2022年2月5日土曜日

嗚呼、惨めなり~3回目の休職が決まった

 

 昨年2021年の6月から9月頭まで休職していた。これが2回目の休職で、1番最初は2010年~2011年にも9ヵ月休職していて、この時は、自殺企図の惧れ有り、とのことで、主治医の医師から即入院を言い渡された。とは言っても任意入院だったんだけど…。この時は空きが無くて、閉鎖病棟に入ったのだった。2回目はほとんど溜まっていた有給休暇で乗り切った。2か月くらいだったので、何とかなった。あとは復職に当たって再発防止シートという自己分析のようなことも書かされたかな。なぜ、自分がうつ病になって仕事を休むまでの状態にまで落ちたのか分析せよ、という事だった。建前としては、自分自身のうつ病は「私傷病」ということになっているので、仕事とは関係なく勝手に病気になりました、申し訳ございません、という形で、自身が出来る限りの再発予防策を書いて産業医に提出した。マインドフルネス瞑想を続ける、とか、運動療法としてランニングを定期的に続ける、と言うことを書いたと思う。

 ただ、11月の終わりくらいから少しずつ歯車が狂っていき、12月になる頃には再び強い希死念慮に苛まれていたと思う。自分の意思とは関係なく死のイメージが頭に浮かんでくる。多かったのは、自身が打ち首になるところだ。ちょうど下の画像のようなイメージだ。首を落とされる前に前かがみになって、刀を持った処刑人が振りかぶる。刃が自分のうなじに当たる寸前、自分のこれまでの人生を悔やみ、涙が浮かぶ、そんな感じだった。

 希死念慮は更に酷くなっていき、それを暴発させない為に俺自身の中で消化するために、自分のドッペルゲンガーを目の前に想定して、包丁や刃物でめった刺しにするというイメージを繰り返していた。そうでもして憎い自分自身を滅殺しないと気が狂いそうだった。

 9月に復職したばかりだったが、仕事は俺1人にかかる負担が大きかった。顧客対応、担当案件で、別のチームにも影響が出ることを1人で準備し、問題ないことを顧客に説明していった。同じ案件で他のベテランのメンバーの方も複数いるのだが、WEB会議という場だからなのか、発言すれば自身が説明義務(またはその資料などの作成義務)が生じるためか、フォローしてくれる発言はほとんど無かった。調子は悪いながらも何とか年末を迎え、俺は久しぶりに帰省した。

 オミクロン株が流行する直前だったので、帰省中の交通機関はとても混雑していたように思う。ここで、人混みによる人酔いのようなダメージを受けて実家に辛うじてたどり着いた。年末年始の休みの間もずっと頭痛と胃痛に悩まされ、精神的には休まらなかったように思う。

 年が明けて、これはもう仕事を続けていくのも結構キツイな、という状況だったが、主治医の診察ではただ、「今は耐えて頑張りましょう。」と言われるのみ。1月上旬と下旬でも変わらず、今回は主治医は俺が休むことに対して頑ななまでに否定的だった。この頃は、夜中にあそこの場所に行って首を吊れば朝まで見つからないかもしれないな、とかそんなことを具体的に考え始めていたように思う。クレモナロープを用意して他にも必要な機材を揃えれば自殺企図までもう少しだ。 

 職場では、俺に属人化した業務があり、年度末に向けて取りまとめの作業に入る頃だった。ここで俺がまた休職でもすれば、本当に案件1個の検収に穴が空く、それも心理的に圧迫になっていた。この辺りは主治医には伝わらなかったのだろう。職場の上司や同僚も、「何とか休まないで頑張ってくれ。」と悪気なく言うので、もう無理ですよ、とは言いづらかった。日に日に出来ることは減っていった。対顧客での打ち合わせで俺が作った資料の説明は上司に代わってもらった。これはもうダメだな、と諦めたのは顧客ではなく取引先の割と仲良くやらせて頂いている方からの電話にすら出られなくなったことだった。電話はPC上で受けるUC電話になって数年経つが、電話を受けられないのではさすがに仕事にならない。もはや休職しかないのか、と諦めた瞬間だった。

ただ、この直後の診察でも主治医の見解としては「休職というのは何か違うんですよねぇ…。」と…。何が違うのかはもう問う気力も無かったが。。。この後、産業医に連絡して、業務の状況や抑うつ状態や希死念慮が厳しいということをメールで相談した。いつもは産業医面談は上司および総務の方も入れて4者面談になるので、産業医にのみ相談したい、と言って4者が集まる前に面談の時間を作ってもらった。そこで、希死念慮と混然一体となった状態で業務遂行をしていくのはとても辛いこと、このまま耐えれば耐えるほど後々の回復が遅れるであろうこと、また、最悪は自殺が既遂出来てしまうことを相談した。産業医の先生から主治医に手紙を書いてもらい、それを見た主治医が診断書を書いてくれて、ようやく休職になった。ただ、主治医との関係はこれでこじれてしまったかもしれない。実家で療養すればいい、ということで、処方薬を出せる最大期間の1か月分の薬と診断書を受け取り、休職と相成ったわけだが、もうこちらも積極的に貴方のことを診ませんからね、という若干の拒絶感を感じる。

俺の実家はかなり遠方にあるので、帰省するのはなかなかエネルギーを使うが、一旦、帰ろうと思う。戻ってこれないかもしれないが…。そうなったら診断書の期限が切れてってなると、どうなるのだろうな。

何だか治療も真面目に受けても、治ることも無く、苦しみ続けるだけの人生。苦しむことが重要なら意味もあるのかもしれないが、それを除けば、ただ耐えるのみの人生に意味はあるのだろうか。薬を飲んで不安定ながらも仕事を続けて、それ以上の解は無いのだろうか?最大容量まで飲んでも結局、仕事から脳が破壊されるレベルのストレスを受け続ける。これでは抜け出せない無間地獄だ。

2021年11月25日木曜日

抑鬱状態に苛まれる「俺が何したって言うんだよ。」


  10日ほど前から、いや、11月に入ってから少しずつ調子が悪くなってきている。特にこの10日間で加速度的に精神状態が鬱状態に傾いていっている。瞑想やジョギングは夏から続けていて(瞑想は少しサボり気味ではあったが)、これは俺の精神を少しでも健全に保つツールだとも思っていた。ジョギングは純粋に走るのが楽しいと言うのもあったのだけれど、今はあまり走りたいとも思えないし、無理やり着替えて準備運動して嫌々外に出て走り始めて…だいたい5㎞を超えれば頭の中が空っぽになってくる。でもちょっと辛い。瞑想はネガティブな雑念が次々と浮かんできて、煩悩だらけでうまく行かない。

 こういう鬱状態に陥る度に思う。「俺が何したって言うんだよ。」 

問うても誰も答えてはくれないのだが。精神疾患も患者の人それぞれで症状も千差万別でしょう。薬の相性もある。Aという薬がある人にはとてもよく効いても、そのAが俺にもよく効くという保証はどこにもない。また薬を増やしたり減らしたりしたからと言って、それで症状が良くなったり悪くなったりするようなものでもない。人間の精神はそんなデジタルなものじゃない。薬を減らして悪くなっても、じゃあまた増やせばいいじゃん、ということでは解決しないことの方が多い。

この病気さえ患わなければ、俺はもっと色々なことが出来ていただろう。そう思うことがよくある。仕事上の評価は分からないけれど、趣味や好きだったことも出来なくなっているようなことはなかっただろう。今となっては無意味な後悔だけれど、人間関係ももっと繋がりを保っていたかもしれない。友人ももっと残っていて、恋人と結婚したりもしていたかもしれない。

鬱病は罹患する人数が多いせいか、遺伝しない、と言われているが、俺はこれはポリティカルコレクトネス的なものだと思っている。俺の鬱は23歳の春から始まった。しばらくは毎年春になると鬱が悪化していたので、春=死のイメージが付きまとう季節だった。 統合失調症や双極性障害は思春期から青年期に発症する人が多いと聞く。鬱病に関しては40代~50代になって初めて発症する人が多いとも。俺のように青年期に発症した人間はやはり、前者の統合失調症や双極性障害的な発症に近いのではないか?そして、こういう精神疾患はもし子供が出来たら遺伝するのではないか?そんな風に考えている。

