してるらしい。ただ、数年前に86kgから75kgまで減量に成功した時でも軽くはなったが、相変わらず酷くうるさいいびきをかいていたそうだ。また俺の父も今は痩せているがいびきをかいていて少し呼吸が止まっては息を吹き返すことがたまにあるのを見て、自身もああなのだろうと思っていた。「睡眠時無呼吸症候群」で調べると眠ってはいるけれど呼吸が頻繁に30秒から長いと2分近く止まることを眠ってる間中、繰り返すことで眠りが浅くなるようだ。治療には軽度ならマウスピース、重度ならCPAPという呼吸器(機械から出てるマスクをして強制的に空気を送り込んでくれる)を利用するという二通りの治療があるようだ。

とにかく調べていると治療をした人の変化は好ましいものが多かった。いびきをかかなくなることはもちろん、高血圧や成人病まで治ってしまった人すらいるらしい。マウスピースを作るだけでこれらの効果が体験出来るのならばぜひやりたい、そう思ってまずは検査を受けに行ったのだった。

いざ簡易検査

はじめの検査は簡易検査で、2晩、検査用の機械を体に取り付けて眠る。鼻にカニューレという管をつけ、指先にパルスオキシメーターというセンサーを付けて脈や血中の酸素飽和度を計測する。飽和度が100%から下がり90%を切る状態が続くと睡眠の質はとても悪くなり翌日も疲れが残ったり昼間も眠かったりするそうだ。

簡易検査キットはこのように装着する

医療機関に勤めている友人の勧めもあって、簡易検査の次の精密検査は大きな病院でやるのである大学病院の近くで睡眠時無呼吸症候群を診てくれるクリニックの門を叩いた。診察では上述したようなことを説明されまずは帰って検査機器メーカーから機械が送られてきたら装着して眠って測定をしてまた返送してください、とのこと。返送後、1週間ほどで結果が分かるのでその時にまたクリニックで医師の見解を聞きにくれば良いらしい。

検査キットの機械はこういうものでした
届いた計測機械の写真はこちら。TEIJIN製である。これを付けて眠りづらいと言うこともなく計測して、たまに夜中に目を覚ましては酸素飽和度を確認して安心して眠った。あとで気がついたが、目を覚まして酸素飽和度を確認しても、その時はきちんと呼吸できているので正常な値しか表示されない。異常が出るのはぐっすり眠りこけている時なのだ。

結果が出て再びクリニックでそれを医師に説明してもらうのは2週間後となる。(続く)

2018年7月20日金曜日

何でもかんでもマインドフルネスで解決できるわけではない

以前に休職した時に、復職のデイケアでマインドフルネスを学んで、ずっとではないけれど心を落ち着けるツールとして実行してきた。そんな俺からしても、最近、世間はマインドフルネス瞑想を持ち上げ過ぎなのでは?と感じる。本屋へ行けば、マインドフルネス関連の書籍が精神世界、スピリチュアルの棚の辺りに平積み。あげくはマインドフルネス瞑想を助ける家電として、瞑想中の動きをチェックしてくれるものまで開発されているらしい。ただ、ちょっと待ってくれ、と思う。もともとマインドフルネス瞑想の起源を辿れば、上座部仏教のヴィパッサナー瞑想のはずだ。心に湧き上がってくる煩悩を一つ一つ丁寧に潰し、過去へ行ったり未来のことをあれこれ考えてしまう人間の心を「今この瞬間」に固定する、そういう訓練だ。もっと言ってしまえば悟る為の訓練の一環でもある。

マインドフルネスな瞑想は仕事のモチベーションを下げる可能性が示される

by Thư Anh「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」という意味合いのマインドフルネスはGoogleが研修に取り入れていることもあり知名

そういうわけで、上記の記事のようにマインドフルネス瞑想を熱心にやった結果、仕事のモチベーションが下がるというのはある意味、当然なことだと思う。だって、仕事でアウトプットや成果を出していくというのはある種、人間の欲求に沿ってるものだからだ。現状をありのままに捉え、それを受け入れる訓練を続けていれば、それはこの記事のようになると少しばかり瞑想をかじった初心者の俺は思う。

