2018年4月6日金曜日

産業医面談

就業制限がかかっているので毎月、産業医面談を受けている。自分の職場の上司と総務の人達も立ち会うので、面談と言っても1対4くらいの構図になる。

何とかしてこの産業医面談を受け続けなくてはいけない現状を変えたいと思うようになった。と言うのもいい年をして、何時に寝て何時に起きて休みの日は何をしているか、と細かく問われるのにうんざりしてきたのだ。(ケアしてもらう為の面談を用意してもらって何て言い草だと思われそうだし、そこは申し訳ないとは思う。ただ、そっちの方向じゃないんだよなぁ…と思うだけで。)例えば、「休みの日に何していますか?」という質問に「疲れてぐったりしています。」と応えるとおそらく降級点がつけられる。「朝起きてから家出るまで何をしていますか?」とか、毎朝やってることは変わらないとは思うけどあんまり覚えていないのと、何か生活の一部を覗き見られるようで気恥ずかしくて応えるのも嫌になるとか…。まぁ、そこを突き詰めても病気は良くならないんだけどなぁ、と思うのだよね。やらなきゃいけない仕事は結局、やらなきゃいけないわけで。そういう方をこれならもう少し出来そうです、とか、他の同僚みたいにフルに終電までは頑張れないけど、ここの知識なら役に立てるから臨機応変に使ってくれ、とかそういう議論が出来たらいいなぁ、と思う。

休職から復職した人がどれだけ面談を受け続ける必要があるかを調べてみたところ、どうも3ヶ月から6ヶ月が目安のようだ。対して一旦、制限が解除されたこともあったけれど、今はもう数年単位で面談を受け続けている。

面談で重視されるようなのはどうやら生活リズムらしい。あんまり画一的にしても個々人で症状も薬も違うのだからパターン化は出来ない、とも思うがおそらくここを問題ないと面談で証明出来れば制限も無くなり面談を受け続ける必要も無くなるのではないか、と考えた。

勤怠を安定させること、毎日決まった時間に出退勤するのが一番でそれ以上のことは多分求められない。

症状が良かろうが悪かろうが、それはあんまり重視されないようなのでもう割りきって行くしかない。

2018年4月5日木曜日

行けるところまで行き然る場所で死ね

フランスのことわざにある言葉らしい。
Va où tu peux, meurs où tu dois.
江戸幕府に仏式戦術を教授していた軍事顧問のジュール・ブリュネが作中で挙げる言葉だ。

「維新と戦った男 大鳥圭介」(伊東潤:著)を読んだ。

伊東潤 『維新と戦った男 大鳥圭介』 | 新潮社

われ、薩長の明治に恭順せず――。幕府歩兵奉行・大鳥圭介は異色の幕臣だった。全身にみなぎる反骨の気概、若き日に適塾で身に着けた合理的知性、そしてフランス式軍学の圧倒的知識。大政奉還後、右往左往する朋輩を横目に、江戸から五稜

俺は「国を蹴った男」を読んで以来、氏の小説が好きで時々読んでいる。ここのところ、池波正太郎の真田太平記をはじめ、正統派歴史小説を読み続けてきたので、たまには新しい作家さんの本を読もうと買ってみた。

徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行い、佐幕派は恭順し天子様に弓を引くことはならない、と言いつつも実は我が身可愛さだけに逃げ腰になっている幕臣達と対照的な人物である、大鳥圭介をはじめ、榎本武揚、土方歳三たち、それと薩長連合からなる新政府と大鳥、榎本達との間に立つ勝海舟、各々がみんな義理を通して戊辰戦争で戦っている。そんな生き様が描かれている。日光、会津、函館と壮絶な戦いが展開され、最後は新政府軍の物量にどうしても勝てないせいで五稜郭に押し込められてしまう。当時の先進的なフランス式兵法に精通しているとは言え、実戦経験もない、榎本たちの軍艦よりも、新政府軍の方が数が多い等あって戦いは劣勢に傾いていく。先ほどのブリュネは日本の内戦なのに、フランス軍籍を抜けてまで大鳥、榎本たちと行動を共にする。(後に彼は五稜郭での決戦の前にフランス軍に収容され脱走兵として裁かれるが名誉を回復する。)

幕臣達にも言い分もあっただろうし、維新政府側にも言い分はあっただろう。(個人的には西郷隆盛は好きだけど、岩倉具視は好きになれない。)ずっと江戸幕府のままの統治体制で近代化すればよかったとも言えないだろうけれど、やはり当時の行政機関は徳川幕府であった訳で、幕府に所属しながら西欧の近代的な文明、軍事、医術そう言った学問を学んできた人材は幕府側に多かったのに、それを活かしきれなかったのは惜しかった。

