2018年6月30日土曜日

薬を減らせる医師と足してしまう医師

今日、診察を受けてきて処方が少し変わった。二剤あるうちの片方の量を少しだけ減らしてもらったのだ。前回の診察の時はもう一方の薬を減らしてもらったところ調子が悪くなり、処方が変わってから3日ほどで気持ちが辛くなってきたので元の処方量に戻して飲んでた。

今のホットな医療ネタは減薬、断薬である。
「一生薬を飲み続けなければならない」人などほとんどいない(上原 善広)


以前に自己流で断薬して痛い目にあってるので、俺自身は減薬は試みてももう断薬はしないと思う。ただ、症状が悪化した時に「今までの処方を見直して抜本的に変えましょう。」という医師は自分で考えられる能力がある人であると思っている。反対に「今までの処方にその悪い影響を打ち消す薬を足しましょう。」という医師はマニュアルを信じすぎている気がする。

就職を機に今住んでいる都市に来るまでは別の都市で治療を受けていて、その時の医師は副作用が出たら副作用止めの薬を追加するタイプの処方をする人だった。確かどんどん薬は増えて行って一時期は統合失調症の人が飲む薬も出てたかもしれない。今では鬱病に処方出来なくなったリタリンとベゲタミンBも処方されて飲んでいた。その時のメインの抗うつ薬はトリプタノールで、副作用で尿が出にくいと言ったらウブレチドという薬が出た。リタリンはトリプタノールを最大容量まで処方しても俺の体の代謝が良すぎて効きが悪かったので、代謝を抑えて血中濃度を上げるためだと言われたかな。レボトミンやらコントミンやらも飲んでて割りと訳が分からない状態になってたと思う。参考までに当時飲んでいた処方を覚えている限り記す。うろ覚えだけどこんな感じだったと思う。とにかく眠くて仕方なかった。

・トリプタノール 200㎎(8錠)
・ロヒプノール1㎎
・ベゲタミンB2錠
・コントミン1錠
・ウブレチド3錠
・レボトミン3錠
・リタリン1錠

この時は病歴も浅くて割りとすっきり治った気がしてもう病院に行きたくなくて薬は全部止めてしまった。しばらくはトレドミンの最低容量をもらってお守り的にしのいでた。

就職してまた再発したのでトリプタノールメインで治療を受けていたが、そこの病院は一年経つと担当の医師が変わることが多くて、医師が交代してだいたい半年くらいは薬も全く変わらないことが多かった。そりゃ自分が処方変えて患者の病状が悪化したら嫌だもんな。気持ちは分かるよ。その後、4年ほど通院を受け続けて、閉鎖病棟に入院するレベルまで病気と仕事で追い詰められてた時の医師の先生はずっとトリプタノールだったのをガラッと変えてくれた。最初はアナフラニールにして、俺は日中も眠りこけるようになってしまって失敗だったかもしれないが、入院した時に三環系抗うつ薬とはすっぱり手を切った。今の処方もその時のものがベースだ。

・サインバルタ60mg
・リフレックス30㎎
・メイラックス1錠

今はこのサインバルタを60㎎だったのを50㎎に減らしてもらった。離脱症状が無ければ今後は40㎎に減らしてもらいたい。SSRIはあまり飲んだことが無いけれど、SNRIはばっちり尾籠な話だけれど、泌尿器に副作用がトイレで用を足すときに尿が切れない、と診察で話したら減らしてもらえた。眠くなる、という副作用は無い代わりに別の副作用がある気がするのがSNRI/SSRIなんじゃないかと思う。

リフレックスは眠気もくれるが俺にアッパーな気分を与えてくれる。多分、これだけでは足りないのでサインバルタを合わせている。こちらは朝飲んで効いてるのかどうかよく分からないけど、止める時は耳鳴りがしたりめまいや冷や汗なんかでずいぶんと体が依存してるのを分からせてくれる薬だったので、縁は切れないだろう。出来れば、少しずつ良い精神状態を維持しつつ両方とも様子を見ながら少しずつ減らしていければいいけどね。

