BSプレミアムで宮崎あおいさん、堺雅人さん出演の「ツレがうつになりまして」の放送を録画していたので連休最後の昨晩見た。タイトルくらいは聞いたことのある方が多いのではないだろうか。僕は恥ずかしながら、今まで存在は知っていたけれど原作の本も映画も見たことがなかった。何処か心理的に避けていたところがあったのかもしれない。だけど、見て良かった。そう言えるほど、原作者、制作に携わった人々の優しさが詰まった、だけど、同じ病気を患っている者からすれば、病気の辛さを非常によく伝えてくれる良い作品だと感じた。
堺雅人さんが演じる夫の「ツレ」さんが仕事で段々、病んでいき、最初は風邪のような原因のよく分からない体の痛み、眠れなさ、ご飯の味が無くなる感じなど非常によく描かれていた。映画だからツレさんの几帳面さは少し誇張しているのかな、とも思ったが、宮崎あおいさん演じる奥さんがツレさんとは反対で少しずぼらだけど優しく、頑張らないで夫と一緒に病気に立ち向かう人だった。映画を見ていてツレさんが自殺未遂を起こした時も自分の過去の苦しみ、また自殺願望でどうしようもなくなっていた時期を思い出して、共感し映画の後半は見ていて涙が溢れ続けた。
僕自身はもう発病してから10年になる。ここ1年ちょっとは酷く落ち込んだ日々が続いても以前のように常に死にたいと思う事は無くなってきた。そういう時間の中で発病当初の記憶は「気のせい」だったのかなぁ、とも思うようにもなっていたけれど、当時の自分はやはり十分に苦しんでいたし、映画を見て改めてそれは認めてもいいんじゃなかな、と思った。「今は誰しも精神科、心療内科に行けば病名が付く。」と言う意見も世の中にはあるけれど、思い返してみてもやはりかなり異常な状態だったと思う。
当初は胃がとにかく痛くて物が食べられず近所のおじいちゃんの医師がやっている内科に何度も通ったけれど、症状は改善せず、1日サンドイッチひときれくらいしか食べられなかった。そうこうしている間に1ヶ月もしないわずかな期間で72㎏程あった体重は14㎏くらい激減して58㎏ほどになった。当時、交際していた人から「もしかしてうつ病じゃないのかな…?病院に行って診てもらってきなよ。」と言われたのが本当に救いだったのだと思う。予約は初診だと時間を長めに取る必要がある、ということで3週間先になった。病院に電話した時点で既にもう限界に近いと感じていたので3週間は非常に長く苦しかったのを覚えている。
ツレさんは休息と治療の甲斐もあり、奥さんはじめ周りの人々の支えもあって、回復し、薬を飲まないで済むようになった。「うつ病は再発の多い病気だから、もしかしたらまた薬を飲まなければならない日が来るかも。」とは言っていたけれど。僕は10年のうちで良くなったと思えて1年ほど薬を止められていた時期がある。今の主治医の先生は言う。「薬を飲まなくて済むようになる、とは考えない方がいいですよ。」と。だけど、一時的にでもいいから、薬を飲むのを止められるほど回復できないかな、と思う事はよくある。ささやかな希望だ。
2015年1月13日火曜日
2015年1月11日日曜日
両親と話し合いをした
短い期間ではあったけれど年末年始で実家に帰省した。元旦に両親と話し合いをした。元々はこちらから、持ちかけた話し合いだった。是非は置いておくとして、うちの両親は数年前から僕に早く結婚させようと自分達の伝手を頼って縁談を探してもらっている。正直なところ、僕はそれを止めて欲しいという依頼の為の話し合いの場を設けてくれ、と頼んでいたのだ。
縁談は僕に交際している相手がいるかいないかはどうでも良いらしく、父自身、2年ほど前にもう止めよう、お前に悪いことをした、と言いつつも約束を違えられてきた。過去には僕に交際している人がいるときも、頭ごなしに否定して強制してきたこともあった。僕の意志なぞどうでも良いのだな、と白けた気持ちで見ていたし、「おまえの人生を応援したい」と言ってくるが、断れば激怒したり恫喝したりで、何なのだろう、と話が持ち込まれる度に嫌な気持ちになっていた。
特に僕自身は昔から結婚願望というものがない。子供の頃からつまらないことで父と母が諍いを起こして家庭内が冷え冷えとした状態をしょっちゅう見ていて、こうなるくらいなら一生独りのままでいいと考えていたこともある。また条件が先行するいわゆる見合いでは、僕は自分自身の鬱病を隠して相手と顔合わせをしたり話を進めるのはフェアではないとも考えている。多少の好条件を自分自身のスペックとして持っていても、それを吹き飛ばしてマイナスにするだけの破壊力があるデメリット、それが精神疾患だと思っている。
じゃあ、恋愛そのものも無理ではないか?と問われたら、無理だとも思っている。別に強がりでもなく僕はもう誰かに迷惑をかけてまで交際をしようとも思わなくなった。