あとは好きなセリフでは勝海舟の「これでもう鼻血も出ねぇ」だな。徳川幕府の金庫にあった黄金を榎本武揚に二十万両、大鳥圭介に三千両を渡した後のセリフ。逆さにしてももう鼻血の一滴も出ないくらいすっからかん、と言うことだ。江戸っ子なセリフが他にも多くてやることが気が利いてるものだから勝海舟は好きなキャラクターの一人だ。

伊東潤の小説は、従来からある歴史小説とちょっと違った視点で描かれることが多いように思う。国を蹴った男では、著名な人物の側に仕えるバイプレイヤー的な人物が描かれる。「峠越え」では徳川家康の伊賀越えを描いているが、家康も実は普通の人間だと思わせてくれて、新解釈もあり、読んでいて面白かった。

俺自身は、どこまで行けばしかる場所で死ねるかね?

2018年3月22日木曜日

間に合わなかったらごめんな。

ここ1か月ばかり、仕事はただ耐えるのみ、体調は悪くなっても崩すわけにはいかないので(メンタルでそういう努力は今までうまくいった試しがないけれども。)、注意はしている。また、老いたとは言えまだ両親も健在。うつ病の症状を聞かれたら答えるけれども、「頼むから自殺だけはしないでくれよ。」と言われる。しかしながら、うつ病の全てが自殺既遂してしまう訳ではないけれども、それでも何とか踏ん張っているけれども、でも治療なり休息を適切に取って症状の悪化を防ぐなりの努力が「間に合わなかったらごめんな。」と思う。

2年前にはフラフラと、それまで何度かバイクで訪れたことのある町にローカル線に乗り徒歩で行った。懐かしい景色を見ながらこれが人生最後のちょっとした観光だな、と独り言ちた記憶。あの日は日射しは柔らかかったような…。誰も俺を知っている人はいない小さな町を歩き回り乗り物がないと動き回るのはしんどいな、と思いながらも、結局、ヘタレてそのまま帰りもローカル線で帰ってきたのだった。途中にある城も見たかったけど、修復中で見られなかったんだよね。

その後、俺は地元に強制送還になった。死なれては困るから独り者の俺にはそうしてもらうしか会社的には無いのは分かるが、へとへとに疲れ切っている時の移動は堪える…。

次に同じような死の誘いが来たら…、もう諦めて死ねたらいいんだがな。色々頑張ってきたつもりだったけれど、何も成し遂げられなかったし、自分の家族を作ることも出来なかった。何も残すことが出来ない人生だった。夢も見た気もするけれど、全部気のせいだったよ。


2018年3月19日月曜日

薬で強化していくと別のところが壊れる

年度末締めの仕事をこなしていて感じたこと。幸いなことにメンタルはまだギリギリ均衡を保っているが(それでもだいぶキツいけど)、職場にいる間に頭が痛くなったり気持ち悪くなったので職場にある血圧計で何気なく血圧を測ってみた。結果、上が145mmHg~165mmHgというなかなかの数値を出してる。今までの健診で高血圧を指摘されたこともなくて、職場で緊張しているが故の数値だとは思う。

抗うつ薬を飲んでメンタルを強化して、昨年は耳が壊れ突発性難聴になり、今年は耳は何ともないけど高血圧で体にダメージが出てる。気持ち悪くなるくらいならいいけれど、3日くらい頭が痛いこともある。ここ3年は同じような業態の仕事をしていて2年前はもう駄目かと思うところまで追い込まれていた。今回も仕事の区切りがついたと気を緩めたら同じようなことになりそう。ソフトランディングを目指したい。

仕事は何のためだろう。よく自分が仕事が出来ると思い込んで周りの出来なさを嘆く人もいるけれど、少なくとも僕の仕事でそれは出来る人はいない。難度も高く、どれだけ頑張っても出来ないことの方が多い。顧客も割と無理を言う。辛さに耐えきれず辞めていく人もかなり多い。みんな僕から見たら優秀で有能な人ばかりなのに。そんな環境の中で、今年度の仕事は、自分だけでなく多くの人が作り上げた作業をより合わせて一つの成果にすることだった。隅々まで1人の人間が作ったかのような神経の通った仕事にしよう、と思って頑張ったけれど、やっぱり通して見るとやった人が違えばムラも出来る。なかなか難しい。

2017年12月22日金曜日

薬が効いてきた

8月に親戚が亡くなってから、どこか足がもつれるように鬱状態も酷くなっていき、9月、10月、11月と陰鬱な気持ちで過ごす日々だった。これは、抗うつ剤の副作用を訴えた僕の希望を主治医が聞き入れて、減薬してくれたのもある。サインバルタはMAXの60mgだが、リフレックスは30mg(2錠)だったものを、減薬して22.5mg(1.5錠)になっていた。

