2016年5月17日火曜日

健常者にだって悩みはあると言われた

仲のよい友人がいてよく話す。ただ、最近、その人はタイトルのように「健常者」と言う言葉を使う。僕は精神「障害者」ってことだからか・・。いずれにせよ、その人からすればウダウダ言ってるなら行動しろ、それが出来ないなら繰り言は止めろって事なんだと思う。保護者出はないので、当然なので僕はその人に精神的不調に関する悩みを話すのは止めようと思う。

僕はマイノリティの声を認めて欲しいとかそう言うことを声高に言いたいわけではない。お互いに愚痴っててもOK、ただそこにうつ病のことは言っては駄目、と言うことを備忘録としてブログに書いておこうと思った。

2016年5月10日火曜日

どんな仕事なら出来るのか?~転職編~

連休の間、帰省して色々と現職で続けることや転職して新しい仕事を始めることについて考えていた。おそらく現職で続けられるのはあと1、2年が限界なのではないかと思っている。

昨年は転職活動をし 1企業の面接を受け、内定まで頂いたのに辞退してしまった…。色々とああしておけばよかったこうしておけばよかった、と言うことはあるけれど、昨年は断薬をせず内定をお受けして転職していれば3月末の不調の強烈なスイッチは入らなくて済んだかも。もっとも職場は入ってみないとどういう環境か分からない博打みたいなところはあるけれども、面接でお会いした方々は温和で今の職場よりも温かそうだなと思ったように記憶している。

現職は皆さん、激務で働いている中、自分だけ制限をかけられて楽をしている。と言っても皆さんが終電まで仕事で僕は遅くても20~21時までという感じだ。たまに22時まで行くことはあったが、仮に鬱が治っても以前のように周りと同じように終電までやっていくのは不可能だろう。そして、こうして制限を受けていることは感謝しなければいけないけど、周りからは取り残されて行っている焦りもある。

そんな楽な仕事なんてあると考える方が甘いのかもしれない。ただ、もう少し案件が小さくて一つの仕事のサイクルが早く今よりも負荷が少し下がる仕事であれば十分やっていけるのではないかと思うのだ。

2016年4月23日土曜日

今ひとつの恋が終わりました

ここまでのあらすじも何もないけど、タイトル通り、先ほど一つの恋が終わりました。孤男を名乗っておきながら、彼女いました。さっきまで。先月の下旬から死にかけるほどの鬱状態だったのは前の記事の通りなんだけど、実は(元)彼女も同じくらいのタイミングで、色々しんどかったらしい。落ち着いたらまた連絡する、そう言われて、自分も大変な状況だったので、こちらからも連絡をしなかった。10日に一度連絡が来る。会って話すことも電話も出来ない、文字のやり取りだけ。皮肉なことに別れるさっきまでのやり取りが一番メールのやりとりは多かった。

もともと、メールの少ない人ではあった。それは別に不満ではない。ただ、そういう性質の人だと思って合わせていけばいい、そう思っていたから。僕は自分が好ましいと思う相手(男女、友人、恋人問わず)の鏡のように振る舞うことが多い。メールなんかはその最たるものかもしれない。文体というよりも絵文字が多ければ増やすし、無ければこちらも使用しない。自分が無い。そうかもしれない。

もう今更何を言っても相手には届かないので、ここで愚痴ってみる。勝手に決めて、相手の意見は受け入れずにハイさようなら、じゃ困るんだよね。そっちは納得済みなんだろうけどさ。向き合うのはもう嫌だ、終わったことに割く労力はあいにく用意していない、そんなところなんだろうが、僕はそういう女性の振る舞いは誠意が無いと思ってしまう。

ただ、相手にはこれまで時間も気持ちもつぎ込んでもらって、一緒に時間を過ごした訳で、そこは感謝したい。今までありがとう。そう最後にメールに書いて送信した。

2016年4月22日金曜日

復帰して2週間

今日で以て、復帰後2週間(5日×2週=10日間)の勤務が終わった。相変わらず頭は緊張性の頭痛でガンガン痛む。希死念慮も無くなる時もあるけれど、まだある。今週の月曜と火曜が特に辛かった。頓服のエビリファイという液状の薬を飲み下して仕事をする。

復帰して思ったこと。もはやこの仕事を続けるのは不可能ではないか、というのが一つ。また二つ目は無理せずまた休職すればいいのでは?ということ。ただし、どちらを選んでも辛い未来しか無い気がして、やはり死んだ方が・・と思っていたり。近所の○○橋から人が落ちて死んだのだからそこまで行けば死ねるとか、やはり首吊りで行くのが確実では、とかそんなことを考えていた。

ふと気が付いてがっくりしたことがある。今、僕は35歳だ。そして、老衰で死ぬにはちょっと早いが不自然ではない、と言ってもらえそうな70歳まで今まで生きてきたのと同じ時間だけの35年もある。おまけに体力・知力・気力は下降線に沿って下がっていくのみだ。これに気がついて、軽く眩暈を覚えるような絶望を感じた。

働いている企業名を出せば、辞めるのは勿体無いよ、と人から言ってもらえるのは分かっている。でも、どうせ「完走」出来ないんだよ?それなら早い方が・・という思いもある。