2018年5月18日金曜日

CTと胃カメラの検査結果

膵臓が悪い畏れがある、と脅されてCT検査を受けてきた。最初にかかったクリニックでは対応出来ないので大きな病院を紹介してもらって放射線科で造影剤を入れたCT検査をする。血管から造影剤が入った瞬間に体が熱くなる。血流に沿ってその熱が全身に渡っていく不思議な感覚。この日は検査のみでCD-ROM?を渡されて最初にかかったクリニックの医師に渡して下さい、と言われ帰宅。開封してもいけないと言われたので2日後にクリニックに行くまでモヤモヤとした心境で過ごす。

2日後、今度は最初にかかったクリニックでCD-ROMの中身を見てもらうことと胃カメラによる検査。事前の喉の麻酔や安定剤の処置もよく効いて、先生の腕も良いのかあまり苦しくなくて済む。

結果から言うとCTも胃カメラも健康そのものだった。胃壁についてはモニターに映し出されていたけど、どこにもひきつれや潰瘍もないように見えたし事実綺麗なものです、とお褒めの言葉を頂いてしまった。CTもどこにも異常は無いので、あと3年は撮らなくて大丈夫だし少なくとも40までは大病はしないでしょう、と。

「では、何故あんなに胃や背中が痛んでいたのでしょうか?」と質問してみる。「お疲れだったんじゃございませんか。」と先生。ふむ、つまり精神的なものか。そう言うわけで追加の薬も無く、また痛んだらおいで、と言われ病院を後にする。コーヒーやアルコールを少し控えるようにすれば痛まないし、原因が分かれば避ければいい。山無し落ち無し意味なし?そんな感じだった。

2018年4月28日土曜日

胃潰瘍?急性膵炎?それとも・・・

前回の診察から1週間が経過し、検査結果を聞きに再び診察を受けてきた。胃潰瘍もしくは急性膵炎が疑われるということで、ピロリ菌がいるかどうか、それと膵液の異常が無いかを血液検査で調べてもらってたのだ。結果から言うと両方とも問題は無かった。

・ピロリ菌の抗体検査:陰性
・消化酵素のアミラーゼ:正常値
・肝機能:問題なし
・その他の数値も正常で問題なし

すぐ分かる検査で引っかかる原因が無いことで痛みの原因を探るために精密検査となった。造影剤を入れて膵臓のCT撮影と胃カメラを5月の連休明けにやることになった。膵臓のアミラーゼが正常でも痛みがある場合は膵癌の可能性も捨てきれないそうで…。(重めの胃炎でしか無い気もするけど)

病院の帰り道に膵癌について調べてみた。最近だと星野仙一が膵癌で亡くなってる。罹患した患者数=死亡者数と言われるくらい死亡率が高い病気だそうだ。

気がつくと俺の手は小刻みに震えていた。あんなに鬱で苦しんで死にたいと願っていたのに人間とは勝手な生き物だ。

2018年4月23日月曜日

春は調子が悪い

寒かった冬も終わり、急に気温が上がったりまた下がったり、と春先は体が気温の変化に付いていけない。春先はメンタルだけでなく体の調子もおかしくなることが多い。今年も昨年度末までの疲れが祟ったのか、鳩尾から背中へ突き抜ける痛みで苦しんでいる。多分、重めの胃炎かもしかしたら胃潰瘍か…。先日あまりにも背中が痛むので仕事を早退して病院に行ってきた。ピロリ菌がいなければ胃潰瘍にはならないということらしく、まずは検査で確かめましょう、とドクター。背中の位置としては胃の裏側に膵臓があるのでそれも検査で診ましょう、と。血液検査で採血をしてもらって1週間後にまた来て下さい、とのことだった。

こう書くと診察もあっという間に終わったように聞こえるかもしれないけど、触診やこちらの症状を詳しく聞き取ってくれて、その上での診断である。病院の数は多いけれど、なかなか信頼できる雰囲気の医師と巡り会うことはないので、一旦、ここだと思ったら俺はあまり病院を変えたくない。検査結果ももっと早く出るクリニックもあるだろうけど、そういうことよりも医師の腕があるところがいいな、と。

