2013年12月5日木曜日

わざわざ他人に言うようなコトではないのだ

人から言われたのではなく、自分の中の思いについて最近そう思っている。誰がここを見ているかはわからないけれど、見ていないということにして、パーソナルスペースだと思ってるので、書いてみる。

わざわざ他人に言うような事ではないのだ。自分が何を思っているかなんて。俺は口をつぐんでいよう。それは違う、と思うことがあっても、弁解も唯ただ虚しいだけだ。時間が解決してくれる事ならば時の流れに任せよう。

愚痴らず、怒らず、喚いたり、泣いたりせず、心を落ち着けて、少しでも下劣なことをしない様に、またそういう物に近づかないようにしよう。苦しみの元を自分で引き寄せないように、また他人をしてそうさしめないように。静かに心の流れを観じて、生きて行こう。

2013年12月4日水曜日

今年を振り返って

少し早いけれど、今年を振り返ってみる。今年は良いこともたくさんあったけれど、それ以上に反省すべき悔いの残ることが多かった。ポーズだけでなく、きちんと反省しよう。自分の中でしっかりと消化して、着実に努め励んで行こう。

指摘をしてくれた人には素直に感謝だし、言いにくいことをしっかりと、だけど、慎重に言葉を選んで伝えてくれたことも今更ながらに理解した。直接、感謝を伝える機会はもうないのかもしれないけれど、ありがとう。

2013年12月1日日曜日

I never dreamed…

 
Lynyrd Skynyrd "I never dreamed"

この曲を聴くと、"I never dreamed I would be happy."というフレーズが頭に浮かんでくる。訳せば「俺は幸せになれると夢見た事は無かった。」という事になる。

もう何年もの間、こんな気持ちで過ごしてきたような気がする。何を期待しても求めても無駄だし、逆に他人が俺に何かを求めても、俺は望まれた事を"供給でき ない"。もっと"馬鹿"になれよ、"踊れ"よ、って思う。そうすればもっと楽に生きられるのかもしれない。

この曲の歌詞は、ある女性に去られた男の心情をつづったもので、「まさか彼女が俺の元を去るとは思わなかった。彼女が俺を傷つけるとは思わなかった。」と悔やみつつ、女性が戻ってくることを期待している内容となっている。冒頭で、「父は言った、息子よ強くあれ、と。」という内容も入っている。人間はおそらくそんなには強くない。子供の頃に、「男なら泣くな。」と言われて涙をこらえて自分の感情を殺して生きてきた。自分にすら嘘をついて騙してきたのだ。

世間では恋愛をして結婚することが幸せになることの象徴のように言われているけれど、今の俺は、そういう女性が今後、現れても守ることもできないだろう。力はない。別にそういうことには片目をつぶって、見ないようにすればいい。愛情から執着が生まれ、その執着から苦しみが生まれる。

恋愛感情は長くても4年しか続かないという。その4年の間に信頼や情のような物が構築できればいいんだろうけれど、そんな一時の感情に一生を任せるのはあまり賢い選択とは言えない気がする。

2013年11月17日日曜日

人生の落とし前をつける

タイトルは遺書的な意味じゃなくて、珍しくポジティブな方向の話。

その後のマインドフルネスの継続によって、雑念は少しずつ取り払われ、今ではかなり病前に近い集中力を取り戻すことが出来るようになってきた。かつての武器だった集中力と意思が戻ってきた気がする。

落とし前、というのは自分がかつて目指した専門領域へ転向し、残された人生の時間と自分の能力をすべてそこにつぎ込むことだ。

バイクよりも もっとやっとくべきことが あるのじゃないか!?
今まで最優先としてきたバイクよりももっとやり遂げるべきことが見えてきた。 来年の夏にある国家資格を受験しようと考えて勉強を始めた。それだけでは、何ともならない気もするけれど、最低限、資格が必要という一定の条件を満たす場所ではどこでも働けるようになる。もちろん最終目標はそこではなく、もっと先。学生時代に専門としていたことで、今の会社には曲りなりにもそれと関連する分野で入社した。ところが、4月に他部門に異動、そして、仮にもし異動していなくても今の会社に居るままでは、当初考えていたことは出来ないことに気が付いた。とりあえず、今後1年以内に今後の人生を決める為に動いて努力して行こうと思う。人生は長いと思っていても、終わる時は終わる。出来れば納得のできるように生きていきたい。

