2016年4月17日日曜日

復帰して1週間

前回のブログにも書いたように4月11日から復帰。月曜から金曜まで休まずに会社行けた。病気のこととは関係なく、3月までの昨年度と4月からの新年度で部署内の分担が変わって、引き継ぎをしたりされたり。今まで持っていたことは他の人へ引き継ぎをしたが、今年度から受け持つ案件は結構ヘビーな気がする。猫の手も借りたい、という上司の気持ちは分かるが「ここは君に頑張ってもらうしかない。」とか2週間前に自殺寸前まで追い込まれていた人間に言う言葉じゃないよなぁ…とは感じた。そして、この仕事をこの先続けていくことは難しいだろう、と改めて思い直した。

体の調子がどこまで良くなるかにも依るけれど、僕はこの仕事をそう遠くない将来、辞めることになるだろう。辞めて何をするかという問題はあるけれど、去年は面接を受けて内定までもらえたのだから何とかなるのか、それとも転職もうまく行かずにますます辛い立場になってしまうのか。

まずは、情報を集めることが大事。

2016年4月10日日曜日

会社を休んで帰省して短期療養

前回からの続き。会社の産業医とも主治医とも相談して10日ほどじっくり休んで療養することにした。その間、一人にしておくのは自殺衝動が起きているので危険なのと食欲も無くなっているので、実家に戻って療養することを約束し、帰省することに。この半年ほどは近くはない実家に何度も帰省している。父方が昨年秋、母方が今年初めと両方の祖母が亡くなったので葬儀、四十九日もあって帰省していたのだ。思えば2人の祖母を亡くしたことも日頃の精神的なストレス、疲労に加えて喪失感として積み重ねとなっていたのかもしれない。もう地元に帰っても2人の祖母はどこにもいないのだ。

実家に帰ってからは当初は食欲もほとんど無かったが、少しずつ食べられるようになった。ただ、まだ万全とは言えない。家族と折り合いが良くなかったとこれまで思っていたが、弱っている自分には気をかけてくれていると感じた。 父も母も年を取ったというのもある。父は以前はやはり自分のする仕事や家族を導く自負みたいなのがあって、押し出しが強かった面があったが、年を取って自信が無くなったようなことを言っていた。

家で1日1時間程度やりたかった英語の勉強をする以外は基本的にあまり何もしていなかったが、父方の実家と母方の実家に行き、それぞれの祖母にそしてもっと前に亡くなった両方の祖父にも手を合わせた。これが今回の帰省で出来た一番良かったことかもしれないな。

明日11日の月曜からまた出社して仕事に取り組む。当面は定時間勤務の残業なしということになるとは思う。今までも実はそうだったらしいのだが、「自発的に」残業して仕事を片付けていたことになっていたようだ…。両親ともにもう死ぬくらいなら仕事を代わってもいいのでは、という雰囲気にはなっていたがさてさて。

2016年3月27日日曜日

死神に壁ドン!~また死ぬかと思った

ここ2年以上は死んでしまいたいという希死念慮からも遠ざかり、調子が悪くなっても集中力がなくなる、落ち込む、ふさぎ込む、体の自律神経的な不調程度で済んでいた。が、一昨日の朝、急に「このまま数日以内に死ななければならない!」という思いに捉われて、僕は酷く狼狽した。今の薬じゃダメなの?しばらく落ち着いていたじゃない?何で?数日以内なら何を準備して何を整理しないといけない?そうだ、メールでもいいから遺書を書こう、そんな感じだった。当然、仕事にはならず、早退して主治医の元へ受診。

今のサインバルタ60mg、リフレックス15㎎に加えて、リフレックスを更に15mg、つまり合わせて30㎎、エビリファイ内用液6mgを頓服でもらった。死にたいほどの不安が強い時はエビリファイでしのいでください、とのこと。

主治医曰く「人生というのは霧の中を歩いているようなもので、多くの人はそこに足を取られるような大きな穴が開いていたり、霧の向こうは断崖絶壁だったりというのを知らないまま一生を終える。また、知らないことが幸せなのかもしれない。しかし、貴方は断崖絶壁をすでに知ってしまっている。何かの弾みに今回のようにまた思い出すことで断崖に面してしまうことは必ずあるのだ。」と。もう死ななきゃ、とブツブツ言いながら電車に乗り、降りて病院まで行った僕の不安は主治医の先生と話すことで少しだけ落ち着き始めていた。

薬局で処方された液状のエビリファイを1包飲み干し、水で流し込んだ。ひどく苦かったが、これで効いてくれ、と藁にもすがる気持ちで。気が付いたらとにかく頭痛がひどかったがこれは朝からだろう。

