2015年1月11日日曜日

両親と話し合いをした

短い期間ではあったけれど年末年始で実家に帰省した。元旦に両親と話し合いをした。元々はこちらから、持ちかけた話し合いだった。是非は置いておくとして、うちの両親は数年前から僕に早く結婚させようと自分達の伝手を頼って縁談を探してもらっている。正直なところ、僕はそれを止めて欲しいという依頼の為の話し合いの場を設けてくれ、と頼んでいたのだ。

縁談は僕に交際している相手がいるかいないかはどうでも良いらしく、父自身、2年ほど前にもう止めよう、お前に悪いことをした、と言いつつも約束を違えられてきた。過去には僕に交際している人がいるときも、頭ごなしに否定して強制してきたこともあった。僕の意志なぞどうでも良いのだな、と白けた気持ちで見ていたし、「おまえの人生を応援したい」と言ってくるが、断れば激怒したり恫喝したりで、何なのだろう、と話が持ち込まれる度に嫌な気持ちになっていた。

特に僕自身は昔から結婚願望というものがない。子供の頃からつまらないことで父と母が諍いを起こして家庭内が冷え冷えとした状態をしょっちゅう見ていて、こうなるくらいなら一生独りのままでいいと考えていたこともある。また条件が先行するいわゆる見合いでは、僕は自分自身の鬱病を隠して相手と顔合わせをしたり話を進めるのはフェアではないとも考えている。多少の好条件を自分自身のスペックとして持っていても、それを吹き飛ばしてマイナスにするだけの破壊力があるデメリット、それが精神疾患だと思っている。

じゃあ、恋愛そのものも無理ではないか?と問われたら、無理だとも思っている。別に強がりでもなく僕はもう誰かに迷惑をかけてまで交際をしようとも思わなくなった。

話し合いは二時間以上にも及んだ。父は「駆け引きなしで正直に話し合いをして、家族としてもう一度まとまろう。」と言って切り出した。僕は上記に述べた自分の考えをなるべく筋道立てて話したつもりだ。一応は両親とも理解を示してくれたように思う。父の発言を聞く限り、「今の時代、精神科にかかれば誰しも病名が付くと思う。」と言われた辺りから、やはりこの人は僕がどれだけ苦しんでも「気の持ちよう」と思っていそうな気がして、話がいい方向にまとまろうとするのに、疑問符が浮かんだが、何も言えなかった。

正直なところ、僕は根にもつ陰湿な性格をしている。過去に理不尽で納得がいかないと感じたことはそのまま澱となってずっと心の中に引っ掛かりを残している。一つ一つの事例を見れば、たいしたことない、大人になれよ、と割り切らないといけないことも多いと思う。だが、コップに溜まり続けた水が最後には縁から溢れだすように、いつも溢れだす寸前まで過去の澱が溜まっている。その澱の原因となる都度都度の両親との諍いは心の中で処理しきれなくて水面が表面張力で盛り上がっている。コップの縁から水が溢れる時のの最後の一滴は何だっていいのだ。納得できない過去のことを反芻し続けることで、何度もそのトラウマを頭の中で再生して怨みとなって記憶は強化されていく。だから、意識の差が両親と僕とで生まれるのだろう。悪い記憶が固定化されていく様はまるで地縛霊の怨念のようだ。

今更、親のせいにするにはダメな年齢だとは思っている。ただ、過去の俺はその時々で少しでも認めて欲しかったなんだと思う。親からしたら詰まらないことかとしれない。

勘違いしないで欲しいことはただ一つ。俺は両親に対してきっちりけじめをつけて欲しいわけではない。もうそれは諦めている。許されるのならば、可能な限り、彼らから距離を置いて関わりにならないことだ。理解し合うことが出来ないのなら少しずつ関係を希薄にし、遠ざかって行くことしかないのだと思う。

2014年12月24日水曜日

レベルを上げて正論で殴っても仕事は片付かない

普段の自分の性格はともかく仕事の時は僕は気が短い。プライベートでは“のんびりしてる”、とか“温厚”とか言われる事が多い気がしているけど、これは多分、後天的な性格で持って生まれた性分は短気なのだと思う。遺伝はあまり信じたくないが父方の祖父、父がとても気が短い。それをマスクするように穏やか(に見える)な性格を意図せず作ってきたのかもしれない。

タイトルは、あるゲームの用語で“レベルを上げて物理で殴ればいい”という言葉をもじったモノだけれども、以前の僕は仕事上で如何に自分に落ち度を作らずに片付け、相手に非がある時には"正論で殴る"ようにしていた。また、正論である限りはいくら殴っても仕事が片付くのであればそれで構わなくて恨まれても結構、とまで開き直っていた節すらあった。

