2015年2月7日土曜日

抗うつ薬を断薬してみた ~ 離脱症状もあったけど怒りにくくなった

はじめに

自己流でやっている結果なので、デメリットは覚悟の上です。また、類似の処方でも、もっと離脱症状が酷い場合もあると思うので、真似はなさらないでください。

断薬をしたかったわけ

僕は、抗うつ薬をはじめとした、向精神薬は飲むことによって得られるメリットがデメリットを上回るから、患者は飲むものだと考えている。急性期に飲まなかったらとっくに、自殺または職を失う結果となっているとも今でも思っている。だが、薬を飲むことで、眠気が出たり、仕事に支障をきたしたり、また、体重も増えて行く一方で、「治ってからそれらの問題に取り組めばいいんですよ。」という意見に疑問を感じるようになった。このまま、今一つ治りきれない腰折れのような状態で、薬を飲むことによって、飲んでない場合に比べてデメリットで駄目になってしまうのではないかと感じたのだ。

今の処方はサインバルタ60mg、リフレックス45mg、メイラックス1mgだ。俗に言う「カリフォルニア・ロケット・フューエル- California Rocket Fuel」処方に抗不安剤を足している。

嫌だと思っていた副作用

1)朝起きられない
2)頭が回らない
3)残業が増えて行き疲労が溜まると、さらに1)の副作用が強化される
4)元々の自分の性格よりも異常に怒りっぽくなっている。人間関係が不安。
5)朝のサインバルタでは食欲は無くなる。夜飲むリフレックスを飲むと食欲が異常亢進する。

1)の朝起きられないというのはリフレックスの眠気が異常に残るからだ。事情はあれど、タイムカード上にフレックスタイムを使っているのは記録され続けて行く。病気を治そうとして様々な努力はしていたけれど、肝心の治療のせいで、評価が下がるのが恐怖だった。3)については、疲れれば疲れるほど、このリフレックスの眠気が強化されていくとも感じていた。眠れるけれど、全くその睡眠リズムをコントロールできない事が不満だった。これについてはリフレックスを止めた今は毎日5時半起床できるようになった。

4) については、薬を止めてみて気が付いた。1~2週間くらいで、あれ?と思ったのを覚えている。今までの自分であったら、すぐカチンと来ていたことが、我慢するのではなく、そもそもカチンとも来なくなった。

離脱症状とその後の症状

・頭がクラクラする、目眩がする。
・指、手先が震える。
・頭皮や額がかゆくなって髪が抜ける(少しM字になった・・・)
・花粉症になった

前回の映画を見た時に薬を飲まなくてもいいようになれば、と書いたけれど既にその時は薬を飲むのがもう嫌になっていて、思い切って止めてみた。予想通り、離脱症状は出てまだ消えていないけれど、性格が元に戻った?のか、今までよりも怒りにくく穏やかになった気がする。一概に薬のせいにしてはいけないけれど、今までの僕は自分の側が正論である、と判断した時には、攻撃許可が出たかのように、相手をやり込めるかのようにキレることがあった。そういうのが無くなった。

出てきたネガや体の変化

趣味であっても何でも楽しめなくなった。バイクが趣味ではあるが、今までは調子が良い時であれば走ることそのものに没頭できた。しかし、今は走っていても「早くおうち帰りたい・・・」という気分。多分、薬で持ち上がっていた分がそのまま無くなり、元の鬱の部分が顔を出してきたのだろう・・・。

あとは筋肉が柔かくなった。どうも抗鬱剤は脂肪に溜まったり、筋肉を固くする効果もあるようだ。止めてみて体が少し柔らかいという気もする。

あとはあまり書きたくないけど泌尿器系に少し影響が・・・。

おそらく今回の断薬は何かしら、たとえば鬱の再発があればまた飲むしかないのだろう。。。僕が薬を完全に断って、うつ病から回復してもとに戻る日は一生の中であるのだろうか。。。

2015年1月13日火曜日

映画「ツレがうつになりまして」を見た

BSプレミアムで宮崎あおいさん、堺雅人さん出演の「ツレがうつになりまして」の放送を録画していたので連休最後の昨晩見た。タイトルくらいは聞いたことのある方が多いのではないだろうか。僕は恥ずかしながら、今まで存在は知っていたけれど原作の本も映画も見たことがなかった。何処か心理的に避けていたところがあったのかもしれない。だけど、見て良かった。そう言えるほど、原作者、制作に携わった人々の優しさが詰まった、だけど、同じ病気を患っている者からすれば、病気の辛さを非常によく伝えてくれる良い作品だと感じた。