23歳から耐えて、29歳でとても大きな強い希死念慮に襲われて精神科病棟に入院。その後、別の心療内科でやっている復職のためのデイケアに通い、実践できそうな心理療法などを教えてもらう。その中でマインドフルネス瞑想が自身の好きなオートバイで走っている時の感覚に近い感覚を得られることから、断続的にではあるけれど続けてきた。精神的に好調な時は運動もするようになった。有酸素運動でストレスを浄化するのだ。しかし、いざ精神的に不調に陥るとこれらのことは役に立たない。薬を飲んで、少しでもよく眠り、体を休め嵐が去るのをひたすらじっと耐えて待つしかない。そして40歳の今もまた鬱の嵐に襲われている。

 そんな嵐の中で独り言ちるのだ。「俺が何したって言うんだよ。」

2021年10月1日金曜日

帚木蓬生の「閉鎖病棟」を読む

 

 帚木蓬生氏の著作の「閉鎖病棟」を読んだ。この本を手に取ったのは10年前に俺がとある精神科病院の閉鎖病棟に入院していたから、シンパシーによるものだ。 

 2010年の12月半ばから年末年始を挟んで翌2011年1月半ばまで、約1か月強、僕は精神科の病棟に入院していた。この時は、自殺の危険性が高い、ということで当時の主治医から入院を強く勧められて入院することになった。任意入院だったが 12月は空きが無く閉鎖病棟に、1月は空きが出来たとのことで半開放病棟に入れてもらった。

小説ほどの目立つ患者さんやイベントは起きなかったが、小説の世界は戦後~昭和4、50年代を舞台にしているように思える。方言や地名から舞台は福岡県太宰府市だと思う。福岡の出ではないが、僕も九州の近県の出身なので親戚の人や友人知人で福岡弁をしゃべる人もいて、登場人物たちの福岡の方言は懐かしく染み入るようだった。

昭和4、50年代の作中と平成の後半の自身の入院経験とを照らし合わせると病院の中の様子はほぼ似通っている、と感じた。ほとんどは統合失調症の患者さんが多く、1か月強で退院できたのも主治医から「うつ病の貴方は、あまり長く入院していると根が生える。」と言われたからだった。

読んでいて、心に留まった一節を抜き書きする。

 毎日黙々と掃除するドウさんと、薬草の自称専門家であるハカセがどうして同じ病名なのか、チュウさんには納得がいかない。ムラカミさんだって、ドウさんとハカセとは似ても似つかない人間ではないか。

 比較的最近入院してきた敬吾さんやクロちゃんも、おそらく精神分裂病ということになるのだろう。

 精神分裂病という病名は、人間を白人や黒人と呼ぶのと大して変わらないのではないのだろうか。白人にもさまざまな人間がいるように、精神分裂病にもさまざまな人間がいるのだ。

 そんなふうに考えてから、チュウさんは自分の病名をとんと気にしなくなった。黄色人種という呼び方と同じだと思い、それなら主治医もやはり黄色人種だろうに、と少しばかり可哀相になるのだった。

 作者は文中でこうも綴っている。

患者はもう、どんな人間にもなれない。秀丸さんは調理師、昭八ちゃんは作男、敬吾さんは自衛隊員、ドウさんは大工、キモ姉さんは芸者、ストさんは会社員、ハカセは医師、テシバさんは畳屋、という具合に、かつてはみんな何かであったのだ。おフデちゃんだって、働いたことはないが、内科医院のお嬢さんだった。

それが病院に入れられたとたん、患者という別次元の人間になってしまう。そこではもう以前の職業も人柄も好みも、一切合財が問われない。骸骨と同じだ。

 これも応えた。病院に入ると外界からは切り離される。ベルトや靴紐など首を括れる可能性のあるものは持ち込み厳禁だ。トイレットペーパーのホルダーまでトイレから無くなっていたのは吊る場所を無くすためだろう。つまり、それほどまでに患者の院内での事故(つまり自殺)を畏れて対処していると言える。

 主人公のチュウさんは、若い頃に統合失調症を発症しておそらく陽性症状が出て困った家族によって病院に入れられた。しかし、入院していた長い時間の間に法律が変わり、彼は任意入院ということになっていた。タイトルは閉鎖病棟だが、主人公のチュウさんやその周りにいる親しい秀丸さん、昭八ちゃん、敬吾さん、島崎さんは梅の花を見に外出している。チュウさんは、日中に町に出かけて夏みかんなど食べ物や日用品を買い物をし、多少のマージンを乗せて院内の患者達に売りさばいている。余った夏みかんを秀丸さんと一緒に食べているシーンが微笑ましい。症状が治まっていれば、精神疾患の患者とて、普通の1人の人間に変わりはない。ただ、この時代は家に置いておけない、村に町のコミュニティに患者である自分の家族を置いておけない、そんな家族側の都合も大きくあったようだ。

 終盤では、若い頃、自身の退職金で買った土地に建てた家で、母が長年住み亡くなった家にチュウさんは帰ろうとする。 30年入院していて一度も見舞いに来たことがなかった妹夫婦が病院に乗り込んできて、主治医にあれこれ理由を付けて、チュウさんを入院させたまま家に帰すまいと抵抗する。誰だって面倒ごとは嫌なのだ。そういう時代に比べれば、僕が入院した時も今も精神科の病棟も少しは社会との距離が縮んだと言えるかもしれない。

 当時の僕は休職して入院していたので、会社の上司も駅から近いわけでもないのに見舞いに来てくれた。当時の僕はまだ精神的に未熟で、疲れた顔をして髭も伸び放題のまま見舞いに来てくれた上司に会ったが、今思えば、もっと身綺麗にして会えばよかったと思う。それが他人に対する礼儀というものだ。上司からは外来と入院病棟が一体となった精神科を初めて見たようで「よくこういう病院を見つけたねぇ。」と言われた。当時の僕はいつか入院するのではないかという漠然とした不安から病棟がついた家からもそう遠くないこの病院に外来で通っていたのだ。 

 元気になって退院して外の世界で暮らしていると、あまり病棟に入院したいとは思わなくなる。食事もイマイチだったり入浴も週に2回だったり、毎食後、看護師さんの前で水の入ったコップを持って列を作って薬を受け取り、目の前で飲んでみせて口の中を開けてちゃんと飲んだことを示さないといけない生活が異常な世界に思えるからだ。しかし、病状が悪化してくるとあの閉じた世界で、守られた空間に戻りたくなる。そんな時はかなりまずいことになっているが、いつかまた、病棟に入る日が再び来るかもしれない。

2021年9月1日水曜日

復職の条件

 


6月下旬から休職して療養した結果、そろそろ復職して良い、という主治医からの許可が出た。復職してよろしい、という診断書を主治医からもらい、会社の上司へ郵送して送ったが、会社指定のフォーマットで記載してもらう必要があるので、もう一度、そのフォーマットに従って主治医に書いてもらい、提出せよとのこと。診断書は1通で3300円なので、何度も出すことを求められると地味に痛い。

先週、復職のための面談を産業医、上司含めた会社側と行い、診断書を出しなおすことと、自分なりの休職に至った経緯の分析と再発防止策を紙にまとめて提出することとなった。精神疾患による休職からの復職で再休職に至る割合は半年以内で4割にも達するという記事を見かけたので、会社側が慎重になるのはもっともだ。拝承。従います。

 間違っても、精神疾患で休職することは、交通事故に遭うようなものだ、という論調にならないように文章を組み立てる。でも全くの無益な行為ではない。分析によって、なるべくしてこうなったのだ、という納得も得られることだった。

10年前、2011年に年が改まる少し前から俺は閉鎖病棟で入院していた。自殺の危険があるため、とのことだったし、当時の俺はいつか閉鎖病棟で入院して自殺の危険から保護されるような身分になるに違いない、という予感めいたものもあって、その精神科病院の外来に通い続けていた。今回の休職でも、やはり診断書が出る直前には自殺することしか考えられなくなってしまい、業務はやりつつも心は千々に乱れ…という状況だった。

今回の休職については、原因が起こってから休職という結果に至るまで約3か月。面談では、アウトプットが出せていたので、特段配慮する必要はなかった、と言われた。だが、3月から俺は不調を訴えていたのだ…。アラームを出していた。自死を考えている、というのは何度も訴えた。それなのに、それが仕事上のアウトプットを出せていたから問題ない、という理由で片付けられては、アウトプットは出せていましたが、気が付いたら奴は首を括って死んでいました、なんていうことになるのか…?

