2021年6月12日土曜日

体調を崩してしまった -Not even you-

始まりはゴールデンウィーク明け少し経ってからだった。いや、年度末の忙しさの3月を何とか乗り切っている最中からだろうか…。病気までは行かないけれど、病的になっていくまでのグラデーションの中にいた。そこからは段々とぬかるみに嵌るように足が取られ始めて、気が付いたら腰まで泥沼に浸かっているといういつものパターンだ。この辺りになってくると、焦燥感も強いし、ここ年単位で感じないようになっていた希死念慮も出てくる。正直、苦しい。
俺が勤めている会社は1年前のコロナ禍に入ったところから、在宅勤務になった。独居で暮らしている俺のような人間には、仕事で取るコミュニケーションを除けば、人と会話することもほとんどない。昨年度から一緒に仕事していた同僚も別案件に取られ、残された俺は去っていった同僚の仕事を引き受け、何とかやってきたが、相談できる人間はいない状態になっていた。結局は一人なのである。
 
毎月、上司立会の下、産業医面談も受けている。このご時世なのでWeb会議でである。3月辺りから体調の不調は訴えていた。もうこれはダメかな…、と思い5月の面談で、「すみません、ちょっともう無理そうです。」 と切り出した。孤独なら出社してみてもいい、という助言ももらったけれど…。出社してもフロアにはごく一部の人しか居ないんだよな。結局、誰とも会話しないで退勤する、ということになっていた。ただ、上司と出社時に顔を合わせたので、ちょっと個別に話をしようか、ということになって、ここで新たな案件を任されることになった。本来やるはずだった人達が多忙を極めていてとても対応できないこと、また、俺の得意分野だから、ということがアサインの理由だった。この後、更にもう1件、案件のアサインがあったのだが…。ちょっと無理だなぁ、という気持ちが今は強い。

休職するとなると、独居の俺のような人間は、一人じゃ何をしでかすか分からない(つまり自殺とかされても困る)ということで、実家がある場合は帰れ、ということを産業医から命じられるそうだ。ただ、俺の今住んでいる場所は緊急事態宣言下である訳で…。田舎に帰って老いた両親に感染させるようなことがあっても、と言うのは本音でもあるが建前の部分もある。田舎ゆえにいい年をした男が昼間から働きもせずに散歩なぞしていては、きっと噂が経つのだ。
 
少し前に母から電話で聞いた。俺が10年前に鬱病で休職していたことが人伝に伝わってきたらしい。俺は地元の誰かに話した記憶は無い…。もしかしたら、当時やっていた何かしらのSNSに何か書いたのかもしれないが…。煩わしくなってアカウントごと消去してしまった(まさにメンヘラ的行動である)。よくは覚えていないが、何かしらの鬱で休んでいることを書いた当時繋がっていた人が地元で、誰かに話した。それが人から人へ伝わり…ということなのだろうか。俺は高校を卒業するまで地元にいた。今となっては何の自慢にもならないが、そこそこの優等生で通っていた。そんな優等生が脆い精神を病んで働けなくなった、悪意があるわけではない、ただ少し可哀相にね、なんて言いながら、どこかで嘲るような気持ちも込められて、それが回りまわって、うちの両親の元にそんな話を直接してくる人がいた、という事なのかもしれない。地元に帰れば、また悪評が立つな。
 
高校生の頃から俺には多少、神経質なところもあった。最近、ふと当時よく聴いていたClawfingerというアーティストの曲をまた聴き始めた。20年前は目新しかったラップメタルだ。歌詞は、「俺がするように俺のことを愛してくれる者はいない、君でさえも」、「誰も俺が自分にするようには俺のことを必要としない、君でさえも」、そんな殺伐とした歌詞だったが、当時の俺はそんな自己責任論にも近い歌詞を好んで聴き、そして英語の歌詞も覚えてよく歌っていた。興味があったら以下のリンクから聴いてみて欲しい。歌詞もついているから。曲はClawfingerで"Not even you"。

2019年9月29日日曜日

じっくりコトコトお湯で煮られる

うつによる苦しみって何だか釜茹でにされて弱火でじっくりコトコトお湯で煮られているような感じに似ている気がする。耐えようと思えばまだ耐えられる気もするけど、気が付いたら温度も上がっていて火傷だらけになってて取り返しがつかないけど、延々とコトコトと煮られ続ける、そんな感じ。

あまりスピリチュアルなことを信じる性質ではないけれど、もし前世があったのなら自分はそこでも自殺していたのだろう、そんな気がする。最近は希死念慮がまた酷くなってきてそろそろ1か月以上は調子を崩している。仕事の場でも1人で作業することが多くて、そうすると煮詰まってくるのだけれど、打ち合わせとか人と会話しながらの場合は何とかまだやっていける感じだ。