自殺も完遂できない、仕事も満足に出来ない、かと言って結婚して家族を作れるわけでもない半端者・・・。自殺願望がグッと立ち上がった3月下旬は、「祖父は二人ともとうに亡くなってるし、祖母も二人続けてこの半年で亡くなった。もはや自分が命を絶っても悲しむ人はごくわずかだ。父や母、妹には大きな迷惑をかけるが、まだ結婚もしていないし、やるなら今だ。」と考えていた。

おそらく、ロープを買ったり、電車に飛び込もうと(これはやらないと思うけど)したり、高層ビルから飛び降りようとしたり、という最期の局面に立った時、泣きながら震えて「死にたい、けど、誰か助けてよ!」とぶつぶつ呟いている自分の未来が見えた。

2016年4月17日日曜日

復帰して1週間

前回のブログにも書いたように4月11日から復帰。月曜から金曜まで休まずに会社行けた。病気のこととは関係なく、3月までの昨年度と4月からの新年度で部署内の分担が変わって、引き継ぎをしたりされたり。今まで持っていたことは他の人へ引き継ぎをしたが、今年度から受け持つ案件は結構ヘビーな気がする。猫の手も借りたい、という上司の気持ちは分かるが「ここは君に頑張ってもらうしかない。」とか2週間前に自殺寸前まで追い込まれていた人間に言う言葉じゃないよなぁ…とは感じた。そして、この仕事をこの先続けていくことは難しいだろう、と改めて思い直した。

体の調子がどこまで良くなるかにも依るけれど、僕はこの仕事をそう遠くない将来、辞めることになるだろう。辞めて何をするかという問題はあるけれど、去年は面接を受けて内定までもらえたのだから何とかなるのか、それとも転職もうまく行かずにますます辛い立場になってしまうのか。

まずは、情報を集めることが大事。

2016年4月10日日曜日

会社を休んで帰省して短期療養

前回からの続き。会社の産業医とも主治医とも相談して10日ほどじっくり休んで療養することにした。その間、一人にしておくのは自殺衝動が起きているので危険なのと食欲も無くなっているので、実家に戻って療養することを約束し、帰省することに。この半年ほどは近くはない実家に何度も帰省している。父方が昨年秋、母方が今年初めと両方の祖母が亡くなったので葬儀、四十九日もあって帰省していたのだ。思えば2人の祖母を亡くしたことも日頃の精神的なストレス、疲労に加えて喪失感として積み重ねとなっていたのかもしれない。もう地元に帰っても2人の祖母はどこにもいないのだ。

実家に帰ってからは当初は食欲もほとんど無かったが、少しずつ食べられるようになった。ただ、まだ万全とは言えない。家族と折り合いが良くなかったとこれまで思っていたが、弱っている自分には気をかけてくれていると感じた。 父も母も年を取ったというのもある。父は以前はやはり自分のする仕事や家族を導く自負みたいなのがあって、押し出しが強かった面があったが、年を取って自信が無くなったようなことを言っていた。

家で1日1時間程度やりたかった英語の勉強をする以外は基本的にあまり何もしていなかったが、父方の実家と母方の実家に行き、それぞれの祖母にそしてもっと前に亡くなった両方の祖父にも手を合わせた。これが今回の帰省で出来た一番良かったことかもしれないな。

明日11日の月曜からまた出社して仕事に取り組む。当面は定時間勤務の残業なしということになるとは思う。今までも実はそうだったらしいのだが、「自発的に」残業して仕事を片付けていたことになっていたようだ…。両親ともにもう死ぬくらいなら仕事を代わってもいいのでは、という雰囲気にはなっていたがさてさて。

2016年3月27日日曜日

死神に壁ドン!~また死ぬかと思った

ここ2年以上は死んでしまいたいという希死念慮からも遠ざかり、調子が悪くなっても集中力がなくなる、落ち込む、ふさぎ込む、体の自律神経的な不調程度で済んでいた。が、一昨日の朝、急に「このまま数日以内に死ななければならない!」という思いに捉われて、僕は酷く狼狽した。今の薬じゃダメなの?しばらく落ち着いていたじゃない?何で?数日以内なら何を準備して何を整理しないといけない?そうだ、メールでもいいから遺書を書こう、そんな感じだった。当然、仕事にはならず、早退して主治医の元へ受診。

今のサインバルタ60mg、リフレックス15㎎に加えて、リフレックスを更に15mg、つまり合わせて30㎎、エビリファイ内用液6mgを頓服でもらった。死にたいほどの不安が強い時はエビリファイでしのいでください、とのこと。

主治医曰く「人生というのは霧の中を歩いているようなもので、多くの人はそこに足を取られるような大きな穴が開いていたり、霧の向こうは断崖絶壁だったりというのを知らないまま一生を終える。また、知らないことが幸せなのかもしれない。しかし、貴方は断崖絶壁をすでに知ってしまっている。何かの弾みに今回のようにまた思い出すことで断崖に面してしまうことは必ずあるのだ。」と。もう死ななきゃ、とブツブツ言いながら電車に乗り、降りて病院まで行った僕の不安は主治医の先生と話すことで少しだけ落ち着き始めていた。

薬局で処方された液状のエビリファイを1包飲み干し、水で流し込んだ。ひどく苦かったが、これで効いてくれ、と藁にもすがる気持ちで。気が付いたらとにかく頭痛がひどかったがこれは朝からだろう。

まさにちょっと好調を保っていたからって調子に乗るなよ?と死神に襟首を掴まれて壁に押し付けられた壁ドンだったのだな、と今は思う・・・。