話し合いは二時間以上にも及んだ。父は「駆け引きなしで正直に話し合いをして、家族としてもう一度まとまろう。」と言って切り出した。僕は上記に述べた自分の考えをなるべく筋道立てて話したつもりだ。一応は両親とも理解を示してくれたように思う。父の発言を聞く限り、「今の時代、精神科にかかれば誰しも病名が付くと思う。」と言われた辺りから、やはりこの人は僕がどれだけ苦しんでも「気の持ちよう」と思っていそうな気がして、話がいい方向にまとまろうとするのに、疑問符が浮かんだが、何も言えなかった。
正直なところ、僕は根にもつ陰湿な性格をしている。過去に理不尽で納得がいかないと感じたことはそのまま澱となってずっと心の中に引っ掛かりを残している。一つ一つの事例を見れば、たいしたことない、大人になれよ、と割り切らないといけないことも多いと思う。だが、コップに溜まり続けた水が最後には縁から溢れだすように、いつも溢れだす寸前まで過去の澱が溜まっている。その澱の原因となる都度都度の両親との諍いは心の中で処理しきれなくて水面が表面張力で盛り上がっている。コップの縁から水が溢れる時のの最後の一滴は何だっていいのだ。納得できない過去のことを反芻し続けることで、何度もそのトラウマを頭の中で再生して怨みとなって記憶は強化されていく。だから、意識の差が両親と僕とで生まれるのだろう。悪い記憶が固定化されていく様はまるで地縛霊の怨念のようだ。
今更、親のせいにするにはダメな年齢だとは思っている。ただ、過去の俺はその時々で少しでも認めて欲しかったなんだと思う。親からしたら詰まらないことかとしれない。
勘違いしないで欲しいことはただ一つ。俺は両親に対してきっちりけじめをつけて欲しいわけではない。もうそれは諦めている。許されるのならば、可能な限り、彼らから距離を置いて関わりにならないことだ。理解し合うことが出来ないのなら少しずつ関係を希薄にし、遠ざかって行くことしかないのだと思う。
縁談は僕に交際している相手がいるかいないかはどうでも良いらしく、父自身、2年ほど前にもう止めよう、お前に悪いことをした、と言いつつも約束を違えられてきた。過去には僕に交際している人がいるときも、頭ごなしに否定して強制してきたこともあった。僕の意志なぞどうでも良いのだな、と白けた気持ちで見ていたし、「おまえの人生を応援したい」と言ってくるが、断れば激怒したり恫喝したりで、何なのだろう、と話が持ち込まれる度に嫌な気持ちになっていた。
特に僕自身は昔から結婚願望というものがない。子供の頃からつまらないことで父と母が諍いを起こして家庭内が冷え冷えとした状態をしょっちゅう見ていて、こうなるくらいなら一生独りのままでいいと考えていたこともある。また条件が先行するいわゆる見合いでは、僕は自分自身の鬱病を隠して相手と顔合わせをしたり話を進めるのはフェアではないとも考えている。多少の好条件を自分自身のスペックとして持っていても、それを吹き飛ばしてマイナスにするだけの破壊力があるデメリット、それが精神疾患だと思っている。
じゃあ、恋愛そのものも無理ではないか?と問われたら、無理だとも思っている。別に強がりでもなく僕はもう誰かに迷惑をかけてまで交際をしようとも思わなくなった。
話し合いは二時間以上にも及んだ。父は「駆け引きなしで正直に話し合いをして、家族としてもう一度まとまろう。」と言って切り出した。僕は上記に述べた自分の考えをなるべく筋道立てて話したつもりだ。一応は両親とも理解を示してくれたように思う。父の発言を聞く限り、「今の時代、精神科にかかれば誰しも病名が付くと思う。」と言われた辺りから、やはりこの人は僕がどれだけ苦しんでも「気の持ちよう」と思っていそうな気がして、話がいい方向にまとまろうとするのに、疑問符が浮かんだが、何も言えなかった。
正直なところ、僕は根にもつ陰湿な性格をしている。過去に理不尽で納得がいかないと感じたことはそのまま澱となってずっと心の中に引っ掛かりを残している。一つ一つの事例を見れば、たいしたことない、大人になれよ、と割り切らないといけないことも多いと思う。だが、コップに溜まり続けた水が最後には縁から溢れだすように、いつも溢れだす寸前まで過去の澱が溜まっている。その澱の原因となる都度都度の両親との諍いは心の中で処理しきれなくて水面が表面張力で盛り上がっている。コップの縁から水が溢れる時のの最後の一滴は何だっていいのだ。納得できない過去のことを反芻し続けることで、何度もそのトラウマを頭の中で再生して怨みとなって記憶は強化されていく。だから、意識の差が両親と僕とで生まれるのだろう。悪い記憶が固定化されていく様はまるで地縛霊の怨念のようだ。
今更、親のせいにするにはダメな年齢だとは思っている。ただ、過去の俺はその時々で少しでも認めて欲しかったなんだと思う。親からしたら詰まらないことかとしれない。
勘違いしないで欲しいことはただ一つ。俺は両親に対してきっちりけじめをつけて欲しいわけではない。もうそれは諦めている。許されるのならば、可能な限り、彼らから距離を置いて関わりにならないことだ。理解し合うことが出来ないのなら少しずつ関係を希薄にし、遠ざかって行くことしかないのだと思う。
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