まぁいい。思うところは多分にあるが、やはり、同じ環境でも病む人間とそうでない人間がいる。病んだ者としては、その落とし前を付けるためにも、再発防止策とやらを書き連ねて提出することとしたい。

俺にも仕事に穴を開けて同僚に対して、申し訳ないことをした、という思いはある。取り返せるとも思えない。ただ、分を超えた能力で組織に貢献することは残念ながら不可能だ。少しでも自身の精神面と身体面の健康と向き合った中で、引き出せる最大限の能力と努力で以って応えたい。

労災として認められたいという訳ではない。休職制度があるだけマシということもあるだろう。そして俺の替えはいくらでも効く。ただ、精神障碍者Aとしてしか扱われない、それは悲しい。人として扱って欲しい。そう言う願いを込めて、この記事をアップする。

2021年7月17日土曜日

仕事に生活を与えてもらったが、俺自身は壊されてしまった

 

今日は主治医の元への週に一度の通院日だった。何だか酷く疲れていた。本やテレビは目を向けることもあるけれど、最後まで読んだり見たりする気力が無いことは伝わったと思う。病院に行き薬局で薬を受け取り、駅まで歩く道すがら陽は傾き夕暮れ時だった。仕事を終えた人々とたくさんすれ違う俺の足取りはいつも以上に重かった。

ふと仕事にはまだ戻れない、いやもしかしたらもう戻れないのか…、そんなことを考えた。考えさせるに十分な寂しい夕暮れ時だった。会社に入って仕事をすることでこれまで生活をしていくのに十分な給料をもらい、云わば生活を与えてもらったと思っている。だが、10年ぶりの二度目の休職で、俺自身は完膚なきまでに壊されてしまったこともまた事実だなと思った。

何か泣き笑いのような表情しか出来なくなっていて、持っていた文庫本をもう少しで読み終わりそうなこともあり、病院から駅までの帰り道にある喫茶店に寄って本を最後まで読み終えた。本は遠藤周作の「ただいま浪人」という本だった。20年以上前に買った本だが、今では多分絶版になっていて、活字も現代の小説本よりも小さい。おまけに770頁以上ある。おそらく、再版されるとしたら文字を大きくする都合上、上下巻に分かれるだろう。初めて読んだころ、俺はまだ受験生だったか浪人していた時か(浪人の時だったからこそ買った気もする)、もしくは大学生だったか…。だが20年経って内容は全く覚えておらず読み進めて行くと、些細なことだが、自分に関係あることが少し書いてあった。奇妙な縁だ。

 喫茶店での読書を終え、帰りの電車に体を滑り込ませる。何だか混雑している電車も息苦しさを感じた。ふと電車が大きく揺れて、俺は車内で一人無様に転んだ。足を踏んだ人やぶつかった周りの人に謝罪しつつ、どうしようもない情けなさを感じた。涙が出そうだったが泣けなかった。喉は何かが詰まったかのように感じ、いっそ何か刃物で突き刺してしまいたかった。 

おそらくこの病気に出口は無い。そしてネガティブでいる時間が精神面で健康な人に比べて長い以上、身体面についても何かしらの悪影響を与えるだろう。何もしなくてもあと20年くらいで俺の人生は終わりになるかもしれない。そんなに長生きは出来ないのではないか。そんな気がしている。人生を終わらせるなら、小説の人物のように周りの人との繋がりを泣く泣く断っておかないといけない気がするし、こんなことを考えている以上、病気が治る見込みも薄い気がした。

一度だけのうつ病の発症だったらもしかして、治ったかもしれない。しかし、何とかやり過ごしているうちに人生の半分近くがうつ病を患っていた年数になっている。俺の精神は歪み壊れ、もう元に戻ることは無いだろう。

2021年7月4日日曜日

休んで療養することが決まりお御籤は大凶を引いた -孤独のRunnaway-

 6/17(木)に産業医面談を受ける。産業医と課長、総務と僕の4者でのWEB面談だった。面談では会社の産業医には休職を命じる、ということは出来ない、もしくはしたくない、ということのようで、5月以降の窮状をいくら述べても、それは弱りましたねぇ、というばかりで暖簾に腕押しだった。

しかし、2日後の6/19(土)の診察で、色々とメモにして持っていった症状や困っていることを主治医に全部話し切らないうちに「もう仕事にならないでしょう?思い切って1か月休むように診断書を書くから。」と言われた。10年ぶりの二度目の休職である。10年前、休職が決まった時、僕は自死の危険有りとのことで、任意入院だが精神科の閉鎖病棟への入院が決まった。今回は病院は異なる。現在の主治医は復職してから10年にはならないがずっと診てくれている先生で、めったに休め、とは言わない。休職で患者が受ける働けない期間に受けるデメリットや仕事に戻れなくなることを考慮してのことだと思うが、初めて、全部言わなくていい、もう休んでいいから、と言われた気がする。 

翌週月曜の6/21(月)に在宅勤務でPCを立ち上げ、産業医と課長に向けてメールで状況を報告し、産業医と課長、総務とのWEB面談が決まった。午後からは今の業務を引き継ぐため、引継ぎ会を課長と1時間半程度行い、休みに入ることとなった。引き継ぐ相手が課長しか居ないというのが今のうちの課の窮状をよく表していると思う。僕が居なくなったら誰も引き継げる相手が居ないから課長が引き継ぎ相手なのだ。課長は「1か月で戻ってきてくれることを期待するよ。」と言っていた。この仕事が大変なのは年度末なので、そこで僕が居なかったらおそらく業務は回らないだろう。

6月に入って僕はよく聴いている曲があった。B’zの"孤独のRunnaway"という曲だ。「本当は誰もが愛人探しに出かけたがっている」 という歌詞が耳に残りやすいが、そこではなくてこの曲は何もかも嫌になって失踪してしまった者のことを歌っているのだ。折しも世間では某野球チームのコーチが失踪して世間を騒がせている頃だった。「俺もどこかに消えてしまいたいなぁ…。」なんて思いながらニュースを眺めていた記憶がある。

 

 

B'zの公式の動画はあまり無いので、6月にYoutube見つけて聴いていたアマチュアの方達のリモートセッションの動画を紹介。ボーカルの方の声質も稲葉さんによく似ているし、演奏も皆さん上手で素晴らしい。こんな陰気なブログに引用してしまって申し訳ない。この動画も何度も見て歌詞を口ずさんだなぁ。エレキギターを昔やっていたので、元気になったらこういう曲を弾いてみたい。

 

雨上がりの明け方 とっくにおまえは消えていた

電話もよこさないで

大好きだった女 飲み仲間 順調だった 仕事まで

何もかもほったらかし

何がいやだったの 金なの?マンネリなの?

今頃おまえはどこかで叫んでいる like this!

(中略)

いい迷惑だと みんながあきれ返った後

また普段の生活を続けている

何が大事だったの

出て行ったやつの口グセだけが目の裏で踊る like this!