今、手がけている仕事では、正論でぶっ叩いても次から次へとトラブルが起きる、味方だと思っていた人にも結果として裏切られる。そんな事が続き、僕の精神状態が悪くなるのもあって、“怒ること自体が馬鹿馬鹿しくなった” 、そういう状態でここ数ヶ月は静かに今、自分が出来ることを淡々とこなしている。いくら理屈が正しくても、僕の仕事の分野では相手に合わせざるを得ない事が多々あるのだ。

怒りの感情そのものは、ある種、ガソリンのような麻薬のような、果実のような、その人にパワーを一時的に与えるものだと思う。結局、怒る人は、相手の事を考えて怒っているという姿勢の場合でも、“自分が怒りたいから怒っている”のだ。 無いと怒り無しでは仕事出来ないと思っている事のが根底にある。

ただの戯言かもしれない。ただ、僕はもう面倒くさいのだ。だから、なるべく後戻りをせず、効率を最大限に限られた時間の中で追求する。

2014年12月16日火曜日

燃え尽き症候群

去年の冬から勉強を始め準備してきた資格試験が不合格に終わって、燃え尽きている。かなりのエネルギーと時間を注ぎ込んで勉強したので、久々にキツいが充実してるという感覚を味わったが、代償は大きかった。やはり燃え尽きたのだ。

ただ、折角ここまで勉強したのだから、という思いはある。と同時に精神的に不安定な状態を招いて仕事に影響するリスクを負ってまでやることか?とも思う。不合格になったのが分かった直後はともかく最近まで再受験は止めようと思っていたので、こうして悩むのは受験に対するモチベーションが少し出てきた、ということなのかもしれないけれどね。

先日、大きな書店に行ったら資格試験の過去問題集が売られていて今年受験した問題と解答が既に反映された新しい版の物が出ていた。ここで止めれば何も残らないし、再受験しようと受かるまで続ければ資格を手に入れられる可能性は高くなるだろう。年末年始、少しよく考えてみようと思う。

2014年12月13日土曜日

ローン繰り上げ返済

最近、買い物をしていて、やっぱりと思ったこと。払う時に「あぁ、勿体ない。」みたいな感覚が自分には薄いということ。残念ながら僕の金銭感覚はあまりよくないんだと思う。それでも休職してた間から復職してこれまでに、色々と自分なりには考えてみた。「お金は使えば無くなる」し、裏を返せば、「お金は使わなければそのまま残る」。よって、日常的に出て行く「固定費」を減らすのが貯めるよりも先決だろう、とは思った。

バイクのローンがまだ2年ほどあった。これまで乗り物は全てローンで買っていた。あと残額がいくらか、というのは計算していたんだけど、どうせ「金銭感覚の薄さ」があるのなら逆手にとって、一気に返してしまおうと思った。繰り上げ返済しても今なら窮するほどにはならない状況だったし、気分もここ数ヶ月は鬱々としていて欲しい物が特段あるわけでもない。とりあえずローン会社に電話してみて、繰り上げ返済の計算をしてもらってそのまま振込してきた。ちゃんと完済証明書も送ってもらうようにした。

ローンについては色んな考え方があると思う。払えるけど敢えて組む、という人もいるだろうし、僕みたいにやはりただの「借金」だと思う人間もいる。これまで毎月払っていた支払額は生活費には当てずに余剰分として貯める方向で頑張って行こうかと思ってる。

2014年12月9日火曜日

今日は君が死にたいと言ったから休職記念日

去年も似たような記事を書いているけど、休職をしてから4年が経過。どうしていいか分からないような死ななきゃ!そうだ死のう!みたいなぐるぐる渦巻いている思いと変に高いテンションでかなりエネルギーがあったのは覚えている。今とは真逆だ。

仕事も手につかなくなってどうしようもなくなって、家に帰ってから精神科の主治医に診てもらってもう危ないから、出来れば速やかに入院しましょう、と。色々と手続きがあるから、ということでそのまま帰宅してまた身支度してから日を改めて入院しに来ます、ということで帰った。何も予定もない時間が少しできたので、バイクで海を見に走りに行って冬の穏やかな晴れた日の中、目の前の海を眺めてたのを覚えている。

基本的に入院とは言っても特殊なことをするわけではなくて、外界と自分とをシャットアウトするのと、うつ病の場合は自殺の危険が高いから独りにして放っておくと自殺を図りそうな人を保護する為なんだと思う。入院する時は、携帯電話の持ち込みは出来なかったし、ベルト、靴ひも、服のウェストの紐等、首を吊れそうな物は全て没収された。持ち物に全部名前も書かされたなぁ。

今にして思えば、随分と特殊な環境だったように思うが、入院初日はここが貴方のベッドだから、と大部屋で、普通の病院では考えられないくらい人数の多い病室へ案内されて、食事や服薬、病院内の決まった約束事のある時以外はゆっくり自由にしていていいと言われた。制約はあるものの、自分が保護されて安全な場所にいると思えた。

