2017年2月25日土曜日

低音障害型感音性難聴 - イソバイドで様子見

前回の診察では、イソバイドという利尿剤を飲むことで内耳の中の内リンパ液の浮腫みを取ることを目的とした治療が行われた。3日ほど経ったらまた来てください、と言われたこともあったし、土曜で休みだったのでまた近所の耳鼻科に。この時期はインフルエンザと花粉症の患者さんで待合室はごった返していて、気を付けないと自分自身がインフルエンザに罹患しそう。

また電話BOXみたいな聴力検査ブースに入って聴力検査をする。狭いのと中に空調が効いてるわけではないのでだんだん自分の発する体温で暑くなってくる。あとは外で小さな子供の患者さんとかは耳鼻科で鼻の中、耳の中を器具を入れられて診察を受けると当然、泣く訳で…。暑いのとブース外からの音で若干集中力を欠いた検査となった。


前回と比べると左右差があまり無くなってる?良いことなのだろうか。悪い右耳は少し違和感がまだあるのだが。。。医師の先生はイソバイドの効果が認められたということ、また、ステロイドを使うよりもイソバイドの方が安全という理由で、今回は1箱処方してくれた。



他の同じ薬を飲んでいる人のブログなんかでも言われているけれど、美味しくはない。シロップ状だからこれだけの数だと結構重いし。味は個人的にはグレープフルーツの苦味をギュッと濃縮したような感じがする。だから、薬剤師さんにはグレープフルーツジュースで割って飲むと(薄まって)飲みやすい、と言われたのだろうか。

発症から48時間が勝負!みたいに言われていたけれどとっくにそれ以上の時間が経っている訳で、どうしたものかなぁ、という感じ。職場にも言わないと突然調子悪くて休みます、じゃ相手も困ってしまうだろうし。。。

2017年2月22日水曜日

低音障害型感音性難聴というのになりました

ある日の仕事中、年度末への成果を見据えてなかなか業務は忙しくなっていた。上司と話している最中に上司のいない側の右耳が突然“キーン”となって何となく耳栓をしたような感じで聞こえが悪くなってしまった。何だこれ?と思うも翌日も良くならず。そう言えば友人で突発性難聴になった人がいた、とか思い出しつつ、あれこれ検索して調べてみる。

急性低音障害型感音難聴の改善方法を知ろう

代表的な記事としてリンクを貼ってみたけど、発症から2日間(48時間)以内に治療を受けることが大切らしい。耳にとって悪い状態が続くと音を感じ取る有毛細胞というのが死んでいくから、ということらしい。

会社を夕方で早退して、自宅近くの耳鼻咽喉科に駆け込む。花粉症やら何やらでいつも診てもらっているクリニックだ。

診察室の中にある電話ボックスのようなブースがあって、そこで聴力検査を受ける。毎年受ける健康診断の時よりもバリエーションもかかる時間も長い。試す音域が多かったり、本当に聞こえているかそうでないのか(だんだん聞こえている気になってしまう幻聴みたいなのもあるのだが・・・)、を確認する。検査結果はこちら。赤いラインよりも下回ると明らかに異常値ということだが、かろうじて赤いライン上に右耳は乗っている。ただし左耳と裏ベルト500Hz以下が聞こえが悪いようだ。25dBくらいなので、まだマシな方なのだろう。


骨導と言って、耳の後ろの骨に音が出る機械を当てても検査したけれど、骨導と気中を伝わって鼓膜に音が届く伝音との差は無く、どちらも悪めの結果が出た。つまり耳道や鼓膜と言った空気中の音波の振動を拾う部分には問題はなく、そこから先の音を電気信号に変えて脳に伝えるところに問題がある。だから「感音性難聴」なのだ、ということ。

突発性難聴か、あるいは周波数から見て低い音域の音が聞こえにくくなっているから「低音障害型感音性難聴」だろう、という診断。治療としては、内耳の中の蝸牛と呼ばれるカタツムリのような形の器官の中でリンパ液が溜まり過ぎて浮腫んでいるから、浮腫みを取る為の浸透型利尿剤の「イソバイド」を出される。これで様子を見てください、ということでこの日は帰されることとなった。

2016年5月20日金曜日

無理と分かっていても続けたい

無理と分かっていても今の仕事を続けたいと思っている自分がいる。それは転職を考えている今がネガティブな動機でうまく行かないと分かっているからだ。新天地を求めるなら現職との関係を発展的解消していけるものでなくてはならない気がしている。

先日の友人の言葉には一時的に耳を塞ごうと思う。その人は僕のことをある程度は思いやって現職を続けるのは無理と言ってくれるが、決めるのは結局は自分自身だ。またそうでないと必ず悔いが残り他人のせいにするのが分かっている。

正直、どうしたらいいのか分からなくなっているだけなのかもしれない。ただ、今の環境でダメになっているようでは、新たな環境を求めても、そこに慣れるまでの過程でまた潰れるだけだと思うのだ。

2016年5月17日火曜日

健常者にだって悩みはあると言われた

仲のよい友人がいてよく話す。ただ、最近、その人はタイトルのように「健常者」と言う言葉を使う。僕は精神「障害者」ってことだからか・・。いずれにせよ、その人からすればウダウダ言ってるなら行動しろ、それが出来ないなら繰り言は止めろって事なんだと思う。保護者出はないので、当然なので僕はその人に精神的不調に関する悩みを話すのは止めようと思う。