 

今、仕事で苦しんでいる僕が消えても誰かが迷惑だなぁ、と言いながらきっと仕事は引き受けてくれる。僕がいなくなっても一時は大変かもしれないが長い目で見れば居ても居なくても同じようなものになっていくはずだと。

今回、潰れた理由は簡単だ。課の人的リソースが不足して、僕に課せられる仕事の案件がほど5月から増えた。うちの会社は昨年、合弁会社を興して、課員のうち何割かがそこに出向という形で勤務することとなった為、合弁会社の目的に沿わない意義の仕事は手放すことになった。よって、当時、一緒に仕事をしていた同僚はいなくなり、彼らの持っていた仕事を僕が引き継いだ。仕事上のラインとしては担当が僕で上長は課長ということになった。もともとうちの課は2つに大きく技術分野が分かれていて僕が入社以来、属しているAという分野のグループ、そしてもう一方はBという部の中でも花形のグループがある。入社した時はBグループを志望していたがAグループに配属になり、業務をこなしていく中でそれなりの充実感も感じるようにして15年以上、業務に従事してきた。またどこかでBグループからはAグループは技術的に劣っていると見下されて?いる面も分かってくるようになり、入社当時に抱いていた単純な憧れはとうに無くなっていた。分野が異なるので同じ案件でもAグループとBグループからそれぞれ人を出して対応している。だが、昨年度の人繰りの問題で僕が抱えている案件はずっとやってきたAグループの仕事とBグループの仕事を受け持つことになった。こういう状況ではあったが、昨年度は何とか関係者の人たちの協力もあり乗り切ることが出来た。

今抱えている案件は、いつも年度末に毎年結構な苦労をして成果を報告するためのまとめ作業が発生する。これらを何とか関係者分を含めて、マネージ仕切って乗り切れたが、ここで既に僕のガソリンは尽き掛けていた。5月に課長にちょっと精神的に行き詰っていることを産業医面談の場で話したが、課長と少し2人で話をしよう、と言われ、何故か合弁会社の方で受けきれない新規の案件(A、Bグループで別々にカウントするなら2件)にアサインされることになった。アサインされたばかりで、現実的な大変さはまだほぼ発生していなかったが、今後の業務計画を練りながら、これは今の僕には完遂することが出来ない、と内心、絶望していた。

この10年、産業医との面談がもう当人に問題が無いので卒業となったこともあったけれど、基本的にはずっと受けている。また、課長からは産業医面談を受けている人には悪いけど人事上の好評価は付けられない、と言われたこともある。なので、人事上のことはもう諦めてせめて自分が出来ることで会社の役に立とう、それ以外は(悔しいが諦めて)どうでもいいと思うことにしよう…そう思ってやってきた。また、10年前に休職していて元気が出てきた時に思っていたのは仕事で命を奪われるまで追い込まれるのは馬鹿馬鹿しいということだ。その後もぐるぐるとした希死念慮に苛まれる日々は数年前まで続いていたが、自分自身が中年と言われる年齢に差し掛かってきて精神的な負のエネルギーも落ち着いてきたのか、あまり希死念慮に悩まされることも無くなってきた。こう言ったことがあるので、10年ぶりに二度目の休職になってしまったのは個人的にすごく残念だし、職場に対して思うこともある。おそらく1ヶ月後にもし復職できたとしたら引き継いだ業務をすぐに100%こちらの手元に返されるだろう。活字も頭に入らないくらいに弱り切っていた6月下旬に比べると少し本も読めるようになってテレビも見られるようになってきたが、今の自分にはまた元の仕事量を振られるのが怖い。

余談だが、休みが決まった後にお御籤を何の気なしに引いてみた。結果は大凶。初めて引き当てたが、「やっぱりな」という気分の方が強くて思わず笑ってしまった。


お御籤に書いていることを文字にしておこう。

天の下 国原くらし み空ゆく

月の光は さやかなれども

ふして見れば山野は暗く。仰げば真如の月が照っている。

その接し会ったところに立っている自分を見失ってはならぬ。

此処で静かに思慮を深め目標に向って一歩を進めなさい。

○願望 急には思う様にはならぬ

○縁談 本人同士の意志の通じ方が足りぬ

○交際 親切だと思い込むといけない

○産児 丈夫な児が生まれる

○病気 回復がおくれる

○転居 やめた方がいい

○事業 人の口車に乗るな

○試験 目上の人の意見に従え

産児以外はいい項目が無いように思えるが、「○病気:回復が遅れる」が個人的には一番ぐさっと来た。

2021年6月12日土曜日

体調を崩してしまった -Not even you-

始まりはゴールデンウィーク明け少し経ってからだった。いや、年度末の忙しさの3月を何とか乗り切っている最中からだろうか…。病気までは行かないけれど、病的になっていくまでのグラデーションの中にいた。そこからは段々とぬかるみに嵌るように足が取られ始めて、気が付いたら腰まで泥沼に浸かっているといういつものパターンだ。この辺りになってくると、焦燥感も強いし、ここ年単位で感じないようになっていた希死念慮も出てくる。正直、苦しい。
俺が勤めている会社は1年前のコロナ禍に入ったところから、在宅勤務になった。独居で暮らしている俺のような人間には、仕事で取るコミュニケーションを除けば、人と会話することもほとんどない。昨年度から一緒に仕事していた同僚も別案件に取られ、残された俺は去っていった同僚の仕事を引き受け、何とかやってきたが、相談できる人間はいない状態になっていた。結局は一人なのである。
 
毎月、上司立会の下、産業医面談も受けている。このご時世なのでWeb会議でである。3月辺りから体調の不調は訴えていた。もうこれはダメかな…、と思い5月の面談で、「すみません、ちょっともう無理そうです。」 と切り出した。孤独なら出社してみてもいい、という助言ももらったけれど…。出社してもフロアにはごく一部の人しか居ないんだよな。結局、誰とも会話しないで退勤する、ということになっていた。ただ、上司と出社時に顔を合わせたので、ちょっと個別に話をしようか、ということになって、ここで新たな案件を任されることになった。本来やるはずだった人達が多忙を極めていてとても対応できないこと、また、俺の得意分野だから、ということがアサインの理由だった。この後、更にもう1件、案件のアサインがあったのだが…。ちょっと無理だなぁ、という気持ちが今は強い。

休職するとなると、独居の俺のような人間は、一人じゃ何をしでかすか分からない(つまり自殺とかされても困る)ということで、実家がある場合は帰れ、ということを産業医から命じられるそうだ。ただ、俺の今住んでいる場所は緊急事態宣言下である訳で…。田舎に帰って老いた両親に感染させるようなことがあっても、と言うのは本音でもあるが建前の部分もある。田舎ゆえにいい年をした男が昼間から働きもせずに散歩なぞしていては、きっと噂が経つのだ。
 
少し前に母から電話で聞いた。俺が10年前に鬱病で休職していたことが人伝に伝わってきたらしい。俺は地元の誰かに話した記憶は無い…。もしかしたら、当時やっていた何かしらのSNSに何か書いたのかもしれないが…。煩わしくなってアカウントごと消去してしまった(まさにメンヘラ的行動である)。よくは覚えていないが、何かしらの鬱で休んでいることを書いた当時繋がっていた人が地元で、誰かに話した。それが人から人へ伝わり…ということなのだろうか。俺は高校を卒業するまで地元にいた。今となっては何の自慢にもならないが、そこそこの優等生で通っていた。そんな優等生が脆い精神を病んで働けなくなった、悪意があるわけではない、ただ少し可哀相にね、なんて言いながら、どこかで嘲るような気持ちも込められて、それが回りまわって、うちの両親の元にそんな話を直接してくる人がいた、という事なのかもしれない。地元に帰れば、また悪評が立つな。
 
高校生の頃から俺には多少、神経質なところもあった。最近、ふと当時よく聴いていたClawfingerというアーティストの曲をまた聴き始めた。20年前は目新しかったラップメタルだ。歌詞は、「俺がするように俺のことを愛してくれる者はいない、君でさえも」、「誰も俺が自分にするようには俺のことを必要としない、君でさえも」、そんな殺伐とした歌詞だったが、当時の俺はそんな自己責任論にも近い歌詞を好んで聴き、そして英語の歌詞も覚えてよく歌っていた。興味があったら以下のリンクから聴いてみて欲しい。歌詞もついているから。曲はClawfingerで"Not even you"。