でも、使い物にならないと産業医面談で判断されれば、休職ということになるのかもしれない。結構、瀬戸際だと思う。

休んでも結局、煮られている苦しみは消えないので、何とか仕事を続けながらこのうつの波を切り抜けて行きたい。

2019年7月29日月曜日

一日一日を切り抜けて行った後に振り返った時にしか人生はない

人間は過去に行ったことで悔い、起きていない未来のことで心配する。将来はどうするべきだ、何を考えている?なんて問いかけもそう言った類のものだ。だが、一日一日を過ごして行って、それを積み重ねていった先に、その地点から過去を振り返ってそれがやっと”人生”になるんだと思っている。そういう意味で、僕は出来る限りその日その日をよりよく生活していきたい。うつ病になってから、健康な人なら2割くらいの力で出来てしまうんだろうな、ということも7割くらい力を使って何とか切り抜けているけれど、それでいいんだと思う。もうこの先、寛解はあっても完治はないのだし。その時その時を自分で出来る精いっぱいのことをやって過ごして行く。そのためになるべくより良き生活者でいたいと思う。

30代も終わりが見えてきて、取り戻せなかったメンタルヘルス、心を病んでいなければ送れたかもしれない人生、うつ病が治ればしたいこと、考える時はあるけれど、だんだんと体も老いが始まっているのを感じる。仮定の話だけれど、病気が治っても健康だった20代前半の状態に戻れることはもう無いんだ。抗うつ薬の副作用で太った、たぶんそういう面もあるけれど中年太りもある。記憶力が怪しくなった、これも病気のせいだけではなくて、老いて頭の回転が鈍っているのもある。今後、何かよほど運動でトレーニングする、少しずつでも勉学に励む、そんなことをして抗うことは出来るかもしれないが、老いは進んでいく。

以前に、うつ病の症状で頭がよじれるほど悩んで苦しんでいることが無くなったら、自分という要素が何割か欠けてしまうんじゃないだろうか、と考えていたことがある。今の僕は10年ほど前に比べると激しく悩み苦しむことは少し減ったように思う。だが、その反面、持っていたエネルギーも失い、虚ろになってしまった感じがする。

今は積極的に死にたいとは考えなくなった。だけど、いくつまで生きていられるのか、老齢になって他の精神疾患を抱えていない人よりも早く認知に問題が出てしまうのかなぁ、とか、やはりうつ病によって自分の手で人生を終わらせてしまうのかもしれないなぁ、とか思うことはある。だけど、自分の死については誰も予見できないだろうから、僕は一日日一日をなるべくより良く生きていきたいと思う。

2019年4月17日水曜日

転がる石はどん詰まりまで止まらない

ちゃんと生きようと思って目覚まし時計を買って、朝に強くなったと思ったのだが駄目だった。だんだんとスヌーズ機能を止めたり何とかして眠気が残っているうちは半分無意識に抵抗しているようだ。どうしても外せない用事の時だけは抗うつ薬を飲まないという今までのソリューションしか無かった。

春になって調子が狂ってきたなぁと感じていたけれど、段々と悪い方向へ転がり始めた。転がる石に苔は生えない、ではなくてもう止まらない。どん詰まりまで直滑降だ。朝の電車ではイヤホンをつけて音楽を聴く・語学講座を聞く、音楽を聴いてる時は文庫本を読む、というのが僕の基本的な通勤スタイルなのだけれど、段々と音楽を聴く気力も無くなり、DAPは使わないままビジネスバッグの中に入ってる。職場に着いて誰かと会話すれば少しマシなような気もするけれど、用が無ければ自分から話す元気も無く、また沈黙しているとますます疲弊といたたまれなさが強まってくる。

「今までの経験から悪くなりそうな時は早めに自己管理(仕事を早めに切り上げたり、 有給休暇を取得したり)出来るものね。」とも会社の産業医から言われるのだが、どうだろう…。自分自身の思考力は日に日に落ちていく中で、普通に見せかけることは出来ても、本当に病状を和らげることは出来ない。ある程度、強くうつ病の症状が出た場合は、一旦落ちるところまで落ちて希死念慮で身動きが取れなくなって短期間休む、というのを繰り返してきた。