あれから4年経って、仕事にも復帰して多少の制限はあり、無理は効かない身体、というより精神、になったが、何とか働きそれなりに人の役に立ち、給料をもらえて暮らすことが出来ている。しかし、こういう節目の日にはやはり、あの時、下手したら死んでたのだなぁ、と思うこともあるし、このまま何時まで生きていていいのだろう?と自問することもしばしばある。

2014年10月20日月曜日

資格試験 不合格顛末記



資格試験の勉強に8か月近く励んできたわけだけれども不合格。試験は8/20,21の2日間、合格発表は10/20の今日だった。ニッチな資格だけど、国家資格なので受かれば官報に受験番号と名前が載る。合格率は約25%だった模様。隣の席の人は受かっていて、前後の席及び自分自身も不合格だった。

どういう資格かは画像を見てもらえれば分かると思うので文字では書かない。
・筆記に受かったら5日間の実技講習を受ける権利がもらえる
 (試験合格だけでは資格取得にならない)
・合否要件‐各科目の取得点数が5割を超えていて、かつ、総合で6割を超えていること。
・受けようと思ったきっかけ‐学生時代の専攻と密接に関連しているので自分なりにケリをつける為。(仕事に活きるというのよりも取ることが専門家としてのスタートラインだと思った)

1種と2種があって学生時代に2種を申し込んだことはあったけれど、投げ出したのでずっと心の中で負い目だったというのはあったかも。会社に入って8年、手計算で試験勉強するのは10年ぶりくらいだった。最初は筆算もおぼつかないレベルだったけれど、少しずつ取り戻しては行った気がする。科目も6科目あるけれど、全て微妙にリンクしていて、唯一リンクしてないのが法令かと思っていたけれど、法令も出てくる数値なんかは他の科目の内容としっかりリンクしている。

3月の終わりくらいから勉強時間の記録アプリで記録し始めた。試験が終わった時点で160時間くらいの勉強時間だったので、記録していないけどあまりはかどらなかった冬の間を考えると総合200時間くらいの勉強時間だったのではないかな、と思ってる。今、思うのは300時間程度の壁が合格ラインなんじゃないかと。

平日の試験日に2日も休ませてもらえた職場には感謝しなければいけないし、ただ取っても会社の為になるかは微妙だけれど、学生時代にずっとやっていたことを改めて一から勉強し直して楽しい、と思えたのは収穫だったかも。30代になったら、もう勉強できない、ってのは少なくとも無いと思った。ただ、ずっと机に向かっていると肩とか腰は痛くなるのは10代の頃と比べて回復力が落ちていてダメージは大きい。

これ以上、今年度は努力できたか?と言われるともう無理だったとは言えると思う。その上での不合格だったので仕方ない。本当に自分の実力不足。

ダルビッシュが確か言ってたっけ。「間違った努力は簡単に人を裏切る」。多分、努力の方向性でもっと改善できるポイントはあったはず。そこが反省点かな。

苦労や努力する「だけ」が尊いのではない、限られた時間の中でやるのなら特に「間違えない方法」で努力を積み重ねないと結果はついてこない気がします。(受かってから言えよ、って話なんだけど。)

来年も受けるか?うーん、ちょっと迷ってる。とても疲れたし、少しゆっくりしたい、そう思ってこのまま時間が過ぎそうな気もする。今は無理せずやる気が満ちてくるのを待とう。試験は1年に1回は必ずあるので、逃げないし。

2014年8月15日金曜日

試験まであと1週間を切った

資格試験まであと1週間を切った。合格要件は6科目中全ての科目で5割を超え、かつ全ての科目の合計が6割を超えること。1科目だけ不安な科目があって5割届くかどうか怪しい科目があったが、会社の夏休みで勉強時間を確保できて、何とかなりそうな目途がついてきた。まだ実際に試験を受けてみないと何とも言えないけれど、過去問を解いた感触からはある程度の手ごたえを感じる。約4年分の過去問を解いたけれど、5年分、欲を言えば7年分は解いて臨みたかった。

大学を卒業してこれだけ長期間勉強しているのは、ひょっとしたら大学受験の時の受験勉強以来ではなかろうか。何だか勉強するのも楽しくなってきたのもあるし、逆に言えば、この資格は試験にパスした後に実技講習を受ける権利がもらえるだけで、その講習がやはり大事なこと、そして実際に資格を生かした仕事の場合は、資格を取ってからが始まりでまだまだ学ぶことは多いと思う。資格を生かした仕事というのはそれだけ責任の伴うことなのだ。

去年の11月から勉強を始めて、今、振り返れば、正直、最初の3ヶ月くらいは錆びついた頭の錆落としの作業がメインで力が付き始めたのはやはり4月以降の勉強によるところが大きい。(とは言っても落ちたらお笑いではあるんだけど・・。)ずっと学生時代の頃からの心残りだった資格。それを割と言い訳抜きで、趣味の時間もかなりセーブしてストイックに打ち込めたのは結構満足ではある。あと少し、最後のスパートをかけて試験に臨もう。そして願わくば一発合格したいものだね。