2019年9月29日日曜日

じっくりコトコトお湯で煮られる

うつによる苦しみって何だか釜茹でにされて弱火でじっくりコトコトお湯で煮られているような感じに似ている気がする。耐えようと思えばまだ耐えられる気もするけど、気が付いたら温度も上がっていて火傷だらけになってて取り返しがつかないけど、延々とコトコトと煮られ続ける、そんな感じ。

あまりスピリチュアルなことを信じる性質ではないけれど、もし前世があったのなら自分はそこでも自殺していたのだろう、そんな気がする。最近は希死念慮がまた酷くなってきてそろそろ1か月以上は調子を崩している。仕事の場でも1人で作業することが多くて、そうすると煮詰まってくるのだけれど、打ち合わせとか人と会話しながらの場合は何とかまだやっていける感じだ。

でも、使い物にならないと産業医面談で判断されれば、休職ということになるのかもしれない。結構、瀬戸際だと思う。

休んでも結局、煮られている苦しみは消えないので、何とか仕事を続けながらこのうつの波を切り抜けて行きたい。

2019年7月29日月曜日

一日一日を切り抜けて行った後に振り返った時にしか人生はない

人間は過去に行ったことで悔い、起きていない未来のことで心配する。将来はどうするべきだ、何を考えている?なんて問いかけもそう言った類のものだ。だが、一日一日を過ごして行って、それを積み重ねていった先に、その地点から過去を振り返ってそれがやっと”人生”になるんだと思っている。そういう意味で、僕は出来る限りその日その日をよりよく生活していきたい。うつ病になってから、健康な人なら2割くらいの力で出来てしまうんだろうな、ということも7割くらい力を使って何とか切り抜けているけれど、それでいいんだと思う。もうこの先、寛解はあっても完治はないのだし。その時その時を自分で出来る精いっぱいのことをやって過ごして行く。そのためになるべくより良き生活者でいたいと思う。

30代も終わりが見えてきて、取り戻せなかったメンタルヘルス、心を病んでいなければ送れたかもしれない人生、うつ病が治ればしたいこと、考える時はあるけれど、だんだんと体も老いが始まっているのを感じる。仮定の話だけれど、病気が治っても健康だった20代前半の状態に戻れることはもう無いんだ。抗うつ薬の副作用で太った、たぶんそういう面もあるけれど中年太りもある。記憶力が怪しくなった、これも病気のせいだけではなくて、老いて頭の回転が鈍っているのもある。今後、何かよほど運動でトレーニングする、少しずつでも勉学に励む、そんなことをして抗うことは出来るかもしれないが、老いは進んでいく。

以前に、うつ病の症状で頭がよじれるほど悩んで苦しんでいることが無くなったら、自分という要素が何割か欠けてしまうんじゃないだろうか、と考えていたことがある。今の僕は10年ほど前に比べると激しく悩み苦しむことは少し減ったように思う。だが、その反面、持っていたエネルギーも失い、虚ろになってしまった感じがする。

今は積極的に死にたいとは考えなくなった。だけど、いくつまで生きていられるのか、老齢になって他の精神疾患を抱えていない人よりも早く認知に問題が出てしまうのかなぁ、とか、やはりうつ病によって自分の手で人生を終わらせてしまうのかもしれないなぁ、とか思うことはある。だけど、自分の死については誰も予見できないだろうから、僕は一日日一日をなるべくより良く生きていきたいと思う。

2019年4月17日水曜日

転がる石はどん詰まりまで止まらない

ちゃんと生きようと思って目覚まし時計を買って、朝に強くなったと思ったのだが駄目だった。だんだんとスヌーズ機能を止めたり何とかして眠気が残っているうちは半分無意識に抵抗しているようだ。どうしても外せない用事の時だけは抗うつ薬を飲まないという今までのソリューションしか無かった。

春になって調子が狂ってきたなぁと感じていたけれど、段々と悪い方向へ転がり始めた。転がる石に苔は生えない、ではなくてもう止まらない。どん詰まりまで直滑降だ。朝の電車ではイヤホンをつけて音楽を聴く・語学講座を聞く、音楽を聴いてる時は文庫本を読む、というのが僕の基本的な通勤スタイルなのだけれど、段々と音楽を聴く気力も無くなり、DAPは使わないままビジネスバッグの中に入ってる。職場に着いて誰かと会話すれば少しマシなような気もするけれど、用が無ければ自分から話す元気も無く、また沈黙しているとますます疲弊といたたまれなさが強まってくる。

「今までの経験から悪くなりそうな時は早めに自己管理(仕事を早めに切り上げたり、 有給休暇を取得したり)出来るものね。」とも会社の産業医から言われるのだが、どうだろう…。自分自身の思考力は日に日に落ちていく中で、普通に見せかけることは出来ても、本当に病状を和らげることは出来ない。ある程度、強くうつ病の症状が出た場合は、一旦落ちるところまで落ちて希死念慮で身動きが取れなくなって短期間休む、というのを繰り返してきた。

 病院の先生は長期的には良い方向に導いてくれる存在だと思っている。1日飲んだだけでは効いたとは思えない抗うつ薬も飲んでいれば、完全には元気にならなくても後から振り返ると最悪の状態は脱していることが多い。ただ、最悪な状態にいる最中は即効性のあるものではないので、耐えるしかない。「悪くなったらすぐに主治医の診察を受けるんだよ。」と言われる。風邪やインフルエンザでも耳鼻科に行って診察してもらって薬を飲んだからってその日のうちに治らないのと同じで、診察を受けたから症状が和らぐものでもない。

ずっと余計なことを考えなくていいくらい身の回りのことで忙しくなればうつ状態になんてならないよ、と言ってくれた人もいた。こちらのことを考えて親切で言ってくれたのだろうけれど、一つのタスクもこなせなくて焦りだけが募る未来しか見えなかった。

何か考えを整理すれば病前に戻れるのならそうしたい。ただ何度も再発を繰り返してきた自分にはおそらく無理だろう。薬との縁は一生切れない。薬を飲んだ状態を基本としてその枠の中で少しでも人生が上向くように努力していくしかないのだけれど。重荷を新たに背負うには疲れすぎているし、このまま孤独に耐えながらしのぐしかないのかもしれない。

2019年2月16日土曜日

ちゃんと生きようと思って目覚まし時計を買った話

俺が毎日飲んでいるリフレックス錠(ミルタザピン)45㎎は飲むと30分ほどで眠気を生じ、朝まで眠気が残るため早起きするのが非常に難しい。抗ヒスタミン作用とかいう効果のせいらしいのだが、とにかく朝が眠くて起きられないのだ。職場の温情により、こんな俺でも何とか許されているのだが、この状況は変えたいとずっと思ってきた。どうしても早起きしなければいけない時は、薬を抜いていた。良くはないだろうが…。

前置きが長くなったが、多機能な目覚まし時計を買ったら、この問題が解決しそうなのだ。 電波機能で時刻補正をしてくれてデジタル表示の横長の液晶のもので、そう特殊なものだとも思われない。2010年の12月から今のリフレックス錠の処方になってもう8年…これはいったい…。

ある時、出張で地方に宿泊した時にそこの目覚まし時計の止め方が分かりにくく、スヌーズ機能がしつこく働いたため、思ったよりも楽に目覚めることが出来た。眠気はもちろんあるのだが。これはもしかして…、と思い出張から戻って仕事の帰りに新しい目覚まし時計を買いに行った。目覚まし時計コーナーで立ち尽くすほど色々な種類がある…。上を見れば1万円超えのものまであってキリがないが、スヌーズ間隔を10分→5分→2分とだんだん短くしてくれるタイプのもので2000円程度のものを買った。アラームは2種類の時間で設定出来るし、それぞれ音量やスヌーズパターンも変更できる。