堺雅人さんが演じる夫の「ツレ」さんが仕事で段々、病んでいき、最初は風邪のような原因のよく分からない体の痛み、眠れなさ、ご飯の味が無くなる感じなど非常によく描かれていた。映画だからツレさんの几帳面さは少し誇張しているのかな、とも思ったが、宮崎あおいさん演じる奥さんがツレさんとは反対で少しずぼらだけど優しく、頑張らないで夫と一緒に病気に立ち向かう人だった。映画を見ていてツレさんが自殺未遂を起こした時も自分の過去の苦しみ、また自殺願望でどうしようもなくなっていた時期を思い出して、共感し映画の後半は見ていて涙が溢れ続けた。

僕自身はもう発病してから10年になる。ここ1年ちょっとは酷く落ち込んだ日々が続いても以前のように常に死にたいと思う事は無くなってきた。そういう時間の中で発病当初の記憶は「気のせい」だったのかなぁ、とも思うようにもなっていたけれど、当時の自分はやはり十分に苦しんでいたし、映画を見て改めてそれは認めてもいいんじゃなかな、と思った。「今は誰しも精神科、心療内科に行けば病名が付く。」と言う意見も世の中にはあるけれど、思い返してみてもやはりかなり異常な状態だったと思う。

当初は胃がとにかく痛くて物が食べられず近所のおじいちゃんの医師がやっている内科に何度も通ったけれど、症状は改善せず、1日サンドイッチひときれくらいしか食べられなかった。そうこうしている間に1ヶ月もしないわずかな期間で72㎏程あった体重は14㎏くらい激減して58㎏ほどになった。当時、交際していた人から「もしかしてうつ病じゃないのかな…?病院に行って診てもらってきなよ。」と言われたのが本当に救いだったのだと思う。予約は初診だと時間を長めに取る必要がある、ということで3週間先になった。病院に電話した時点で既にもう限界に近いと感じていたので3週間は非常に長く苦しかったのを覚えている。

ツレさんは休息と治療の甲斐もあり、奥さんはじめ周りの人々の支えもあって、回復し、薬を飲まないで済むようになった。「うつ病は再発の多い病気だから、もしかしたらまた薬を飲まなければならない日が来るかも。」とは言っていたけれど。僕は10年のうちで良くなったと思えて1年ほど薬を止められていた時期がある。今の主治医の先生は言う。「薬を飲まなくて済むようになる、とは考えない方がいいですよ。」と。だけど、一時的にでもいいから、薬を飲むのを止められるほど回復できないかな、と思う事はよくある。ささやかな希望だ。

2015年1月11日日曜日

両親と話し合いをした

短い期間ではあったけれど年末年始で実家に帰省した。元旦に両親と話し合いをした。元々はこちらから、持ちかけた話し合いだった。是非は置いておくとして、うちの両親は数年前から僕に早く結婚させようと自分達の伝手を頼って縁談を探してもらっている。正直なところ、僕はそれを止めて欲しいという依頼の為の話し合いの場を設けてくれ、と頼んでいたのだ。

縁談は僕に交際している相手がいるかいないかはどうでも良いらしく、父自身、2年ほど前にもう止めよう、お前に悪いことをした、と言いつつも約束を違えられてきた。過去には僕に交際している人がいるときも、頭ごなしに否定して強制してきたこともあった。僕の意志なぞどうでも良いのだな、と白けた気持ちで見ていたし、「おまえの人生を応援したい」と言ってくるが、断れば激怒したり恫喝したりで、何なのだろう、と話が持ち込まれる度に嫌な気持ちになっていた。

特に僕自身は昔から結婚願望というものがない。子供の頃からつまらないことで父と母が諍いを起こして家庭内が冷え冷えとした状態をしょっちゅう見ていて、こうなるくらいなら一生独りのままでいいと考えていたこともある。また条件が先行するいわゆる見合いでは、僕は自分自身の鬱病を隠して相手と顔合わせをしたり話を進めるのはフェアではないとも考えている。多少の好条件を自分自身のスペックとして持っていても、それを吹き飛ばしてマイナスにするだけの破壊力があるデメリット、それが精神疾患だと思っている。

