2014年1月12日日曜日

気づき

俺は1年ほど前から精神の安定の為にマインドフルネスという瞑想を実践し続けている。これは、もともと仏教の瞑想法で「気づき」という言葉が英語になってそれが日本に心理療法として入ってきた。最新の心理療法として注目されている。マインドフルであるということ=今、現在自分が何をしているかに常に注意を払って気づいているということだと思っている。マインドフルネスはその名詞形だね。

しかし、瞑想を行っている「座っている時」だけで普段から自分自身の振る舞い、行い、発する言葉に対して注意を行き渡らせているかというとそうではない。自分自身の心を観察できるのは自分ひとりだけだし、これからは行動や言葉を口から発する前にもっと注意深く観察するようにしたい。そうすることで自分が何者であるかを独りでじっくり見つめ直してみよう。意識しないで軽々しく発した言葉で人を傷つけたこともある。もしかしたら、傷つけたことすら気が付いていないこともあったかもしれないね。

今までは“執着”をよく観察しないで手放そうとしていた。反復練習である程度は可能になったと思っているが、もっとその執着の本質をよく観察してから手放すようにしてみよう。

2014年1月5日日曜日

目標

年が明けた。今年は長い戦いが待っている。今までの自分のスタイルには合わないことだが、「頑張らない、妙なやる気を出さない」ということを目標に仕事に取り組もう。やる気を出して、多くの仕事を片付けてきたつもりだが、昨年は体調も崩したし、のめり込めばのめり込むほど、自分の人間性が下劣になっていくような汚染されていくような気がしていた。一生懸命やるのは当たり前で結果を出してナンボと思っていたので、それが出来ない人に対してかなり敵対的で攻撃的な態度を取っていたのだ。少し、一歩いや二歩か三歩引くくらいで、少し引いたスタンスで取り組もうと思う。

己の心身の健康を最優先にして、仕事に穴を開けないというのも大事なことなのかもしれない。立ち止まって考えられるようになった、ということなのか、単に年を取って考え方が老成しつつあるのかもね。

年末年始の帰省では結局、肝心の父とは話が出来なかった。だが、父本人の口から「俺は今後、息子の人生に口を挟まない。」という言質を得ただけでも、昨年11月に手紙を書いて自分の両親に対する思いを伝えたことは“対決”として功を奏したように思う。何でもハッキリさせない方がいいこともあるのかもしれないね。ハッキリさせた瞬間に壊れてしまう関係もあるのだし。それで壊れてしまうような関係なら、無くて結構と思ってしまう自分は冷たい人間だ。