翌朝、目覚まし時計に期待はしていなかった自分ではあったが、スヌーズ機能で一時的に音は止められるものの、なかなか切れない目覚まし時計とやりあっているうちに目が覚めた(また二度寝モードにもなりうる)状態から、起床して活動できる状況に移行できたのだ。かなり眠気が残っているが動き始めてしまえば、何とか我慢できるレベル。一応、2日連続で目覚ましを設定した時間に起床できているので、俺自身がこの目覚まし時計の操作をブラインドで習熟しつくさない限りは多分起きることが出来るだろう。

社会人で朝が弱いという現実は俺自身に非常によくない影響を及ぼしていた。酒を飲まない、薬の眠気が切れる時間から逆算して会社から退勤して電車に乗る前に飲む(これは電車を乗り過ごすことが増えただけで失敗だった。何よりホームでもフラついて危ない。)、色々試したが、こんな目覚まし時計を変えるという簡単なことで解決するなんて。

2018年10月10日水曜日

鬱を治すために(うつ病の末路)

ある出来事が切欠になって、うつ病の末路について考えている。病院で聞く説明では、薬物療法による治療を続けて回復、その後、薬を飲んでいれば普通の人と変わらない状態を維持(寛解)、再発防止のために薬物療法を継続、という流れで、薬を飲まなくても再発しなくなる「完治」は無い。「うつは心の風邪」と言われるようになって久しいが、症状の重さから「うつは心の癌」という人もいる。

さて、俺自身のことに話を戻そう。盆明けからの不調で先月の半ばについに体調を崩して1週間ほど会社を休むことになった。この2年ほど、何とかではあるけれど、病気とうまく付き合ってきている、と思っていただけに落胆は大きかった。身を置いてる環境が悪いのではないか?とも思い、仕事を変えるべきか、とも考えた。そのために資格を取る勉強をするべきか、とも考え、これは少し手を付けてたが、いかんせん精神の不調を抱えたままでは長い時間の集中力は期待できず、今は止めている。だが、一番の大きな問題は何だ?うつ病を抱えて生きていることだ。これでダメだったら人生もう諦めよう、それくらいの覚悟を以て、もう一度、最後まで足掻いてみようと思う。病院の「薬物療法」だけでなく、「心理療法」の両輪でお互いに足りないところを補えば、「寛解」だけでなく「完治」も見えてくるのではないかと。

「心理療法」も結局は自分で自分の精神の面倒を見るしかない。カウンセリングも悪くは無いと思うし、今はマインドフルネス瞑想もだいぶ広まってきているので、手掛けているところも多いだろう。ただ、毎日、やるという意味では結局、自分で「実践」するしかないのではないかと思う。朝晩に最低15分ずつマインドフルネス瞑想をしよう。以前にやり込んでいた時は、集中力がぐんと高まるのを感じたが、そこで無理をせず、実践を怠らず、半年とか1年単位で続けていこうと思う。

人に教えを乞う場合は、「途中で止められない」効果はあると思う。瞑想が毎日の習い性になるまで続けて生活の一部になれば、自ずと瞑想のレベルは深くなり、良い効果をもたらすのではないか。ただ、俺自身はどちらかというと宗教アレルギーに近い。岩波文庫から出ているブッダの言葉、なんかを読むことはあるが、マインドフルネス瞑想は仏教のエッセンスを宗教色を薄めたものなので、誰かに教えを乞うには、細心の注意が必要だと思うからだ。そんな訳で、しばらくは、個人でマインドフルネス瞑想の実践を進めていきたい。

2018年9月5日水曜日

もう拷問はキツいよ…

タイトルはドンケツ24巻の槇原という人物のセリフ。敵の手に落ちて拷問をされて口を割らずに逃げ出そうとするが、再び捕まったら自決を覚悟するシーンでのセリフだ。さしずめ俺にとっては、「もう(鬱病による)拷問はキツいよ…」と言ったところか。良くなったとも言えなかったが、低調ながらも安定を得ていたところに鬱の強烈な痛打。もう堪えられない。


ドンケツ 第24巻 たーし | 少年画報社

十五夜組と野江谷の思惑により、月輪会会長宮本は逮捕され、混乱を極める。脱会者が相次ぐ中、孤月、華月、朔組は会長のため「はぐれ月」となり抗争激化。桃次郎がアジトをつきとめ、ロケマサ、速水、ゲンコが遂に怒りのカチコミ!立ち読みはこちら
この日も限界まで伸びた鉄に軽い一撃を加えるとポキンと折れるかのように、同じ部署の年配の方からの丸投げ指示のメールを見て心が折れた。もちろん、これまで彼と仕事をしていく上でこちらが、後にも先にも立ち回り、うまく行くようにお膳立てをして尽くしてきた。本当にツイてない。

俺も消えたほうがよさそう
ここ3週間ばかり確かに調子を崩しつつあった。ただ、いつものことだ、と軽く考えていたし、薬を飲みながら後は時間の経過と共にある程度は復調するものだと思っていた。しかし、俺の予想を裏切り、鬱の波はますます俺自身を蝕み、気が付けばもう引き返せないところまで来ていた。誰か俺を殺してくれ…、そう念じる日々が続いた。電車に乗る時も電光掲示板で人身事故の表示を見かければ自分自身の死に結びつけてしまう。いつも正座して後ろ手に縛られた状態で俯き、後ろ首に刀を当てられて打ち首になる自分を想像してしまう。そんな最悪なイメージと格闘しているうちに耐えられない頭痛と食欲不振、早朝覚醒、不眠を抱えるようになった。頭痛はまるで脳が機能不全になっていくのに壊れていくことを想起させるような痛みだ。これはもう拷問だ。

いつまで堪えればいいのか…それとも堪えようと抗う行為自体が無駄なのか。右手に抗鬱剤を、左手に瞑想を持って挑んでも叩き潰されるばかり。

あれほどまでになかなか減らなかった体重はスルスル?とまではいかないけれど、89㎏→85.5㎏ほどへ減ったので4.5㎏減。最大値と最小値の差なので、実際は3㎏くらいの減り幅だとは思うけれど。食欲もあまり無いので、ダイエットが捗る。顔も少し肉が落ちてきた気がする。これはこのまま続けようか。


いつまでこんな苦しい状態が続くんだろう、と思う一方で、俺は今、罰を受けているのでこれで刑期を消化しなければいけないからこのままでいい、と訳の分からないことを考えている自分もいる。救われたいか、というとそういう他力本願なことじゃ抜け出せないと思うんだよね。

2018年8月24日金曜日

肥満を解消することが全てに優先する

ここ最近、昔の自分の写真を人に見てもらう機会があり、もはや別人という感想を頂いた。痩せねば、とはずっと思っていたが、いいトリガーになってくれた。ちょうど、先週の半ばから精神面で不調を抱えるようになり、今なら痩せられそうという気もして、食事を絞っている。2013年から2014年にかけて11kgほど減量(86kgから75kgへ)したことがあったのだけれど、その後、抗うつ剤を断薬してからの再服薬であっという間にリバウンドして酷いときは91kgまで行った。身長はそうでもないけど体重に関することはやはり俺にとっても恥ずかしく減量が成功した後かリバウンドした時にか虚しくなってこのブログの記事から削除してしまった。



2013年時のデータもあったら面白かったんだけど、残念ながら記録に残ってなかった。でも86㎏くらいだった。ふつうは人間、毎年同じくらいの体重でしょうね。。。

身長が179cm(自分ではずっと178cmと思っていたが25歳以降もジリジリと伸びて今年の健診では180cmを記録。でもサバ読んでるって思われそうだから179㎝で通してる。)、ガタイはいいと言われることは痩せてるときから多かったがそれでも体重は有りすぎるだろう。標準体重をBMI22とすると70.5kgくらいらしい。そこまでは無理でもせめて普通体重であるBMI25=80.5kgは切りたい。太りやすい薬を飲んでいるなど、どんな事情があって太ってるとは言っても、他人から見れば太ってると第一印象では思われるのだ。