 病院の先生は長期的には良い方向に導いてくれる存在だと思っている。1日飲んだだけでは効いたとは思えない抗うつ薬も飲んでいれば、完全には元気にならなくても後から振り返ると最悪の状態は脱していることが多い。ただ、最悪な状態にいる最中は即効性のあるものではないので、耐えるしかない。「悪くなったらすぐに主治医の診察を受けるんだよ。」と言われる。風邪やインフルエンザでも耳鼻科に行って診察してもらって薬を飲んだからってその日のうちに治らないのと同じで、診察を受けたから症状が和らぐものでもない。

ずっと余計なことを考えなくていいくらい身の回りのことで忙しくなればうつ状態になんてならないよ、と言ってくれた人もいた。こちらのことを考えて親切で言ってくれたのだろうけれど、一つのタスクもこなせなくて焦りだけが募る未来しか見えなかった。

何か考えを整理すれば病前に戻れるのならそうしたい。ただ何度も再発を繰り返してきた自分にはおそらく無理だろう。薬との縁は一生切れない。薬を飲んだ状態を基本としてその枠の中で少しでも人生が上向くように努力していくしかないのだけれど。重荷を新たに背負うには疲れすぎているし、このまま孤独に耐えながらしのぐしかないのかもしれない。

2019年2月16日土曜日

ちゃんと生きようと思って目覚まし時計を買った話

俺が毎日飲んでいるリフレックス錠(ミルタザピン)45㎎は飲むと30分ほどで眠気を生じ、朝まで眠気が残るため早起きするのが非常に難しい。抗ヒスタミン作用とかいう効果のせいらしいのだが、とにかく朝が眠くて起きられないのだ。職場の温情により、こんな俺でも何とか許されているのだが、この状況は変えたいとずっと思ってきた。どうしても早起きしなければいけない時は、薬を抜いていた。良くはないだろうが…。

前置きが長くなったが、多機能な目覚まし時計を買ったら、この問題が解決しそうなのだ。 電波機能で時刻補正をしてくれてデジタル表示の横長の液晶のもので、そう特殊なものだとも思われない。2010年の12月から今のリフレックス錠の処方になってもう8年…これはいったい…。

ある時、出張で地方に宿泊した時にそこの目覚まし時計の止め方が分かりにくく、スヌーズ機能がしつこく働いたため、思ったよりも楽に目覚めることが出来た。眠気はもちろんあるのだが。これはもしかして…、と思い出張から戻って仕事の帰りに新しい目覚まし時計を買いに行った。目覚まし時計コーナーで立ち尽くすほど色々な種類がある…。上を見れば1万円超えのものまであってキリがないが、スヌーズ間隔を10分→5分→2分とだんだん短くしてくれるタイプのもので2000円程度のものを買った。アラームは2種類の時間で設定出来るし、それぞれ音量やスヌーズパターンも変更できる。

翌朝、目覚まし時計に期待はしていなかった自分ではあったが、スヌーズ機能で一時的に音は止められるものの、なかなか切れない目覚まし時計とやりあっているうちに目が覚めた(また二度寝モードにもなりうる)状態から、起床して活動できる状況に移行できたのだ。かなり眠気が残っているが動き始めてしまえば、何とか我慢できるレベル。一応、2日連続で目覚ましを設定した時間に起床できているので、俺自身がこの目覚まし時計の操作をブラインドで習熟しつくさない限りは多分起きることが出来るだろう。

社会人で朝が弱いという現実は俺自身に非常によくない影響を及ぼしていた。酒を飲まない、薬の眠気が切れる時間から逆算して会社から退勤して電車に乗る前に飲む(これは電車を乗り過ごすことが増えただけで失敗だった。何よりホームでもフラついて危ない。)、色々試したが、こんな目覚まし時計を変えるという簡単なことで解決するなんて。

2018年10月10日水曜日

鬱を治すために(うつ病の末路)

ある出来事が切欠になって、うつ病の末路について考えている。病院で聞く説明では、薬物療法による治療を続けて回復、その後、薬を飲んでいれば普通の人と変わらない状態を維持(寛解)、再発防止のために薬物療法を継続、という流れで、薬を飲まなくても再発しなくなる「完治」は無い。「うつは心の風邪」と言われるようになって久しいが、症状の重さから「うつは心の癌」という人もいる。

さて、俺自身のことに話を戻そう。盆明けからの不調で先月の半ばについに体調を崩して1週間ほど会社を休むことになった。この2年ほど、何とかではあるけれど、病気とうまく付き合ってきている、と思っていただけに落胆は大きかった。身を置いてる環境が悪いのではないか?とも思い、仕事を変えるべきか、とも考えた。そのために資格を取る勉強をするべきか、とも考え、これは少し手を付けてたが、いかんせん精神の不調を抱えたままでは長い時間の集中力は期待できず、今は止めている。だが、一番の大きな問題は何だ?うつ病を抱えて生きていることだ。これでダメだったら人生もう諦めよう、それくらいの覚悟を以て、もう一度、最後まで足掻いてみようと思う。病院の「薬物療法」だけでなく、「心理療法」の両輪でお互いに足りないところを補えば、「寛解」だけでなく「完治」も見えてくるのではないかと。