まさにちょっと好調を保っていたからって調子に乗るなよ?と死神に襟首を掴まれて壁に押し付けられた壁ドンだったのだな、と今は思う・・・。

2015年8月8日土曜日

何だか体調がおかしい

気力が萎えてるというのはいつものことだが、頭痛やめまい、耳鳴り、手の震えが出ている。月曜からおかしかったが仕事は山場だったので何とか会社まで行ってきた。

睡眠を意識して多めにとっても目が覚めて数秒後には治ってないことがすぐ分かって絶望する。これはメンタルな不調というよりフィジカルな不調なのでは…。うまくは表現出来ないけど血圧高くなって頭の血管がぶちーんって切れる手前みたいな感じ。

調子が悪いから考えが悪い方に行くというわけではないが、自分のやること為すこと全て裏目に出ていないか?去年は資格の試験を受け、異動前は何とか仕事も一区切りつけたつもり。転職活動も内定は取れた(断ったのだけれど)。今の会社が何だかおかしな状態になってしまって、社外の友人知人からお前の会社大丈夫?と面白半分に効かれたり、根拠のない大丈夫だよ!という励ましも辛くなってきた。

2015年8月2日日曜日

転職しようと思ってた

現職で限界を感じていたのは前からで異動で2年間だけ違う部署に行っていて戻ってきたらやはりこれは厳しいと思ったという話。今所属している部署は5年近く前にうつ病が一気に悪化して休職に入った経験のある部署である。僕以外にも精神を病む若い人は多く、後輩で休職したのは2人、怪しい(休みがち)人は2人ほどいて、上の世代でも体を壊した人は多い。合計するとだいたいメンバーの5分の1くらい。

以前、休職する直前はもう死ぬしかないって思って具体的に計画を立てていたので、あとで思い返してあんな思いをするくらいなら、もしまた危なくなったらもうこの会社を辞めようと考えていた。現実には本当に危なくなると動くことも出来ないので、異動で戻ってきてからだったのだけれど。

ここ最近、仕事の合間を縫って転職活動をしていて幸い1社、内定を頂けた企業があった。内定は受けようかどうしようか迷っていたのだけれど、両親に思い切って相談してみた。よかったかどうかは分からない。ただ反対はされた。結果、僕は怖気づいて内定を辞退した。

正直、今の仕事をしていて定年まで勤め上げるのは厳しいだろうなと思っている。耐えられなくて辞める、自殺する、体を壊す、リストラされる、いろいろな可能性はありそうだが、どれかに当てはまりそう。これでよかったかはわからないが、疲弊してしまって当分は思い切った動きを取ることが出来なさそうだ。

2015年2月7日土曜日

抗うつ薬を断薬してみた ~ 離脱症状もあったけど怒りにくくなった

はじめに

自己流でやっている結果なので、デメリットは覚悟の上です。また、類似の処方でも、もっと離脱症状が酷い場合もあると思うので、真似はなさらないでください。

断薬をしたかったわけ

僕は、抗うつ薬をはじめとした、向精神薬は飲むことによって得られるメリットがデメリットを上回るから、患者は飲むものだと考えている。急性期に飲まなかったらとっくに、自殺または職を失う結果となっているとも今でも思っている。だが、薬を飲むことで、眠気が出たり、仕事に支障をきたしたり、また、体重も増えて行く一方で、「治ってからそれらの問題に取り組めばいいんですよ。」という意見に疑問を感じるようになった。このまま、今一つ治りきれない腰折れのような状態で、薬を飲むことによって、飲んでない場合に比べてデメリットで駄目になってしまうのではないかと感じたのだ。

今の処方はサインバルタ60mg、リフレックス45mg、メイラックス1mgだ。俗に言う「カリフォルニア・ロケット・フューエル- California Rocket Fuel」処方に抗不安剤を足している。

嫌だと思っていた副作用

1)朝起きられない
2)頭が回らない
3)残業が増えて行き疲労が溜まると、さらに1)の副作用が強化される
4)元々の自分の性格よりも異常に怒りっぽくなっている。人間関係が不安。
5)朝のサインバルタでは食欲は無くなる。夜飲むリフレックスを飲むと食欲が異常亢進する。

1)の朝起きられないというのはリフレックスの眠気が異常に残るからだ。事情はあれど、タイムカード上にフレックスタイムを使っているのは記録され続けて行く。病気を治そうとして様々な努力はしていたけれど、肝心の治療のせいで、評価が下がるのが恐怖だった。3)については、疲れれば疲れるほど、このリフレックスの眠気が強化されていくとも感じていた。眠れるけれど、全くその睡眠リズムをコントロールできない事が不満だった。これについてはリフレックスを止めた今は毎日5時半起床できるようになった。

4) については、薬を止めてみて気が付いた。1~2週間くらいで、あれ?と思ったのを覚えている。今までの自分であったら、すぐカチンと来ていたことが、我慢するのではなく、そもそもカチンとも来なくなった。