体組成計 インナースキャン50V BC-622

方法は2013年から2014年に取ったのと同じ方法にする。体重を毎朝、毎晩の帰宅時に計って記録。減ってたら体重計の数値を前日と比べてニマニマする。さすがに毎日朝晩2回をExcelに記録していくのは面倒なので、記録は毎週日曜朝に記録しよう。週1くらいで変化の記録は十分だ。食事習慣も以下のように。色々と寝る前にお腹すいて食べてしまったりもあるかもしれないが、ダイエットは長期間でやるので、あまり面倒でなく頑張らなくて出来るのがいい。

・朝食‐食べない
・昼食‐1日1回はまともに食べたいので定食
・夕食‐手間をかけたくないので置き換えダイエット食
・間食‐もともとあまりしないけど、少しならよろしい
 果物は糖分あるけど、体にいいのでノーカンで。むしろ意識して食べる。

多分、筋肉なんかはだいぶ落ちてしまうだろうけれど、先に脂肪をやっつけるつもりでいく。写真は載せないけど、上半身の写真を1か月ごとに撮って記録しておこう。抗うつ剤の残存成分は体脂肪に蓄積していくというから、俺の脂肪にはさぞたっぷりのサインバルタとリフレックス由来の成分が溶け込んでることだろう。

1か月くらい経って、ダイエットのことを全く記事にもしてなかったら減量失敗したんだな、って思ってください。

2018年7月26日木曜日

睡眠時無呼吸症候群のマウスピースを作るのこと その1

はじめに
(個人の見解です。よく眠れるようになりたかったら病院へ行くのも一つの手です。)
いびきがうるさいと大人になった頃からよく言われてた。太り始めてからはより悪化してるらしい。ただ、数年前に86kgから75kgまで減量に成功した時でも軽くはなったが、相変わらず酷くうるさいいびきをかいていたそうだ。また俺の父も今は痩せているがいびきをかいていて少し呼吸が止まっては息を吹き返すことがたまにあるのを見て、自身もああなのだろうと思っていた。「睡眠時無呼吸症候群」で調べると眠ってはいるけれど呼吸が頻繁に30秒から長いと2分近く止まることを眠ってる間中、繰り返すことで眠りが浅くなるようだ。治療には軽度ならマウスピース、重度ならCPAPという呼吸器(機械から出てるマスクをして強制的に空気を送り込んでくれる)を利用するという二通りの治療があるようだ。

とにかく調べていると治療をした人の変化は好ましいものが多かった。いびきをかかなくなることはもちろん、高血圧や成人病まで治ってしまった人すらいるらしい。マウスピースを作るだけでこれらの効果が体験出来るのならばぜひやりたい、そう思ってまずは検査を受けに行ったのだった。

いざ簡易検査

はじめの検査は簡易検査で、2晩、検査用の機械を体に取り付けて眠る。鼻にカニューレという管をつけ、指先にパルスオキシメーターというセンサーを付けて脈や血中の酸素飽和度を計測する。飽和度が100%から下がり90%を切る状態が続くと睡眠の質はとても悪くなり翌日も疲れが残ったり昼間も眠かったりするそうだ。

簡易検査キットはこのように装着する

医療機関に勤めている友人の勧めもあって、簡易検査の次の精密検査は大きな病院でやるのである大学病院の近くで睡眠時無呼吸症候群を診てくれるクリニックの門を叩いた。診察では上述したようなことを説明されまずは帰って検査機器メーカーから機械が送られてきたら装着して眠って測定をしてまた返送してください、とのこと。返送後、1週間ほどで結果が分かるのでその時にまたクリニックで医師の見解を聞きにくれば良いらしい。

検査キットの機械はこういうものでした
届いた計測機械の写真はこちら。TEIJIN製である。これを付けて眠りづらいと言うこともなく計測して、たまに夜中に目を覚ましては酸素飽和度を確認して安心して眠った。あとで気がついたが、目を覚まして酸素飽和度を確認しても、その時はきちんと呼吸できているので正常な値しか表示されない。異常が出るのはぐっすり眠りこけている時なのだ。

結果が出て再びクリニックでそれを医師に説明してもらうのは2週間後となる。(続く)

2018年7月20日金曜日

何でもかんでもマインドフルネスで解決できるわけではない

以前に休職した時に、復職のデイケアでマインドフルネスを学んで、ずっとではないけれど心を落ち着けるツールとして実行してきた。そんな俺からしても、最近、世間はマインドフルネス瞑想を持ち上げ過ぎなのでは?と感じる。本屋へ行けば、マインドフルネス関連の書籍が精神世界、スピリチュアルの棚の辺りに平積み。あげくはマインドフルネス瞑想を助ける家電として、瞑想中の動きをチェックしてくれるものまで開発されているらしい。ただ、ちょっと待ってくれ、と思う。もともとマインドフルネス瞑想の起源を辿れば、上座部仏教のヴィパッサナー瞑想のはずだ。心に湧き上がってくる煩悩を一つ一つ丁寧に潰し、過去へ行ったり未来のことをあれこれ考えてしまう人間の心を「今この瞬間」に固定する、そういう訓練だ。もっと言ってしまえば悟る為の訓練の一環でもある。

マインドフルネスな瞑想は仕事のモチベーションを下げる可能性が示される

by Thư Anh「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」という意味合いのマインドフルネスはGoogleが研修に取り入れていることもあり知名

そういうわけで、上記の記事のようにマインドフルネス瞑想を熱心にやった結果、仕事のモチベーションが下がるというのはある意味、当然なことだと思う。だって、仕事でアウトプットや成果を出していくというのはある種、人間の欲求に沿ってるものだからだ。現状をありのままに捉え、それを受け入れる訓練を続けていれば、それはこの記事のようになると少しばかり瞑想をかじった初心者の俺は思う。

ただ、俺の場合は鬱になって、過去の自分のこれまでの来し方や、未来の迫りくる不安から少しだけ解放してくれる便利なツールだったので、マインドフルネス瞑想をやってきたに過ぎない。言ってしまえば、悟りを得る修練の一環と言っても、そう簡単に悟れるわけもないし、ブッダですら梵天勧請の話にもあるように、仏教の教えを人々に広めてと頼まれるまで、これは普通に人々に受け入れられるものではない、繊細で微妙なものだ、と思っていたという。

 善も悪も失うこと|ニー仏|note

ミャンマーまでわざわざ行って、仏教のことを学ぶために瞑想の実践をしている人が言うくらいなので、おそらく瞑想を続けても執着から少しずつ解放はされていくのかもしれないが、良い人になる為の修練ではないし、ましてや、生き易くなる為の訓練でもないのかもしれない。(もしかしたら、俗世に居づらくなって出家せざるを得ないレベルまで行ってしまうかもしれないし。)

つらつらと書いてしまったけれど、俺自身はストレスから解放されるためのツールくらいの捉え方であって、自分に効果があったからと言って、他の人に安易に勧める気にはなれない。やっぱり、非常に繊細で微妙なものだからと思うからだ。やりたいと思う人はブームが来る前に出た本でオリジナルに近そうなものを読んだり、場合によっては鎌倉あたりのお寺で早朝にやってる座禅の会みたいなのに参加してくるだけでもいいと思う。疑問に思う人には勧めない。欲や執着があるのも人間らしい特色だと思うし、これらを削いでいくことで人生がつまらないと思うようになる人だっているかもしれないからだ。ただ、俺自身は、これからも時間のある時は瞑想はしようと思う。

2018年6月30日土曜日

薬を減らせる医師と足してしまう医師

今日、診察を受けてきて処方が少し変わった。二剤あるうちの片方の量を少しだけ減らしてもらったのだ。前回の診察の時はもう一方の薬を減らしてもらったところ調子が悪くなり、処方が変わってから3日ほどで気持ちが辛くなってきたので元の処方量に戻して飲んでた。

今のホットな医療ネタは減薬、断薬である。
「一生薬を飲み続けなければならない」人などほとんどいない(上原 善広)