じゃあ、恋愛そのものも無理ではないか?と問われたら、無理だとも思っている。別に強がりでもなく僕はもう誰かに迷惑をかけてまで交際をしようとも思わなくなった。

話し合いは二時間以上にも及んだ。父は「駆け引きなしで正直に話し合いをして、家族としてもう一度まとまろう。」と言って切り出した。僕は上記に述べた自分の考えをなるべく筋道立てて話したつもりだ。一応は両親とも理解を示してくれたように思う。父の発言を聞く限り、「今の時代、精神科にかかれば誰しも病名が付くと思う。」と言われた辺りから、やはりこの人は僕がどれだけ苦しんでも「気の持ちよう」と思っていそうな気がして、話がいい方向にまとまろうとするのに、疑問符が浮かんだが、何も言えなかった。

正直なところ、僕は根にもつ陰湿な性格をしている。過去に理不尽で納得がいかないと感じたことはそのまま澱となってずっと心の中に引っ掛かりを残している。一つ一つの事例を見れば、たいしたことない、大人になれよ、と割り切らないといけないことも多いと思う。だが、コップに溜まり続けた水が最後には縁から溢れだすように、いつも溢れだす寸前まで過去の澱が溜まっている。その澱の原因となる都度都度の両親との諍いは心の中で処理しきれなくて水面が表面張力で盛り上がっている。コップの縁から水が溢れる時のの最後の一滴は何だっていいのだ。納得できない過去のことを反芻し続けることで、何度もそのトラウマを頭の中で再生して怨みとなって記憶は強化されていく。だから、意識の差が両親と僕とで生まれるのだろう。悪い記憶が固定化されていく様はまるで地縛霊の怨念のようだ。

今更、親のせいにするにはダメな年齢だとは思っている。ただ、過去の俺はその時々で少しでも認めて欲しかったなんだと思う。親からしたら詰まらないことかとしれない。

勘違いしないで欲しいことはただ一つ。俺は両親に対してきっちりけじめをつけて欲しいわけではない。もうそれは諦めている。許されるのならば、可能な限り、彼らから距離を置いて関わりにならないことだ。理解し合うことが出来ないのなら少しずつ関係を希薄にし、遠ざかって行くことしかないのだと思う。

2014年12月24日水曜日

レベルを上げて正論で殴っても仕事は片付かない

普段の自分の性格はともかく仕事の時は僕は気が短い。プライベートでは“のんびりしてる”、とか“温厚”とか言われる事が多い気がしているけど、これは多分、後天的な性格で持って生まれた性分は短気なのだと思う。遺伝はあまり信じたくないが父方の祖父、父がとても気が短い。それをマスクするように穏やか(に見える)な性格を意図せず作ってきたのかもしれない。

タイトルは、あるゲームの用語で“レベルを上げて物理で殴ればいい”という言葉をもじったモノだけれども、以前の僕は仕事上で如何に自分に落ち度を作らずに片付け、相手に非がある時には"正論で殴る"ようにしていた。また、正論である限りはいくら殴っても仕事が片付くのであればそれで構わなくて恨まれても結構、とまで開き直っていた節すらあった。

今、手がけている仕事では、正論でぶっ叩いても次から次へとトラブルが起きる、味方だと思っていた人にも結果として裏切られる。そんな事が続き、僕の精神状態が悪くなるのもあって、“怒ること自体が馬鹿馬鹿しくなった” 、そういう状態でここ数ヶ月は静かに今、自分が出来ることを淡々とこなしている。いくら理屈が正しくても、僕の仕事の分野では相手に合わせざるを得ない事が多々あるのだ。

怒りの感情そのものは、ある種、ガソリンのような麻薬のような、果実のような、その人にパワーを一時的に与えるものだと思う。結局、怒る人は、相手の事を考えて怒っているという姿勢の場合でも、“自分が怒りたいから怒っている”のだ。 無いと怒り無しでは仕事出来ないと思っている事のが根底にある。