ただ、俺の場合は鬱になって、過去の自分のこれまでの来し方や、未来の迫りくる不安から少しだけ解放してくれる便利なツールだったので、マインドフルネス瞑想をやってきたに過ぎない。言ってしまえば、悟りを得る修練の一環と言っても、そう簡単に悟れるわけもないし、ブッダですら梵天勧請の話にもあるように、仏教の教えを人々に広めてと頼まれるまで、これは普通に人々に受け入れられるものではない、繊細で微妙なものだ、と思っていたという。

 善も悪も失うこと|ニー仏|note

ミャンマーまでわざわざ行って、仏教のことを学ぶために瞑想の実践をしている人が言うくらいなので、おそらく瞑想を続けても執着から少しずつ解放はされていくのかもしれないが、良い人になる為の修練ではないし、ましてや、生き易くなる為の訓練でもないのかもしれない。(もしかしたら、俗世に居づらくなって出家せざるを得ないレベルまで行ってしまうかもしれないし。)

つらつらと書いてしまったけれど、俺自身はストレスから解放されるためのツールくらいの捉え方であって、自分に効果があったからと言って、他の人に安易に勧める気にはなれない。やっぱり、非常に繊細で微妙なものだからと思うからだ。やりたいと思う人はブームが来る前に出た本でオリジナルに近そうなものを読んだり、場合によっては鎌倉あたりのお寺で早朝にやってる座禅の会みたいなのに参加してくるだけでもいいと思う。疑問に思う人には勧めない。欲や執着があるのも人間らしい特色だと思うし、これらを削いでいくことで人生がつまらないと思うようになる人だっているかもしれないからだ。ただ、俺自身は、これからも時間のある時は瞑想はしようと思う。

2018年6月30日土曜日

薬を減らせる医師と足してしまう医師

今日、診察を受けてきて処方が少し変わった。二剤あるうちの片方の量を少しだけ減らしてもらったのだ。前回の診察の時はもう一方の薬を減らしてもらったところ調子が悪くなり、処方が変わってから3日ほどで気持ちが辛くなってきたので元の処方量に戻して飲んでた。

今のホットな医療ネタは減薬、断薬である。
「一生薬を飲み続けなければならない」人などほとんどいない(上原 善広)


以前に自己流で断薬して痛い目にあってるので、俺自身は減薬は試みてももう断薬はしないと思う。ただ、症状が悪化した時に「今までの処方を見直して抜本的に変えましょう。」という医師は自分で考えられる能力がある人であると思っている。反対に「今までの処方にその悪い影響を打ち消す薬を足しましょう。」という医師はマニュアルを信じすぎている気がする。

就職を機に今住んでいる都市に来るまでは別の都市で治療を受けていて、その時の医師は副作用が出たら副作用止めの薬を追加するタイプの処方をする人だった。確かどんどん薬は増えて行って一時期は統合失調症の人が飲む薬も出てたかもしれない。今では鬱病に処方出来なくなったリタリンとベゲタミンBも処方されて飲んでいた。その時のメインの抗うつ薬はトリプタノールで、副作用で尿が出にくいと言ったらウブレチドという薬が出た。リタリンはトリプタノールを最大容量まで処方しても俺の体の代謝が良すぎて効きが悪かったので、代謝を抑えて血中濃度を上げるためだと言われたかな。レボトミンやらコントミンやらも飲んでて割りと訳が分からない状態になってたと思う。参考までに当時飲んでいた処方を覚えている限り記す。うろ覚えだけどこんな感じだったと思う。とにかく眠くて仕方なかった。

・トリプタノール 200㎎(8錠)
・ロヒプノール1㎎
・ベゲタミンB2錠
・コントミン1錠
・ウブレチド3錠
・レボトミン3錠
・リタリン1錠

この時は病歴も浅くて割りとすっきり治った気がしてもう病院に行きたくなくて薬は全部止めてしまった。しばらくはトレドミンの最低容量をもらってお守り的にしのいでた。

就職してまた再発したのでトリプタノールメインで治療を受けていたが、そこの病院は一年経つと担当の医師が変わることが多くて、医師が交代してだいたい半年くらいは薬も全く変わらないことが多かった。そりゃ自分が処方変えて患者の病状が悪化したら嫌だもんな。気持ちは分かるよ。その後、4年ほど通院を受け続けて、閉鎖病棟に入院するレベルまで病気と仕事で追い詰められてた時の医師の先生はずっとトリプタノールだったのをガラッと変えてくれた。最初はアナフラニールにして、俺は日中も眠りこけるようになってしまって失敗だったかもしれないが、入院した時に三環系抗うつ薬とはすっぱり手を切った。今の処方もその時のものがベースだ。