僕はマイノリティの声を認めて欲しいとかそう言うことを声高に言いたいわけではない。お互いに愚痴っててもOK、ただそこにうつ病のことは言っては駄目、と言うことを備忘録としてブログに書いておこうと思った。

2016年5月10日火曜日

どんな仕事なら出来るのか?~転職編~

連休の間、帰省して色々と現職で続けることや転職して新しい仕事を始めることについて考えていた。おそらく現職で続けられるのはあと1、2年が限界なのではないかと思っている。

昨年は転職活動をし 1企業の面接を受け、内定まで頂いたのに辞退してしまった…。色々とああしておけばよかったこうしておけばよかった、と言うことはあるけれど、昨年は断薬をせず内定をお受けして転職していれば3月末の不調の強烈なスイッチは入らなくて済んだかも。もっとも職場は入ってみないとどういう環境か分からない博打みたいなところはあるけれども、面接でお会いした方々は温和で今の職場よりも温かそうだなと思ったように記憶している。

現職は皆さん、激務で働いている中、自分だけ制限をかけられて楽をしている。と言っても皆さんが終電まで仕事で僕は遅くても20~21時までという感じだ。たまに22時まで行くことはあったが、仮に鬱が治っても以前のように周りと同じように終電までやっていくのは不可能だろう。そして、こうして制限を受けていることは感謝しなければいけないけど、周りからは取り残されて行っている焦りもある。

そんな楽な仕事なんてあると考える方が甘いのかもしれない。ただ、もう少し案件が小さくて一つの仕事のサイクルが早く今よりも負荷が少し下がる仕事であれば十分やっていけるのではないかと思うのだ。

2016年4月23日土曜日

今ひとつの恋が終わりました

ここまでのあらすじも何もないけど、タイトル通り、先ほど一つの恋が終わりました。孤男を名乗っておきながら、彼女いました。さっきまで。先月の下旬から死にかけるほどの鬱状態だったのは前の記事の通りなんだけど、実は(元)彼女も同じくらいのタイミングで、色々しんどかったらしい。落ち着いたらまた連絡する、そう言われて、自分も大変な状況だったので、こちらからも連絡をしなかった。10日に一度連絡が来る。会って話すことも電話も出来ない、文字のやり取りだけ。皮肉なことに別れるさっきまでのやり取りが一番メールのやりとりは多かった。

もともと、メールの少ない人ではあった。それは別に不満ではない。ただ、そういう性質の人だと思って合わせていけばいい、そう思っていたから。僕は自分が好ましいと思う相手(男女、友人、恋人問わず)の鏡のように振る舞うことが多い。メールなんかはその最たるものかもしれない。文体というよりも絵文字が多ければ増やすし、無ければこちらも使用しない。自分が無い。そうかもしれない。

もう今更何を言っても相手には届かないので、ここで愚痴ってみる。勝手に決めて、相手の意見は受け入れずにハイさようなら、じゃ困るんだよね。そっちは納得済みなんだろうけどさ。向き合うのはもう嫌だ、終わったことに割く労力はあいにく用意していない、そんなところなんだろうが、僕はそういう女性の振る舞いは誠意が無いと思ってしまう。

ただ、相手にはこれまで時間も気持ちもつぎ込んでもらって、一緒に時間を過ごした訳で、そこは感謝したい。今までありがとう。そう最後にメールに書いて送信した。

2016年4月22日金曜日

復帰して2週間

今日で以て、復帰後2週間(5日×2週=10日間)の勤務が終わった。相変わらず頭は緊張性の頭痛でガンガン痛む。希死念慮も無くなる時もあるけれど、まだある。今週の月曜と火曜が特に辛かった。頓服のエビリファイという液状の薬を飲み下して仕事をする。

復帰して思ったこと。もはやこの仕事を続けるのは不可能ではないか、というのが一つ。また二つ目は無理せずまた休職すればいいのでは?ということ。ただし、どちらを選んでも辛い未来しか無い気がして、やはり死んだ方が・・と思っていたり。近所の○○橋から人が落ちて死んだのだからそこまで行けば死ねるとか、やはり首吊りで行くのが確実では、とかそんなことを考えていた。

ふと気が付いてがっくりしたことがある。今、僕は35歳だ。そして、老衰で死ぬにはちょっと早いが不自然ではない、と言ってもらえそうな70歳まで今まで生きてきたのと同じ時間だけの35年もある。おまけに体力・知力・気力は下降線に沿って下がっていくのみだ。これに気がついて、軽く眩暈を覚えるような絶望を感じた。

働いている企業名を出せば、辞めるのは勿体無いよ、と人から言ってもらえるのは分かっている。でも、どうせ「完走」出来ないんだよ?それなら早い方が・・という思いもある。

自殺も完遂できない、仕事も満足に出来ない、かと言って結婚して家族を作れるわけでもない半端者・・・。自殺願望がグッと立ち上がった3月下旬は、「祖父は二人ともとうに亡くなってるし、祖母も二人続けてこの半年で亡くなった。もはや自分が命を絶っても悲しむ人はごくわずかだ。父や母、妹には大きな迷惑をかけるが、まだ結婚もしていないし、やるなら今だ。」と考えていた。

おそらく、ロープを買ったり、電車に飛び込もうと(これはやらないと思うけど)したり、高層ビルから飛び降りようとしたり、という最期の局面に立った時、泣きながら震えて「死にたい、けど、誰か助けてよ!」とぶつぶつ呟いている自分の未来が見えた。