ただの戯言かもしれない。ただ、僕はもう面倒くさいのだ。だから、なるべく後戻りをせず、効率を最大限に限られた時間の中で追求する。

2014年12月16日火曜日

燃え尽き症候群

去年の冬から勉強を始め準備してきた資格試験が不合格に終わって、燃え尽きている。かなりのエネルギーと時間を注ぎ込んで勉強したので、久々にキツいが充実してるという感覚を味わったが、代償は大きかった。やはり燃え尽きたのだ。

ただ、折角ここまで勉強したのだから、という思いはある。と同時に精神的に不安定な状態を招いて仕事に影響するリスクを負ってまでやることか?とも思う。不合格になったのが分かった直後はともかく最近まで再受験は止めようと思っていたので、こうして悩むのは受験に対するモチベーションが少し出てきた、ということなのかもしれないけれどね。

先日、大きな書店に行ったら資格試験の過去問題集が売られていて今年受験した問題と解答が既に反映された新しい版の物が出ていた。ここで止めれば何も残らないし、再受験しようと受かるまで続ければ資格を手に入れられる可能性は高くなるだろう。年末年始、少しよく考えてみようと思う。

2014年12月13日土曜日

ローン繰り上げ返済

最近、買い物をしていて、やっぱりと思ったこと。払う時に「あぁ、勿体ない。」みたいな感覚が自分には薄いということ。残念ながら僕の金銭感覚はあまりよくないんだと思う。それでも休職してた間から復職してこれまでに、色々と自分なりには考えてみた。「お金は使えば無くなる」し、裏を返せば、「お金は使わなければそのまま残る」。よって、日常的に出て行く「固定費」を減らすのが貯めるよりも先決だろう、とは思った。

バイクのローンがまだ2年ほどあった。これまで乗り物は全てローンで買っていた。あと残額がいくらか、というのは計算していたんだけど、どうせ「金銭感覚の薄さ」があるのなら逆手にとって、一気に返してしまおうと思った。繰り上げ返済しても今なら窮するほどにはならない状況だったし、気分もここ数ヶ月は鬱々としていて欲しい物が特段あるわけでもない。とりあえずローン会社に電話してみて、繰り上げ返済の計算をしてもらってそのまま振込してきた。ちゃんと完済証明書も送ってもらうようにした。

ローンについては色んな考え方があると思う。払えるけど敢えて組む、という人もいるだろうし、僕みたいにやはりただの「借金」だと思う人間もいる。これまで毎月払っていた支払額は生活費には当てずに余剰分として貯める方向で頑張って行こうかと思ってる。

2014年12月9日火曜日

今日は君が死にたいと言ったから休職記念日

去年も似たような記事を書いているけど、休職をしてから4年が経過。どうしていいか分からないような死ななきゃ!そうだ死のう!みたいなぐるぐる渦巻いている思いと変に高いテンションでかなりエネルギーがあったのは覚えている。今とは真逆だ。

仕事も手につかなくなってどうしようもなくなって、家に帰ってから精神科の主治医に診てもらってもう危ないから、出来れば速やかに入院しましょう、と。色々と手続きがあるから、ということでそのまま帰宅してまた身支度してから日を改めて入院しに来ます、ということで帰った。何も予定もない時間が少しできたので、バイクで海を見に走りに行って冬の穏やかな晴れた日の中、目の前の海を眺めてたのを覚えている。

基本的に入院とは言っても特殊なことをするわけではなくて、外界と自分とをシャットアウトするのと、うつ病の場合は自殺の危険が高いから独りにして放っておくと自殺を図りそうな人を保護する為なんだと思う。入院する時は、携帯電話の持ち込みは出来なかったし、ベルト、靴ひも、服のウェストの紐等、首を吊れそうな物は全て没収された。持ち物に全部名前も書かされたなぁ。

今にして思えば、随分と特殊な環境だったように思うが、入院初日はここが貴方のベッドだから、と大部屋で、普通の病院では考えられないくらい人数の多い病室へ案内されて、食事や服薬、病院内の決まった約束事のある時以外はゆっくり自由にしていていいと言われた。制約はあるものの、自分が保護されて安全な場所にいると思えた。

あれから4年経って、仕事にも復帰して多少の制限はあり、無理は効かない身体、というより精神、になったが、何とか働きそれなりに人の役に立ち、給料をもらえて暮らすことが出来ている。しかし、こういう節目の日にはやはり、あの時、下手したら死んでたのだなぁ、と思うこともあるし、このまま何時まで生きていていいのだろう?と自問することもしばしばある。