もうひとつケリをつけるべきことについては、両親との対峙。対峙と言っても、落ち着いて話して最終的に和解を目指すことが出来れば、それくらいの思い。今まで抱えてきた鬱屈している思いをなるべくマイルドに吐き出して、両親と対話を行い最終的には和解を目指すこと。たぶん、「家族」に戻れるとしたら最後の機会だろうね。今日は、長文だったけれど、両親に対して自分のこれまでに感じてきた思いと、これからの自分がどうしたいかについて、努めて冷静な文章で手紙を書いてみた。よく考えたら、両親に改まって手紙を書くのは今回が初めてのことだ。またひと波乱あるかもしれないが、今後、自分の人生を主体的に切り拓いていく意思と決意を見せられたら、そう思ってペンを取ってみた。先ほど投函したので明後日には二人の手元に届くだろう。

もともと、俺のかつての専門分野に大学入学で進んだ際も両親には物凄く反対された。当時は丸め込まれて折れそうにはなったけれど、最終的には自分の意思を通した。今まで、何かを自分の手で選ぼうとする度に反対されてきた記憶しかないような気がする。しかし、俺が4月に元の専門と関係ない部門に異動になって、両親は、特に二人のうち母は安心しているようだ。出来れば、今後、一生関わらないで欲しい分野だとも思っている模様。

しかし、自分の本当にやりたいこと、そして社会やそこにいる人々の役に立てるのは学んだ専門分野だ。結局、良い意味でも悪い意味でも俺はシロートなんだと思う。仕事だから、誰しもがやりたいことをやれるわけじゃないのだから、と割り切っていけない。単なる薄甘い理想論なのもしれない。でも、不器用ながらも「変えられない自分の生き方」なんだと思いたい。

2013年11月9日土曜日

再び特別な空間へ

愚かな行為だと分かっていたけれど、また来てしまった。考えても考えても分からない問題。何でわからないかって?そりゃ俺がおバカさんだからだよ。

ちょうど内回りをクルクル回っていると反対側の外回りで写真と同じ色のフェラーリ458が銀色のゼロクラウンの覆面とパンダのクラウンにサンドイッチされて停まっていた。


後日、友人に話したところ「金持ちでも捕まるんだなw」とのこと。そりゃそうだ。

9号から湾岸に出てレイブリからC1に戻ってもまだ458はさらし者にされていたし、見せしめなのかもね。この日は、環状でだけど、911カレラSとメルセデスSLS AMGが遊んでくれた。どちらもめっぽう飛ばすわけではないけれど、いいリズムでスイスイっと走っていく。SLSなんか重い直6エンジンを積んでるとは思えないほど、コーナーの入りが鋭い。バイクで付いていくとこちらがワンテンポ遅れる。フロントヘビーな車はコーナリングがよくない、そんなありきたりな理論を超えた領域まで詰められてるってことなのかもね。

噂の赤坂ストレートは2度ほどトライ。予想よりも全然短かった。こんなところで大台ねぇ。俺には無理無理。

この日は仕事から帰ってそのまま起きて出発したのと、いつもは早く寝る習慣のせいで、周りの状況が空いてくる前に眠くなってきた。クリアは取れないと判断して、バイクの上で寝てしまう前に家に帰ることにした。ソロで走る機会が減ってきた今日この頃、たまにはこういうのも必要かもね。バイク乗りはいつだって1人なのだ。

2013年11月4日月曜日

ある特別な空間

嫌なことがあるという訳ではないのだけれど、たまにフラリと来る。都会の中にあって非日常が味わえる空間。早朝や昼間、週末の夜の世の中の皆が起きている時とはまた違った顔を見せる空間。そんな場所へ夜も遅くに繰り出した。