・サインバルタ60mg
・リフレックス30㎎
・メイラックス1錠

今はこのサインバルタを60㎎だったのを50㎎に減らしてもらった。離脱症状が無ければ今後は40㎎に減らしてもらいたい。SSRIはあまり飲んだことが無いけれど、SNRIはばっちり尾籠な話だけれど、泌尿器に副作用がトイレで用を足すときに尿が切れない、と診察で話したら減らしてもらえた。眠くなる、という副作用は無い代わりに別の副作用がある気がするのがSNRI/SSRIなんじゃないかと思う。

リフレックスは眠気もくれるが俺にアッパーな気分を与えてくれる。多分、これだけでは足りないのでサインバルタを合わせている。こちらは朝飲んで効いてるのかどうかよく分からないけど、止める時は耳鳴りがしたりめまいや冷や汗なんかでずいぶんと体が依存してるのを分からせてくれる薬だったので、縁は切れないだろう。出来れば、少しずつ良い精神状態を維持しつつ両方とも様子を見ながら少しずつ減らしていければいいけどね。

2018年5月18日金曜日

CTと胃カメラの検査結果

膵臓が悪い畏れがある、と脅されてCT検査を受けてきた。最初にかかったクリニックでは対応出来ないので大きな病院を紹介してもらって放射線科で造影剤を入れたCT検査をする。血管から造影剤が入った瞬間に体が熱くなる。血流に沿ってその熱が全身に渡っていく不思議な感覚。この日は検査のみでCD-ROM?を渡されて最初にかかったクリニックの医師に渡して下さい、と言われ帰宅。開封してもいけないと言われたので2日後にクリニックに行くまでモヤモヤとした心境で過ごす。

2日後、今度は最初にかかったクリニックでCD-ROMの中身を見てもらうことと胃カメラによる検査。事前の喉の麻酔や安定剤の処置もよく効いて、先生の腕も良いのかあまり苦しくなくて済む。

結果から言うとCTも胃カメラも健康そのものだった。胃壁についてはモニターに映し出されていたけど、どこにもひきつれや潰瘍もないように見えたし事実綺麗なものです、とお褒めの言葉を頂いてしまった。CTもどこにも異常は無いので、あと3年は撮らなくて大丈夫だし少なくとも40までは大病はしないでしょう、と。

「では、何故あんなに胃や背中が痛んでいたのでしょうか?」と質問してみる。「お疲れだったんじゃございませんか。」と先生。ふむ、つまり精神的なものか。そう言うわけで追加の薬も無く、また痛んだらおいで、と言われ病院を後にする。コーヒーやアルコールを少し控えるようにすれば痛まないし、原因が分かれば避ければいい。山無し落ち無し意味なし?そんな感じだった。

2018年4月28日土曜日

胃潰瘍?急性膵炎?それとも・・・

前回の診察から1週間が経過し、検査結果を聞きに再び診察を受けてきた。胃潰瘍もしくは急性膵炎が疑われるということで、ピロリ菌がいるかどうか、それと膵液の異常が無いかを血液検査で調べてもらってたのだ。結果から言うと両方とも問題は無かった。

・ピロリ菌の抗体検査:陰性
・消化酵素のアミラーゼ:正常値
・肝機能:問題なし
・その他の数値も正常で問題なし

すぐ分かる検査で引っかかる原因が無いことで痛みの原因を探るために精密検査となった。造影剤を入れて膵臓のCT撮影と胃カメラを5月の連休明けにやることになった。膵臓のアミラーゼが正常でも痛みがある場合は膵癌の可能性も捨てきれないそうで…。(重めの胃炎でしか無い気もするけど)