リフレックスは飲むと眠気が強く出るのと、眠りに就くまで、異常な食欲が出る。飲んですぐに寝てしまうのが一番いいのだが、朝まで薬が残ることも多いので、22時頃など就寝より少し早めに飲んで家事などをしたりしながら眠くなるのを待つことが多い。そういうわけで、減薬と相成ったわけだがやはり自分の体には少し量が足りなかったようだ。16日の診察でリフレックスについては再び30mg(2錠)へ処方量が戻った。 サインバルタはそのまま。

それから1週間近く経って、薬が効いてかなりつらい気持ちが緩和されてきたように思う。2か月くらい抑うつが強くて希死念慮も強くて時間を無駄にしたような気分になったが、もしかしてこれは主治医の作戦だったのでは、とも思う。敢えて、1.5錠の低い容量で体を慣らしておいてから2錠へ増やすことで増薬した効果を狙ったのではなかろうか。かつてリフレックスを3錠へ増やしたことがあったが、やる気、気力は出てきたものの短気になった記憶がある。それは主治医へも診察で伝えていたのでリフレックスを3錠へ増やすことの弊害をしっかり把握した上でのことだったのではないかと。

いずれにしろ、年末ではあるがようやく身の回りのことなどをする気力、仕事も少し前向きに頑張れる気力が出てきたのは良かった。頑張りすぎて燃え尽きることがないように慎重にペースをあげていこうと思っている。

2017年12月13日水曜日

急に辛くなってきた

抑うつ状態が急激に加速してるようで辛さに耐えられなくなってきた。涙を流さないように堪えているだけで、ふとした切っ掛けで涙が零れそうな悲しみを常に感じている。別に何か原因があるわけでもないのだ。いつもの不調の通りと言えばそうなのだけれど…。誰かの訃報や殺人事件のニュースを見聞きする度に、死ぬのが自分だったらなぁと考えることを止められないでいる。

職場でも人の声が気になるようになってきた。他人の独り言なぞ気にしても疲れるだけだと言うのに馬鹿だね。

積極的に行動に移せるような計画も無いし、気力もない。ただ、自身の命が早く尽きて欲しい。そう願う今日この頃。

ふと思い出した。7年前の今頃、自殺衝動が高まって精神科の閉鎖病棟に入院し始めたんだった。ああいう状態とは今は違うと言える。

何でこんなことを書き残すんだろう。あとでこの暗いトンネルのような不調の日々を抜け出してまた似たようなことが起きた時に振り返る為に有用だからかもしれない。しんどくてもどうせ死にきれないよ、とは思ってるけどももし死んでしまったとき、どう苦しんでいたかの記録にはなるかもしれない。

2017年11月19日日曜日

不調になってからそろそろ3か月

お盆の辺りに闘病中だった親戚が亡くなった。ここのところ、1年ごとに親しい人を亡くし続けてその度に、精神的に落ち込み、うつ病も悪化する。今回も8月の下旬から不調が始まり、だんだんと仕事の資料等が頭に入ってこなくなり、だけど、何とか形にはせねばならずで、それを時間で補っている。気が付けばもう11月も後半。鬱の期間はきっかけと呼べるほどのことではないかもしれないけれど、気温差、身近な人の死(喪失体験)、または季節的なものなどいろいろ複合的なことがトリガーになって始まるようだ。

主治医の診察で、服用薬はサインバルタ60㎎は変わらずだが、リフレックスは30㎎(2錠)から22.5㎎(1.5錠)へ減薬。てっきりまた45㎎(3錠)まで増薬かな?と思っていたので少し驚いた。先月は微熱が常に37.5℃くらいある状態が続いていたが、どうも風邪でも無いらしい。自律神経失調症なのでは?と主治医にも言われた。耳鼻科で診てもらっても熱以外は異常なしとのことで、時期ももう11月なのでついでにインフルエンザ予防接種を受けてきた。

ほかには産業医の面談を受けて、調子も今ひとつだね、と言われたり。調子の浮き沈みもあったけど3、4年前は部署も違ったのもあったけど、たくさんの人とネゴったりしながら、仕事もやればやるだけ進んで形になっていく感じがあったのになぁ。今の状況はあまりにも惨め。

死んでいく人がいる中で、自分自身もそんなに長生きしなくていいな(5年先にはもう居なくなっててもいい、くらいの感覚)、と思っているけれど、何だかんだで20年経っても同じようなことをボヤいてそうな気もしてそれもまた恐ろしいのだ。

紅葉も綺麗な時期になりました