2022年2月5日土曜日

嗚呼、惨めなり~3回目の休職が決まった

 

 昨年2021年の6月から9月頭まで休職していた。これが2回目の休職で、1番最初は2010年~2011年にも9ヵ月休職していて、この時は、自殺企図の惧れ有り、とのことで、主治医の医師から即入院を言い渡された。とは言っても任意入院だったんだけど…。この時は空きが無くて、閉鎖病棟に入ったのだった。2回目はほとんど溜まっていた有給休暇で乗り切った。2か月くらいだったので、何とかなった。あとは復職に当たって再発防止シートという自己分析のようなことも書かされたかな。なぜ、自分がうつ病になって仕事を休むまでの状態にまで落ちたのか分析せよ、という事だった。建前としては、自分自身のうつ病は「私傷病」ということになっているので、仕事とは関係なく勝手に病気になりました、申し訳ございません、という形で、自身が出来る限りの再発予防策を書いて産業医に提出した。マインドフルネス瞑想を続ける、とか、運動療法としてランニングを定期的に続ける、と言うことを書いたと思う。

 ただ、11月の終わりくらいから少しずつ歯車が狂っていき、12月になる頃には再び強い希死念慮に苛まれていたと思う。自分の意思とは関係なく死のイメージが頭に浮かんでくる。多かったのは、自身が打ち首になるところだ。ちょうど下の画像のようなイメージだ。首を落とされる前に前かがみになって、刀を持った処刑人が振りかぶる。刃が自分のうなじに当たる寸前、自分のこれまでの人生を悔やみ、涙が浮かぶ、そんな感じだった。

 希死念慮は更に酷くなっていき、それを暴発させない為に俺自身の中で消化するために、自分のドッペルゲンガーを目の前に想定して、包丁や刃物でめった刺しにするというイメージを繰り返していた。そうでもして憎い自分自身を滅殺しないと気が狂いそうだった。

 9月に復職したばかりだったが、仕事は俺1人にかかる負担が大きかった。顧客対応、担当案件で、別のチームにも影響が出ることを1人で準備し、問題ないことを顧客に説明していった。同じ案件で他のベテランのメンバーの方も複数いるのだが、WEB会議という場だからなのか、発言すれば自身が説明義務(またはその資料などの作成義務)が生じるためか、フォローしてくれる発言はほとんど無かった。調子は悪いながらも何とか年末を迎え、俺は久しぶりに帰省した。

 オミクロン株が流行する直前だったので、帰省中の交通機関はとても混雑していたように思う。ここで、人混みによる人酔いのようなダメージを受けて実家に辛うじてたどり着いた。年末年始の休みの間もずっと頭痛と胃痛に悩まされ、精神的には休まらなかったように思う。

 年が明けて、これはもう仕事を続けていくのも結構キツイな、という状況だったが、主治医の診察ではただ、「今は耐えて頑張りましょう。」と言われるのみ。1月上旬と下旬でも変わらず、今回は主治医は俺が休むことに対して頑ななまでに否定的だった。この頃は、夜中にあそこの場所に行って首を吊れば朝まで見つからないかもしれないな、とかそんなことを具体的に考え始めていたように思う。クレモナロープを用意して他にも必要な機材を揃えれば自殺企図までもう少しだ。 

 職場では、俺に属人化した業務があり、年度末に向けて取りまとめの作業に入る頃だった。ここで俺がまた休職でもすれば、本当に案件1個の検収に穴が空く、それも心理的に圧迫になっていた。この辺りは主治医には伝わらなかったのだろう。職場の上司や同僚も、「何とか休まないで頑張ってくれ。」と悪気なく言うので、もう無理ですよ、とは言いづらかった。日に日に出来ることは減っていった。対顧客での打ち合わせで俺が作った資料の説明は上司に代わってもらった。これはもうダメだな、と諦めたのは顧客ではなく取引先の割と仲良くやらせて頂いている方からの電話にすら出られなくなったことだった。電話はPC上で受けるUC電話になって数年経つが、電話を受けられないのではさすがに仕事にならない。もはや休職しかないのか、と諦めた瞬間だった。

ただ、この直後の診察でも主治医の見解としては「休職というのは何か違うんですよねぇ…。」と…。何が違うのかはもう問う気力も無かったが。。。この後、産業医に連絡して、業務の状況や抑うつ状態や希死念慮が厳しいということをメールで相談した。いつもは産業医面談は上司および総務の方も入れて4者面談になるので、産業医にのみ相談したい、と言って4者が集まる前に面談の時間を作ってもらった。そこで、希死念慮と混然一体となった状態で業務遂行をしていくのはとても辛いこと、このまま耐えれば耐えるほど後々の回復が遅れるであろうこと、また、最悪は自殺が既遂出来てしまうことを相談した。産業医の先生から主治医に手紙を書いてもらい、それを見た主治医が診断書を書いてくれて、ようやく休職になった。ただ、主治医との関係はこれでこじれてしまったかもしれない。実家で療養すればいい、ということで、処方薬を出せる最大期間の1か月分の薬と診断書を受け取り、休職と相成ったわけだが、もうこちらも積極的に貴方のことを診ませんからね、という若干の拒絶感を感じる。

俺の実家はかなり遠方にあるので、帰省するのはなかなかエネルギーを使うが、一旦、帰ろうと思う。戻ってこれないかもしれないが…。そうなったら診断書の期限が切れてってなると、どうなるのだろうな。

何だか治療も真面目に受けても、治ることも無く、苦しみ続けるだけの人生。苦しむことが重要なら意味もあるのかもしれないが、それを除けば、ただ耐えるのみの人生に意味はあるのだろうか。薬を飲んで不安定ながらも仕事を続けて、それ以上の解は無いのだろうか?最大容量まで飲んでも結局、仕事から脳が破壊されるレベルのストレスを受け続ける。これでは抜け出せない無間地獄だ。