病院の帰り道に膵癌について調べてみた。最近だと星野仙一が膵癌で亡くなってる。罹患した患者数=死亡者数と言われるくらい死亡率が高い病気だそうだ。

気がつくと俺の手は小刻みに震えていた。あんなに鬱で苦しんで死にたいと願っていたのに人間とは勝手な生き物だ。

2018年4月23日月曜日

春は調子が悪い

寒かった冬も終わり、急に気温が上がったりまた下がったり、と春先は体が気温の変化に付いていけない。春先はメンタルだけでなく体の調子もおかしくなることが多い。今年も昨年度末までの疲れが祟ったのか、鳩尾から背中へ突き抜ける痛みで苦しんでいる。多分、重めの胃炎かもしかしたら胃潰瘍か…。先日あまりにも背中が痛むので仕事を早退して病院に行ってきた。ピロリ菌がいなければ胃潰瘍にはならないということらしく、まずは検査で確かめましょう、とドクター。背中の位置としては胃の裏側に膵臓があるのでそれも検査で診ましょう、と。血液検査で採血をしてもらって1週間後にまた来て下さい、とのことだった。

こう書くと診察もあっという間に終わったように聞こえるかもしれないけど、触診やこちらの症状を詳しく聞き取ってくれて、その上での診断である。病院の数は多いけれど、なかなか信頼できる雰囲気の医師と巡り会うことはないので、一旦、ここだと思ったら俺はあまり病院を変えたくない。検査結果ももっと早く出るクリニックもあるだろうけど、そういうことよりも医師の腕があるところがいいな、と。

話をある程度じっくり聞いてもらうだけでも患者としては落ち着くのだ。しかし、薬を飲んでもやはり食べられるものが少なくなり、白米も胃もたれするので、素麺を少しだけ茹でて食べている。朝ごはんを食べ過ぎて吐くのもそのまま胃袋に入れたままにも出来ず、朝の出勤前に目を白黒させたこともあったけれど、調子の悪いときはあまり食べず空腹の時間を長くしている方が楽な気がする。検査結果は明日出るので病院に行くつもりだが、胃潰瘍だったらまだいい方かもね。急性膵炎とかなら、もう酒は飲めないな。

2018年4月10日火曜日

趣味や本(専門書)の棚卸し

自分の若い頃も過ぎ去り、30代後半となった今、かつての趣味だったもの、かつて熱心に勉強していた専門書を棚卸ししようと思っている。もう人生で残された時間で割ける分は、過ぎ去っていった若かりし頃の時間とその密度とを掛け合わせたものよりも圧倒的に小さいのだ。

学生時代の専門書も今さら理解するには難解過ぎておそらくもう見ることは無いだろう。本棚から取り出していつでも古紙回収に出せるようにしておいた。


趣味も自転車は今住んでいる辺りに引っ越してきてから、路肩の道幅も狭く交通量も多いので走りづらいので、乗らなくなってしまった。学生時代はこの自転車で当時住んでいた街の中ならどこへでも、また50kmほど離れた街へも往復したりしていたものだ。1万㎞は走った自信もある。マウンテンバイクなので里山でガレ場を降りたりそういう楽しみもしたけれど、今住んでいるところはちょっとどこかまで行けば山がある、という訳でもなくまたそういうところへ行く体力も時間もない。メンテナンスもほどほどにしてきたけど、補修部品が出ないパーツもあってもうここらが潮時かな、と。欲しいと言ってくれる知人もいたけど、僕と体格も違うのでフレームのサイズも合わず、ペダルがビンディングと話したら靴まで揃えるのはちょっとなぁ、という事で諦めてくれたようだ。一応問題なく走れるけど、錆びもところどころあるし、売っても二束三文なので後腐れなく粗大ゴミで捨てようかと思う。


ただ、いっぺんにやり過ぎると周りの人に終活を疑われるので注意…('A`)