離脱症状とその後の症状

・頭がクラクラする、目眩がする。
・指、手先が震える。
・頭皮や額がかゆくなって髪が抜ける(少しM字になった・・・)
・花粉症になった

前回の映画を見た時に薬を飲まなくてもいいようになれば、と書いたけれど既にその時は薬を飲むのがもう嫌になっていて、思い切って止めてみた。予想通り、離脱症状は出てまだ消えていないけれど、性格が元に戻った?のか、今までよりも怒りにくく穏やかになった気がする。一概に薬のせいにしてはいけないけれど、今までの僕は自分の側が正論である、と判断した時には、攻撃許可が出たかのように、相手をやり込めるかのようにキレることがあった。そういうのが無くなった。

出てきたネガや体の変化

趣味であっても何でも楽しめなくなった。バイクが趣味ではあるが、今までは調子が良い時であれば走ることそのものに没頭できた。しかし、今は走っていても「早くおうち帰りたい・・・」という気分。多分、薬で持ち上がっていた分がそのまま無くなり、元の鬱の部分が顔を出してきたのだろう・・・。

あとは筋肉が柔かくなった。どうも抗鬱剤は脂肪に溜まったり、筋肉を固くする効果もあるようだ。止めてみて体が少し柔らかいという気もする。

あとはあまり書きたくないけど泌尿器系に少し影響が・・・。

おそらく今回の断薬は何かしら、たとえば鬱の再発があればまた飲むしかないのだろう。。。僕が薬を完全に断って、うつ病から回復してもとに戻る日は一生の中であるのだろうか。。。

2015年1月13日火曜日

映画「ツレがうつになりまして」を見た

BSプレミアムで宮崎あおいさん、堺雅人さん出演の「ツレがうつになりまして」の放送を録画していたので連休最後の昨晩見た。タイトルくらいは聞いたことのある方が多いのではないだろうか。僕は恥ずかしながら、今まで存在は知っていたけれど原作の本も映画も見たことがなかった。何処か心理的に避けていたところがあったのかもしれない。だけど、見て良かった。そう言えるほど、原作者、制作に携わった人々の優しさが詰まった、だけど、同じ病気を患っている者からすれば、病気の辛さを非常によく伝えてくれる良い作品だと感じた。

堺雅人さんが演じる夫の「ツレ」さんが仕事で段々、病んでいき、最初は風邪のような原因のよく分からない体の痛み、眠れなさ、ご飯の味が無くなる感じなど非常によく描かれていた。映画だからツレさんの几帳面さは少し誇張しているのかな、とも思ったが、宮崎あおいさん演じる奥さんがツレさんとは反対で少しずぼらだけど優しく、頑張らないで夫と一緒に病気に立ち向かう人だった。映画を見ていてツレさんが自殺未遂を起こした時も自分の過去の苦しみ、また自殺願望でどうしようもなくなっていた時期を思い出して、共感し映画の後半は見ていて涙が溢れ続けた。

僕自身はもう発病してから10年になる。ここ1年ちょっとは酷く落ち込んだ日々が続いても以前のように常に死にたいと思う事は無くなってきた。そういう時間の中で発病当初の記憶は「気のせい」だったのかなぁ、とも思うようにもなっていたけれど、当時の自分はやはり十分に苦しんでいたし、映画を見て改めてそれは認めてもいいんじゃなかな、と思った。「今は誰しも精神科、心療内科に行けば病名が付く。」と言う意見も世の中にはあるけれど、思い返してみてもやはりかなり異常な状態だったと思う。

当初は胃がとにかく痛くて物が食べられず近所のおじいちゃんの医師がやっている内科に何度も通ったけれど、症状は改善せず、1日サンドイッチひときれくらいしか食べられなかった。そうこうしている間に1ヶ月もしないわずかな期間で72㎏程あった体重は14㎏くらい激減して58㎏ほどになった。当時、交際していた人から「もしかしてうつ病じゃないのかな…?病院に行って診てもらってきなよ。」と言われたのが本当に救いだったのだと思う。予約は初診だと時間を長めに取る必要がある、ということで3週間先になった。病院に電話した時点で既にもう限界に近いと感じていたので3週間は非常に長く苦しかったのを覚えている。

ツレさんは休息と治療の甲斐もあり、奥さんはじめ周りの人々の支えもあって、回復し、薬を飲まないで済むようになった。「うつ病は再発の多い病気だから、もしかしたらまた薬を飲まなければならない日が来るかも。」とは言っていたけれど。僕は10年のうちで良くなったと思えて1年ほど薬を止められていた時期がある。今の主治医の先生は言う。「薬を飲まなくて済むようになる、とは考えない方がいいですよ。」と。だけど、一時的にでもいいから、薬を飲むのを止められるほど回復できないかな、と思う事はよくある。ささやかな希望だ。