2018年10月10日水曜日

鬱を治すために(うつ病の末路)

ある出来事が切欠になって、うつ病の末路について考えている。病院で聞く説明では、薬物療法による治療を続けて回復、その後、薬を飲んでいれば普通の人と変わらない状態を維持(寛解)、再発防止のために薬物療法を継続、という流れで、薬を飲まなくても再発しなくなる「完治」は無い。「うつは心の風邪」と言われるようになって久しいが、症状の重さから「うつは心の癌」という人もいる。

さて、俺自身のことに話を戻そう。盆明けからの不調で先月の半ばについに体調を崩して1週間ほど会社を休むことになった。この2年ほど、何とかではあるけれど、病気とうまく付き合ってきている、と思っていただけに落胆は大きかった。身を置いてる環境が悪いのではないか?とも思い、仕事を変えるべきか、とも考えた。そのために資格を取る勉強をするべきか、とも考え、これは少し手を付けてたが、いかんせん精神の不調を抱えたままでは長い時間の集中力は期待できず、今は止めている。だが、一番の大きな問題は何だ?うつ病を抱えて生きていることだ。これでダメだったら人生もう諦めよう、それくらいの覚悟を以て、もう一度、最後まで足掻いてみようと思う。病院の「薬物療法」だけでなく、「心理療法」の両輪でお互いに足りないところを補えば、「寛解」だけでなく「完治」も見えてくるのではないかと。

「心理療法」も結局は自分で自分の精神の面倒を見るしかない。カウンセリングも悪くは無いと思うし、今はマインドフルネス瞑想もだいぶ広まってきているので、手掛けているところも多いだろう。ただ、毎日、やるという意味では結局、自分で「実践」するしかないのではないかと思う。朝晩に最低15分ずつマインドフルネス瞑想をしよう。以前にやり込んでいた時は、集中力がぐんと高まるのを感じたが、そこで無理をせず、実践を怠らず、半年とか1年単位で続けていこうと思う。

人に教えを乞う場合は、「途中で止められない」効果はあると思う。瞑想が毎日の習い性になるまで続けて生活の一部になれば、自ずと瞑想のレベルは深くなり、良い効果をもたらすのではないか。ただ、俺自身はどちらかというと宗教アレルギーに近い。岩波文庫から出ているブッダの言葉、なんかを読むことはあるが、マインドフルネス瞑想は仏教のエッセンスを宗教色を薄めたものなので、誰かに教えを乞うには、細心の注意が必要だと思うからだ。そんな訳で、しばらくは、個人でマインドフルネス瞑想の実践を進めていきたい。