話をある程度じっくり聞いてもらうだけでも患者としては落ち着くのだ。しかし、薬を飲んでもやはり食べられるものが少なくなり、白米も胃もたれするので、素麺を少しだけ茹でて食べている。朝ごはんを食べ過ぎて吐くのもそのまま胃袋に入れたままにも出来ず、朝の出勤前に目を白黒させたこともあったけれど、調子の悪いときはあまり食べず空腹の時間を長くしている方が楽な気がする。検査結果は明日出るので病院に行くつもりだが、胃潰瘍だったらまだいい方かもね。急性膵炎とかなら、もう酒は飲めないな。

2018年4月10日火曜日

趣味や本(専門書)の棚卸し

自分の若い頃も過ぎ去り、30代後半となった今、かつての趣味だったもの、かつて熱心に勉強していた専門書を棚卸ししようと思っている。もう人生で残された時間で割ける分は、過ぎ去っていった若かりし頃の時間とその密度とを掛け合わせたものよりも圧倒的に小さいのだ。

学生時代の専門書も今さら理解するには難解過ぎておそらくもう見ることは無いだろう。本棚から取り出していつでも古紙回収に出せるようにしておいた。


趣味も自転車は今住んでいる辺りに引っ越してきてから、路肩の道幅も狭く交通量も多いので走りづらいので、乗らなくなってしまった。学生時代はこの自転車で当時住んでいた街の中ならどこへでも、また50kmほど離れた街へも往復したりしていたものだ。1万㎞は走った自信もある。マウンテンバイクなので里山でガレ場を降りたりそういう楽しみもしたけれど、今住んでいるところはちょっとどこかまで行けば山がある、という訳でもなくまたそういうところへ行く体力も時間もない。メンテナンスもほどほどにしてきたけど、補修部品が出ないパーツもあってもうここらが潮時かな、と。欲しいと言ってくれる知人もいたけど、僕と体格も違うのでフレームのサイズも合わず、ペダルがビンディングと話したら靴まで揃えるのはちょっとなぁ、という事で諦めてくれたようだ。一応問題なく走れるけど、錆びもところどころあるし、売っても二束三文なので後腐れなく粗大ゴミで捨てようかと思う。


ただ、いっぺんにやり過ぎると周りの人に終活を疑われるので注意…('A`)

2018年4月6日金曜日

産業医面談

就業制限がかかっているので毎月、産業医面談を受けている。自分の職場の上司と総務の人達も立ち会うので、面談と言っても1対4くらいの構図になる。

何とかしてこの産業医面談を受け続けなくてはいけない現状を変えたいと思うようになった。と言うのもいい年をして、何時に寝て何時に起きて休みの日は何をしているか、と細かく問われるのにうんざりしてきたのだ。(ケアしてもらう為の面談を用意してもらって何て言い草だと思われそうだし、そこは申し訳ないとは思う。ただ、そっちの方向じゃないんだよなぁ…と思うだけで。)例えば、「休みの日に何していますか?」という質問に「疲れてぐったりしています。」と応えるとおそらく降級点がつけられる。「朝起きてから家出るまで何をしていますか?」とか、毎朝やってることは変わらないとは思うけどあんまり覚えていないのと、何か生活の一部を覗き見られるようで気恥ずかしくて応えるのも嫌になるとか…。まぁ、そこを突き詰めても病気は良くならないんだけどなぁ、と思うのだよね。やらなきゃいけない仕事は結局、やらなきゃいけないわけで。そういう方をこれならもう少し出来そうです、とか、他の同僚みたいにフルに終電までは頑張れないけど、ここの知識なら役に立てるから臨機応変に使ってくれ、とかそういう議論が出来たらいいなぁ、と思う。

休職から復職した人がどれだけ面談を受け続ける必要があるかを調べてみたところ、どうも3ヶ月から6ヶ月が目安のようだ。対して一旦、制限が解除されたこともあったけれど、今はもう数年単位で面談を受け続けている。

