2012年6月7日木曜日

元上司

元上司から年賀状を頂いていたのに、返事出来ていなかったので会社のメールでお礼を言ってみた。新人で配属された時にその元上司の貴方の下につけてもらった事に対して、ありがたかった、とも。

彼の過去に仕事で経験した話を深夜まで残業して一息ついてる時に語って聞かせてくれるのが何よりも好きだった。この人のような技術者になりたい、と思えた数少ない人であり、それは今でも変わらない。

仕事である案件がボツになってしまったが、まだ"昔話"にするには早い、と言って勇気付けてくれた。来たる日に向けて少しでも準備をして行こう。自分の背中を後ろから眺めるのを想像しても、自分に恥ずかしくない生き方をして行こう。そう思った。

2012年4月12日木曜日

喜怒哀楽のうちの「哀」のみ

もうここ何年も、生きていて楽しいとか幸せだとか思わない状態が続いている。ちょうど喜怒哀楽の4種の感情のうち、「哀」しか無い、そんな状態。

でもこれじゃ駄目だとも思わない自分がいる。世間一般的に見れば孤独で決して幸せと言える状態じゃないとは思う。でも、それってそんなに駄目な事なんだろうか?望めば今以上に友人を増やし、彼女を作ってその後、家庭を持ったりして幸せに暮らす、多分出来ると思う。でも、それって本当に幸せなのかな?幸せのカタチは人それぞれであって然るべきで、そんな雛形に納めるような物なのだろうか?

僕は病気で休職していた間に結構、価値観が変わってしまったようで、あまりそう言う事が大事とは思わなくなった。少なくとも今はそういうモノは望んでいない。良いことか悪いことかは分からないけれど。おそらく年齢的にも今は世間の言う幸せな生活(伴侶となる女性を見つけるとか家庭を持つとか)を手に入れる分水嶺にいるとは思っている。だけど、今は自分の心の振れる方を目指して生きたい、そう思う自分がいるのも事実。

こういう病気だからかもしれないけれど、いつ自分の人生が終わっても良い、その時、誰も悲しむ人がいない、そういう風に生きていくのが唯一の望みだ。だから持ち物を減らしたり、これ以上自分の人生を拡げない(家を買ったりとか車を持ったりとかしない)。そう心掛けている。心穏やかに過ごせれば、人生における楽しい出来事や幸せも要らない。

愛情は執着の元で、執着から人の苦しみは生まれる。だったら、最初から苦しみの元は要らないや。