2018年4月6日金曜日

産業医面談

就業制限がかかっているので毎月、産業医面談を受けている。自分の職場の上司と総務の人達も立ち会うので、面談と言っても1対4くらいの構図になる。

何とかしてこの産業医面談を受け続けなくてはいけない現状を変えたいと思うようになった。と言うのもいい年をして、何時に寝て何時に起きて休みの日は何をしているか、と細かく問われるのにうんざりしてきたのだ。(ケアしてもらう為の面談を用意してもらって何て言い草だと思われそうだし、そこは申し訳ないとは思う。ただ、そっちの方向じゃないんだよなぁ…と思うだけで。)例えば、「休みの日に何していますか?」という質問に「疲れてぐったりしています。」と応えるとおそらく降級点がつけられる。「朝起きてから家出るまで何をしていますか?」とか、毎朝やってることは変わらないとは思うけどあんまり覚えていないのと、何か生活の一部を覗き見られるようで気恥ずかしくて応えるのも嫌になるとか…。まぁ、そこを突き詰めても病気は良くならないんだけどなぁ、と思うのだよね。やらなきゃいけない仕事は結局、やらなきゃいけないわけで。そういう方をこれならもう少し出来そうです、とか、他の同僚みたいにフルに終電までは頑張れないけど、ここの知識なら役に立てるから臨機応変に使ってくれ、とかそういう議論が出来たらいいなぁ、と思う。

休職から復職した人がどれだけ面談を受け続ける必要があるかを調べてみたところ、どうも3ヶ月から6ヶ月が目安のようだ。対して一旦、制限が解除されたこともあったけれど、今はもう数年単位で面談を受け続けている。

面談で重視されるようなのはどうやら生活リズムらしい。あんまり画一的にしても個々人で症状も薬も違うのだからパターン化は出来ない、とも思うがおそらくここを問題ないと面談で証明出来れば制限も無くなり面談を受け続ける必要も無くなるのではないか、と考えた。

勤怠を安定させること、毎日決まった時間に出退勤するのが一番でそれ以上のことは多分求められない。

症状が良かろうが悪かろうが、それはあんまり重視されないようなのでもう割りきって行くしかない。

2018年4月5日木曜日

行けるところまで行き然る場所で死ね

フランスのことわざにある言葉らしい。
Va où tu peux, meurs où tu dois.
江戸幕府に仏式戦術を教授していた軍事顧問のジュール・ブリュネが作中で挙げる言葉だ。

「維新と戦った男 大鳥圭介」(伊東潤:著)を読んだ。

伊東潤 『維新と戦った男 大鳥圭介』 | 新潮社

われ、薩長の明治に恭順せず――。幕府歩兵奉行・大鳥圭介は異色の幕臣だった。全身にみなぎる反骨の気概、若き日に適塾で身に着けた合理的知性、そしてフランス式軍学の圧倒的知識。大政奉還後、右往左往する朋輩を横目に、江戸から五稜

俺は「国を蹴った男」を読んで以来、氏の小説が好きで時々読んでいる。ここのところ、池波正太郎の真田太平記をはじめ、正統派歴史小説を読み続けてきたので、たまには新しい作家さんの本を読もうと買ってみた。

徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行い、佐幕派は恭順し天子様に弓を引くことはならない、と言いつつも実は我が身可愛さだけに逃げ腰になっている幕臣達と対照的な人物である、大鳥圭介をはじめ、榎本武揚、土方歳三たち、それと薩長連合からなる新政府と大鳥、榎本達との間に立つ勝海舟、各々がみんな義理を通して戊辰戦争で戦っている。そんな生き様が描かれている。日光、会津、函館と壮絶な戦いが展開され、最後は新政府軍の物量にどうしても勝てないせいで五稜郭に押し込められてしまう。当時の先進的なフランス式兵法に精通しているとは言え、実戦経験もない、榎本たちの軍艦よりも、新政府軍の方が数が多い等あって戦いは劣勢に傾いていく。先ほどのブリュネは日本の内戦なのに、フランス軍籍を抜けてまで大鳥、榎本たちと行動を共にする。(後に彼は五稜郭での決戦の前にフランス軍に収容され脱走兵として裁かれるが名誉を回復する。)

幕臣達にも言い分もあっただろうし、維新政府側にも言い分はあっただろう。(個人的には西郷隆盛は好きだけど、岩倉具視は好きになれない。)ずっと江戸幕府のままの統治体制で近代化すればよかったとも言えないだろうけれど、やはり当時の行政機関は徳川幕府であった訳で、幕府に所属しながら西欧の近代的な文明、軍事、医術そう言った学問を学んできた人材は幕府側に多かったのに、それを活かしきれなかったのは惜しかった。