以前に自己流で断薬して痛い目にあってるので、俺自身は減薬は試みてももう断薬はしないと思う。ただ、症状が悪化した時に「今までの処方を見直して抜本的に変えましょう。」という医師は自分で考えられる能力がある人であると思っている。反対に「今までの処方にその悪い影響を打ち消す薬を足しましょう。」という医師はマニュアルを信じすぎている気がする。

就職を機に今住んでいる都市に来るまでは別の都市で治療を受けていて、その時の医師は副作用が出たら副作用止めの薬を追加するタイプの処方をする人だった。確かどんどん薬は増えて行って一時期は統合失調症の人が飲む薬も出てたかもしれない。今では鬱病に処方出来なくなったリタリンとベゲタミンBも処方されて飲んでいた。その時のメインの抗うつ薬はトリプタノールで、副作用で尿が出にくいと言ったらウブレチドという薬が出た。リタリンはトリプタノールを最大容量まで処方しても俺の体の代謝が良すぎて効きが悪かったので、代謝を抑えて血中濃度を上げるためだと言われたかな。レボトミンやらコントミンやらも飲んでて割りと訳が分からない状態になってたと思う。参考までに当時飲んでいた処方を覚えている限り記す。うろ覚えだけどこんな感じだったと思う。とにかく眠くて仕方なかった。

・トリプタノール 200㎎(8錠)
・ロヒプノール1㎎
・ベゲタミンB2錠
・コントミン1錠
・ウブレチド3錠
・レボトミン3錠
・リタリン1錠

この時は病歴も浅くて割りとすっきり治った気がしてもう病院に行きたくなくて薬は全部止めてしまった。しばらくはトレドミンの最低容量をもらってお守り的にしのいでた。

就職してまた再発したのでトリプタノールメインで治療を受けていたが、そこの病院は一年経つと担当の医師が変わることが多くて、医師が交代してだいたい半年くらいは薬も全く変わらないことが多かった。そりゃ自分が処方変えて患者の病状が悪化したら嫌だもんな。気持ちは分かるよ。その後、4年ほど通院を受け続けて、閉鎖病棟に入院するレベルまで病気と仕事で追い詰められてた時の医師の先生はずっとトリプタノールだったのをガラッと変えてくれた。最初はアナフラニールにして、俺は日中も眠りこけるようになってしまって失敗だったかもしれないが、入院した時に三環系抗うつ薬とはすっぱり手を切った。今の処方もその時のものがベースだ。

・サインバルタ60mg
・リフレックス30㎎
・メイラックス1錠

今はこのサインバルタを60㎎だったのを50㎎に減らしてもらった。離脱症状が無ければ今後は40㎎に減らしてもらいたい。SSRIはあまり飲んだことが無いけれど、SNRIはばっちり尾籠な話だけれど、泌尿器に副作用がトイレで用を足すときに尿が切れない、と診察で話したら減らしてもらえた。眠くなる、という副作用は無い代わりに別の副作用がある気がするのがSNRI/SSRIなんじゃないかと思う。

リフレックスは眠気もくれるが俺にアッパーな気分を与えてくれる。多分、これだけでは足りないのでサインバルタを合わせている。こちらは朝飲んで効いてるのかどうかよく分からないけど、止める時は耳鳴りがしたりめまいや冷や汗なんかでずいぶんと体が依存してるのを分からせてくれる薬だったので、縁は切れないだろう。出来れば、少しずつ良い精神状態を維持しつつ両方とも様子を見ながら少しずつ減らしていければいいけどね。

2018年5月18日金曜日

CTと胃カメラの検査結果

膵臓が悪い畏れがある、と脅されてCT検査を受けてきた。最初にかかったクリニックでは対応出来ないので大きな病院を紹介してもらって放射線科で造影剤を入れたCT検査をする。血管から造影剤が入った瞬間に体が熱くなる。血流に沿ってその熱が全身に渡っていく不思議な感覚。この日は検査のみでCD-ROM?を渡されて最初にかかったクリニックの医師に渡して下さい、と言われ帰宅。開封してもいけないと言われたので2日後にクリニックに行くまでモヤモヤとした心境で過ごす。

2日後、今度は最初にかかったクリニックでCD-ROMの中身を見てもらうことと胃カメラによる検査。事前の喉の麻酔や安定剤の処置もよく効いて、先生の腕も良いのかあまり苦しくなくて済む。

結果から言うとCTも胃カメラも健康そのものだった。胃壁についてはモニターに映し出されていたけど、どこにもひきつれや潰瘍もないように見えたし事実綺麗なものです、とお褒めの言葉を頂いてしまった。CTもどこにも異常は無いので、あと3年は撮らなくて大丈夫だし少なくとも40までは大病はしないでしょう、と。

「では、何故あんなに胃や背中が痛んでいたのでしょうか?」と質問してみる。「お疲れだったんじゃございませんか。」と先生。ふむ、つまり精神的なものか。そう言うわけで追加の薬も無く、また痛んだらおいで、と言われ病院を後にする。コーヒーやアルコールを少し控えるようにすれば痛まないし、原因が分かれば避ければいい。山無し落ち無し意味なし?そんな感じだった。

2018年4月28日土曜日

胃潰瘍?急性膵炎?それとも・・・

前回の診察から1週間が経過し、検査結果を聞きに再び診察を受けてきた。胃潰瘍もしくは急性膵炎が疑われるということで、ピロリ菌がいるかどうか、それと膵液の異常が無いかを血液検査で調べてもらってたのだ。結果から言うと両方とも問題は無かった。

・ピロリ菌の抗体検査:陰性
・消化酵素のアミラーゼ:正常値
・肝機能:問題なし
・その他の数値も正常で問題なし

すぐ分かる検査で引っかかる原因が無いことで痛みの原因を探るために精密検査となった。造影剤を入れて膵臓のCT撮影と胃カメラを5月の連休明けにやることになった。膵臓のアミラーゼが正常でも痛みがある場合は膵癌の可能性も捨てきれないそうで…。(重めの胃炎でしか無い気もするけど)

病院の帰り道に膵癌について調べてみた。最近だと星野仙一が膵癌で亡くなってる。罹患した患者数=死亡者数と言われるくらい死亡率が高い病気だそうだ。

気がつくと俺の手は小刻みに震えていた。あんなに鬱で苦しんで死にたいと願っていたのに人間とは勝手な生き物だ。

2018年4月23日月曜日

春は調子が悪い

寒かった冬も終わり、急に気温が上がったりまた下がったり、と春先は体が気温の変化に付いていけない。春先はメンタルだけでなく体の調子もおかしくなることが多い。今年も昨年度末までの疲れが祟ったのか、鳩尾から背中へ突き抜ける痛みで苦しんでいる。多分、重めの胃炎かもしかしたら胃潰瘍か…。先日あまりにも背中が痛むので仕事を早退して病院に行ってきた。ピロリ菌がいなければ胃潰瘍にはならないということらしく、まずは検査で確かめましょう、とドクター。背中の位置としては胃の裏側に膵臓があるのでそれも検査で診ましょう、と。血液検査で採血をしてもらって1週間後にまた来て下さい、とのことだった。

こう書くと診察もあっという間に終わったように聞こえるかもしれないけど、触診やこちらの症状を詳しく聞き取ってくれて、その上での診断である。病院の数は多いけれど、なかなか信頼できる雰囲気の医師と巡り会うことはないので、一旦、ここだと思ったら俺はあまり病院を変えたくない。検査結果ももっと早く出るクリニックもあるだろうけど、そういうことよりも医師の腕があるところがいいな、と。

話をある程度じっくり聞いてもらうだけでも患者としては落ち着くのだ。しかし、薬を飲んでもやはり食べられるものが少なくなり、白米も胃もたれするので、素麺を少しだけ茹でて食べている。朝ごはんを食べ過ぎて吐くのもそのまま胃袋に入れたままにも出来ず、朝の出勤前に目を白黒させたこともあったけれど、調子の悪いときはあまり食べず空腹の時間を長くしている方が楽な気がする。検査結果は明日出るので病院に行くつもりだが、胃潰瘍だったらまだいい方かもね。急性膵炎とかなら、もう酒は飲めないな。