2013年12月22日日曜日

後ろなんか見ずに 走り続けてきたけど



後ろなんか見ないで全力で走り続けた。まだ駆け抜けてはいない。終わりは見えないからだ。

いくら走っても走っても終わらない。チームで仕事?欺瞞なのか嘘なのか。一緒に働いている人のヤリ方がおかしいのは分かっていた。それでも、俺が俺自身に「意思がある」ことを証明する為にどんなにバカバカしくてもやりとげようと思っていた。

正しい事よりも組織の和が重視され、間違ったことが横行する。頑張れば頑張るだけ損を見るような気もしている。もしかしたら、頑張らない方が楽なのか、とも。人はこんな環境の中でも腐らずに努力し続けられるのか自分自身を実験材料として観察し続けている。

2013年12月13日金曜日

撤退

一昨日、今日と会社を休んだ。もう限界みたい。病院に行き、とりあえず1週間の休養が取れるように診断書を書いてもらった。戦略的撤退なのだと思いたい。このまま潰れるのではなく、少し休んでまた走り出すための充電期間だと。

仕事は待ってくれないし、全部キッチリ片付けてしまいたいし、またそうしないと気が済まない。結果、自分の容量を超えて仕事の負荷が上がる。また、仕事も集まってくる。だが、それもここまでだろう。線を引いて、一歩引かなければ、また3年前と同じことの繰り返し。こんな所で終わるのは正直、悔しい。だが、仕方ない。諦めろ、と自分に言い聞かせる。

2013年12月10日火曜日

あれから3年経った

3年前、俺はもう消えてなくなりたい、死んでしまいたいという気持ちに苛まれていた。そのまま、自殺の危険有り、として精神科の閉鎖病棟へ直行で入院となったのだが、それからちょうど今日で3年経ったわけだ。当時はそういう自殺願望が凄まじい以外は、至って普通(だと思っていた)。変わらず仕事の作業もできてた。ただ、ひっきりなしに自分が死ぬイメージは脳裡から離れなかった。惨めに首を吊ってぶら下がっている様子、飛び降りでグチャグチャになった様子、ありとあらゆる自殺法を脳内でシミュレーションし、確実に逝けそうな首吊りで行こう、というのだけは決めていた。思い出しただけでもキツいが、3年経っても相変わらず仕事で潰れそうになってる状況は変わっていなかった。当時の自分からしたら3年もしたら、もう死んでいるか、或いは厄介ごとは解決してもう少し幸せに暮らしていると思いたかっただろうが…。

今朝は、冷たい冬の雨が降っていてそれに打たれることで、惨めな気分がさらに加速していた。思い出すまいと思って仕事をしていたが、当時は本気で死ぬつもりだったものなぁ、とかそういう考えが頭をよぎり続けていた。結局、この3年で何が変わったのだろう?会社に行って、人並み以上には仕事をこなせるようには戻ったとは思うが、私的な部分の「人生の厄介ごと」については、まったく片付いていない。

フラッシュバックという奴だろうか。久々に消えて居なくなりたいような気分に戻ってしまった。

生きることに意味はないとは思っている。もしあるとしたら、この身体は動物や昆虫と同じく子孫を残すための遺伝子の入れ物に過ぎない。しかし、それすら放棄したから、やはり生きる意味はない、というところに帰着するしかない。

2013年12月7日土曜日

仕事をやる理由

もともと理由なんてない。「それが仕事だから。」

最近よく「何故、そんな酷い状況でも仕事できるの?」と訊かれる。周りの環境だったり、俺自身の体調が酷かったり、というのが「酷い状況」という事なんだろうけれど、何故?と訊かれたら「それが仕事だから。」と答えるより他にない。

俺は別に誰かに認められたくて頑張ってるわけでもないし、評価されたいわけでもない。仕事は、自分の感情や周りへの期待なんてモノとは切り分けて取り組むべきだと思っている。その割には、ずいぶん一生懸命やってるとは思う。矛盾?よく分からない。

今の仕事は特段好きというわけでも嫌いでもない。ただ、面白味のような物はないな、とは思うけれど。人生の残された時間には限りがあるから、出来れば詰まらない事はしたくはないよね、とも少しだけ思う。

だけど、こういう思いもわざわざ他人に言う事ではないのだ。

2013年12月5日木曜日

わざわざ他人に言うようなコトではないのだ

人から言われたのではなく、自分の中の思いについて最近そう思っている。誰がここを見ているかはわからないけれど、見ていないということにして、パーソナルスペースだと思ってるので、書いてみる。

わざわざ他人に言うような事ではないのだ。自分が何を思っているかなんて。俺は口をつぐんでいよう。それは違う、と思うことがあっても、弁解も唯ただ虚しいだけだ。時間が解決してくれる事ならば時の流れに任せよう。

愚痴らず、怒らず、喚いたり、泣いたりせず、心を落ち着けて、少しでも下劣なことをしない様に、またそういう物に近づかないようにしよう。苦しみの元を自分で引き寄せないように、また他人をしてそうさしめないように。静かに心の流れを観じて、生きて行こう。

2013年12月4日水曜日

今年を振り返って

少し早いけれど、今年を振り返ってみる。今年は良いこともたくさんあったけれど、それ以上に反省すべき悔いの残ることが多かった。ポーズだけでなく、きちんと反省しよう。自分の中でしっかりと消化して、着実に努め励んで行こう。

指摘をしてくれた人には素直に感謝だし、言いにくいことをしっかりと、だけど、慎重に言葉を選んで伝えてくれたことも今更ながらに理解した。直接、感謝を伝える機会はもうないのかもしれないけれど、ありがとう。

2013年12月1日日曜日

I never dreamed…

 
Lynyrd Skynyrd "I never dreamed"

この曲を聴くと、"I never dreamed I would be happy."というフレーズが頭に浮かんでくる。訳せば「俺は幸せになれると夢見た事は無かった。」という事になる。

もう何年もの間、こんな気持ちで過ごしてきたような気がする。何を期待しても求めても無駄だし、逆に他人が俺に何かを求めても、俺は望まれた事を"供給でき ない"。もっと"馬鹿"になれよ、"踊れ"よ、って思う。そうすればもっと楽に生きられるのかもしれない。

この曲の歌詞は、ある女性に去られた男の心情をつづったもので、「まさか彼女が俺の元を去るとは思わなかった。彼女が俺を傷つけるとは思わなかった。」と悔やみつつ、女性が戻ってくることを期待している内容となっている。冒頭で、「父は言った、息子よ強くあれ、と。」という内容も入っている。人間はおそらくそんなには強くない。子供の頃に、「男なら泣くな。」と言われて涙をこらえて自分の感情を殺して生きてきた。自分にすら嘘をついて騙してきたのだ。

世間では恋愛をして結婚することが幸せになることの象徴のように言われているけれど、今の俺は、そういう女性が今後、現れても守ることもできないだろう。力はない。別にそういうことには片目をつぶって、見ないようにすればいい。愛情から執着が生まれ、その執着から苦しみが生まれる。

恋愛感情は長くても4年しか続かないという。その4年の間に信頼や情のような物が構築できればいいんだろうけれど、そんな一時の感情に一生を任せるのはあまり賢い選択とは言えない気がする。