面談で重視されるようなのはどうやら生活リズムらしい。あんまり画一的にしても個々人で症状も薬も違うのだからパターン化は出来ない、とも思うがおそらくここを問題ないと面談で証明出来れば制限も無くなり面談を受け続ける必要も無くなるのではないか、と考えた。

勤怠を安定させること、毎日決まった時間に出退勤するのが一番でそれ以上のことは多分求められない。

症状が良かろうが悪かろうが、それはあんまり重視されないようなのでもう割りきって行くしかない。

2018年4月5日木曜日

行けるところまで行き然る場所で死ね

フランスのことわざにある言葉らしい。
Va où tu peux, meurs où tu dois.
江戸幕府に仏式戦術を教授していた軍事顧問のジュール・ブリュネが作中で挙げる言葉だ。

「維新と戦った男 大鳥圭介」(伊東潤:著)を読んだ。

伊東潤 『維新と戦った男 大鳥圭介』 | 新潮社

われ、薩長の明治に恭順せず――。幕府歩兵奉行・大鳥圭介は異色の幕臣だった。全身にみなぎる反骨の気概、若き日に適塾で身に着けた合理的知性、そしてフランス式軍学の圧倒的知識。大政奉還後、右往左往する朋輩を横目に、江戸から五稜

俺は「国を蹴った男」を読んで以来、氏の小説が好きで時々読んでいる。ここのところ、池波正太郎の真田太平記をはじめ、正統派歴史小説を読み続けてきたので、たまには新しい作家さんの本を読もうと買ってみた。

徳川慶喜が朝廷に大政奉還を行い、佐幕派は恭順し天子様に弓を引くことはならない、と言いつつも実は我が身可愛さだけに逃げ腰になっている幕臣達と対照的な人物である、大鳥圭介をはじめ、榎本武揚、土方歳三たち、それと薩長連合からなる新政府と大鳥、榎本達との間に立つ勝海舟、各々がみんな義理を通して戊辰戦争で戦っている。そんな生き様が描かれている。日光、会津、函館と壮絶な戦いが展開され、最後は新政府軍の物量にどうしても勝てないせいで五稜郭に押し込められてしまう。当時の先進的なフランス式兵法に精通しているとは言え、実戦経験もない、榎本たちの軍艦よりも、新政府軍の方が数が多い等あって戦いは劣勢に傾いていく。先ほどのブリュネは日本の内戦なのに、フランス軍籍を抜けてまで大鳥、榎本たちと行動を共にする。(後に彼は五稜郭での決戦の前にフランス軍に収容され脱走兵として裁かれるが名誉を回復する。)

幕臣達にも言い分もあっただろうし、維新政府側にも言い分はあっただろう。(個人的には西郷隆盛は好きだけど、岩倉具視は好きになれない。)ずっと江戸幕府のままの統治体制で近代化すればよかったとも言えないだろうけれど、やはり当時の行政機関は徳川幕府であった訳で、幕府に所属しながら西欧の近代的な文明、軍事、医術そう言った学問を学んできた人材は幕府側に多かったのに、それを活かしきれなかったのは惜しかった。

あとは好きなセリフでは勝海舟の「これでもう鼻血も出ねぇ」だな。徳川幕府の金庫にあった黄金を榎本武揚に二十万両、大鳥圭介に三千両を渡した後のセリフ。逆さにしてももう鼻血の一滴も出ないくらいすっからかん、と言うことだ。江戸っ子なセリフが他にも多くてやることが気が利いてるものだから勝海舟は好きなキャラクターの一人だ。

伊東潤の小説は、従来からある歴史小説とちょっと違った視点で描かれることが多いように思う。国を蹴った男では、著名な人物の側に仕えるバイプレイヤー的な人物が描かれる。「峠越え」では徳川家康の伊賀越えを描いているが、家康も実は普通の人間だと思わせてくれて、新解釈もあり、読んでいて面白かった。

俺自身は、どこまで行けばしかる場所で死ねるかね?