あとは好きなセリフでは勝海舟の「これでもう鼻血も出ねぇ」だな。徳川幕府の金庫にあった黄金を榎本武揚に二十万両、大鳥圭介に三千両を渡した後のセリフ。逆さにしてももう鼻血の一滴も出ないくらいすっからかん、と言うことだ。江戸っ子なセリフが他にも多くてやることが気が利いてるものだから勝海舟は好きなキャラクターの一人だ。

伊東潤の小説は、従来からある歴史小説とちょっと違った視点で描かれることが多いように思う。国を蹴った男では、著名な人物の側に仕えるバイプレイヤー的な人物が描かれる。「峠越え」では徳川家康の伊賀越えを描いているが、家康も実は普通の人間だと思わせてくれて、新解釈もあり、読んでいて面白かった。

俺自身は、どこまで行けばしかる場所で死ねるかね?

2018年3月22日木曜日

間に合わなかったらごめんな。

ここ1か月ばかり、仕事はただ耐えるのみ、体調は悪くなっても崩すわけにはいかないので(メンタルでそういう努力は今までうまくいった試しがないけれども。)、注意はしている。また、老いたとは言えまだ両親も健在。うつ病の症状を聞かれたら答えるけれども、「頼むから自殺だけはしないでくれよ。」と言われる。しかしながら、うつ病の全てが自殺既遂してしまう訳ではないけれども、それでも何とか踏ん張っているけれども、でも治療なり休息を適切に取って症状の悪化を防ぐなりの努力が「間に合わなかったらごめんな。」と思う。

2年前にはフラフラと、それまで何度かバイクで訪れたことのある町にローカル線に乗り徒歩で行った。懐かしい景色を見ながらこれが人生最後のちょっとした観光だな、と独り言ちた記憶。あの日は日射しは柔らかかったような…。誰も俺を知っている人はいない小さな町を歩き回り乗り物がないと動き回るのはしんどいな、と思いながらも、結局、ヘタレてそのまま帰りもローカル線で帰ってきたのだった。途中にある城も見たかったけど、修復中で見られなかったんだよね。

その後、俺は地元に強制送還になった。死なれては困るから独り者の俺にはそうしてもらうしか会社的には無いのは分かるが、へとへとに疲れ切っている時の移動は堪える…。

次に同じような死の誘いが来たら…、もう諦めて死ねたらいいんだがな。色々頑張ってきたつもりだったけれど、何も成し遂げられなかったし、自分の家族を作ることも出来なかった。何も残すことが出来ない人生だった。夢も見た気もするけれど、全部気のせいだったよ。


2018年3月19日月曜日

薬で強化していくと別のところが壊れる

年度末締めの仕事をこなしていて感じたこと。幸いなことにメンタルはまだギリギリ均衡を保っているが(それでもだいぶキツいけど)、職場にいる間に頭が痛くなったり気持ち悪くなったので職場にある血圧計で何気なく血圧を測ってみた。結果、上が145mmHg~165mmHgというなかなかの数値を出してる。今までの健診で高血圧を指摘されたこともなくて、職場で緊張しているが故の数値だとは思う。

抗うつ薬を飲んでメンタルを強化して、昨年は耳が壊れ突発性難聴になり、今年は耳は何ともないけど高血圧で体にダメージが出てる。気持ち悪くなるくらいならいいけれど、3日くらい頭が痛いこともある。ここ3年は同じような業態の仕事をしていて2年前はもう駄目かと思うところまで追い込まれていた。今回も仕事の区切りがついたと気を緩めたら同じようなことになりそう。ソフトランディングを目指したい。

仕事は何のためだろう。よく自分が仕事が出来ると思い込んで周りの出来なさを嘆く人もいるけれど、少なくとも僕の仕事でそれは出来る人はいない。難度も高く、どれだけ頑張っても出来ないことの方が多い。顧客も割と無理を言う。辛さに耐えきれず辞めていく人もかなり多い。みんな僕から見たら優秀で有能な人ばかりなのに。そんな環境の中で、今年度の仕事は、自分だけでなく多くの人が作り上げた作業をより合わせて一つの成果にすることだった。隅々まで1人の人間が作ったかのような神経の通った仕事にしよう、と思って頑張ったけれど、やっぱり通して見るとやった人が違えばムラも出来る。なかなか難しい。