「心理療法」も結局は自分で自分の精神の面倒を見るしかない。カウンセリングも悪くは無いと思うし、今はマインドフルネス瞑想もだいぶ広まってきているので、手掛けているところも多いだろう。ただ、毎日、やるという意味では結局、自分で「実践」するしかないのではないかと思う。朝晩に最低15分ずつマインドフルネス瞑想をしよう。以前にやり込んでいた時は、集中力がぐんと高まるのを感じたが、そこで無理をせず、実践を怠らず、半年とか1年単位で続けていこうと思う。

人に教えを乞う場合は、「途中で止められない」効果はあると思う。瞑想が毎日の習い性になるまで続けて生活の一部になれば、自ずと瞑想のレベルは深くなり、良い効果をもたらすのではないか。ただ、俺自身はどちらかというと宗教アレルギーに近い。岩波文庫から出ているブッダの言葉、なんかを読むことはあるが、マインドフルネス瞑想は仏教のエッセンスを宗教色を薄めたものなので、誰かに教えを乞うには、細心の注意が必要だと思うからだ。そんな訳で、しばらくは、個人でマインドフルネス瞑想の実践を進めていきたい。

2018年9月5日水曜日

もう拷問はキツいよ…

タイトルはドンケツ24巻の槇原という人物のセリフ。敵の手に落ちて拷問をされて口を割らずに逃げ出そうとするが、再び捕まったら自決を覚悟するシーンでのセリフだ。さしずめ俺にとっては、「もう(鬱病による)拷問はキツいよ…」と言ったところか。良くなったとも言えなかったが、低調ながらも安定を得ていたところに鬱の強烈な痛打。もう堪えられない。


ドンケツ 第24巻 たーし | 少年画報社

十五夜組と野江谷の思惑により、月輪会会長宮本は逮捕され、混乱を極める。脱会者が相次ぐ中、孤月、華月、朔組は会長のため「はぐれ月」となり抗争激化。桃次郎がアジトをつきとめ、ロケマサ、速水、ゲンコが遂に怒りのカチコミ!立ち読みはこちら
この日も限界まで伸びた鉄に軽い一撃を加えるとポキンと折れるかのように、同じ部署の年配の方からの丸投げ指示のメールを見て心が折れた。もちろん、これまで彼と仕事をしていく上でこちらが、後にも先にも立ち回り、うまく行くようにお膳立てをして尽くしてきた。本当にツイてない。

俺も消えたほうがよさそう
ここ3週間ばかり確かに調子を崩しつつあった。ただ、いつものことだ、と軽く考えていたし、薬を飲みながら後は時間の経過と共にある程度は復調するものだと思っていた。しかし、俺の予想を裏切り、鬱の波はますます俺自身を蝕み、気が付けばもう引き返せないところまで来ていた。誰か俺を殺してくれ…、そう念じる日々が続いた。電車に乗る時も電光掲示板で人身事故の表示を見かければ自分自身の死に結びつけてしまう。いつも正座して後ろ手に縛られた状態で俯き、後ろ首に刀を当てられて打ち首になる自分を想像してしまう。そんな最悪なイメージと格闘しているうちに耐えられない頭痛と食欲不振、早朝覚醒、不眠を抱えるようになった。頭痛はまるで脳が機能不全になっていくのに壊れていくことを想起させるような痛みだ。これはもう拷問だ。

いつまで堪えればいいのか…それとも堪えようと抗う行為自体が無駄なのか。右手に抗鬱剤を、左手に瞑想を持って挑んでも叩き潰されるばかり。

あれほどまでになかなか減らなかった体重はスルスル?とまではいかないけれど、89㎏→85.5㎏ほどへ減ったので4.5㎏減。最大値と最小値の差なので、実際は3㎏くらいの減り幅だとは思うけれど。食欲もあまり無いので、ダイエットが捗る。顔も少し肉が落ちてきた気がする。これはこのまま続けようか。


いつまでこんな苦しい状態が続くんだろう、と思う一方で、俺は今、罰を受けているのでこれで刑期を消化しなければいけないからこのままでいい、と訳の分からないことを考えている自分もいる。救われたいか、というとそういう他力本願なことじゃ抜け出せないと思うんだよね。