別にストレス解消というわけでもない。ただ、あてどなく走り回りたい、そんな気分だった。 ただのツーリング。場所がそういう場所だってだけ。何かあると嫌なので一応、ツナギは着込んで行った。


時間がまだ早いのか少しその場所はまだ混んでいた。少し時間をつぶそうと芝浦PAに入る。 夜は随分と気温が下がるようになった。これからますます寒くなっていくのだろう。

芝浦を出てC1方面へ。外回りを数周走ったり、9号経由で湾岸からレインボーブリッジをわたって再びC1に戻って今度は内回りを走ったり。レインボーブリッジは3回渡った。もうすぐ閉鎖になるという大井JCTでUターンして子供のようにクルクルと回る。

箱崎PAで小休止して、6号向島線からC2へ抜けるとここは夜は真っ暗。自分のバイクのヘッドライトと排気音と風切り音だけが耳に入ってくる。静かな環境もいい物だ。この道が自分の為だけにあるような錯覚。

そのまま葛西から湾岸に出てみたけれど、どうやら大井から先まで行かないとクリアな状況は得られそうにない。さっきの箱崎PAからそんなに時間は経っていないと思うけれど、あっという間に大黒PAについた。ここでコーヒーを飲んで、また都心方面へ。

まぁ、スゴい景色が見れたので良しとしよう。ツナギはバタつかなくて素晴らしいと思った。バイク乗る時はツナギがいいね。疲れるけれど。

2013年8月28日水曜日

何もない人間

僕は鬱病を発症して以来、自分のことを「何もない人間」と思って生きてきた。バイクに乗るきっかけになった好きな漫画に同じようなセリフがあった。

「お前は自分を何もない人間だと思っている。大事な将来や楽しいこともなく…」

このセリフは棘のように僕の心に刺さったままだった
精神科の閉鎖病棟から退院してからはまさにこんな感じで3年間を過ごしてきた。入院の直前に今まで経験したことがないレベルの自殺願望に苛まれていてもう少しで決行するところだったことから、自分の人生はあそこで一度終わった、今生きているのはオマケみたいなモノという諦めに近い感情があったのは否定できない事実だ。

夢がなくても人は生きて行くことは出来る
退院してから2年半以上経ったけれど、うつ病は一進一退。よくなったと思えば、エアポケットに落ちるように再び奈落の底へ。しかも奈落の底が二重底になってる。そしてモグラ叩きの穴のようにあちこちにそんな奈落が口を開けて待っている。気分を良い状態に保つのだけで必死で過ぎた3年だったと思う。気分の上下に「執着」し過ぎてただけなのかも。そして、上の画像のセリフのように、「夢を持たない」ように生きてきた。死ぬのには大変な覚悟とそれなりの準備が必要と分かったので、変な言い方だけど「死ぬのが面倒」で生きていたようなものだ。うつ状態が酷くなってくると身体の感覚や善悪の判断力も少し麻痺してくる、というかそういう時に人はふっと死を選んでしまったりするんだろう。状態が悪い時は、今なら刃物の刃の方を力いっぱい握っても何とも思わなさそう、とかそんなことを考えてた記憶がある。

幸せというものもよく分からなくなってしまったし、別になくても生きていける。 そして恋愛ごとには片目をつぶってそっちの方は見ないように生きてきた。薬の副作用のせいなのか、それとも鬱病の症状によるものなのかはもう分からないけれど、興味そのものがなくなっていたのは事実。真面目に考えれば考えるほど今の自分の置かれた状況はもし彼女や妻となる女性が現われても決して幸せにすることは出来ない、ということを思い知らされ、意図的に抑え付けていた面もあるのかもしれない。

いつしか草食系を通り越した「絶食系」で孤独な男、つまり「絶食系孤男」を僭称しながら無為とも思える日々を過ごして今に至る。